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よく考えれば透明になることより擬態することのほうが現実的だった。
自分の住む環境に紛れるような質感と色を持った体表面の生き物はかなり多い。さらにタコやイカ、カメレオンなどは移動した場所に合わせてその細胞色素を転換することさえできる。有機化学の範囲だが、ハログラムでもその構造は真似することができるんじゃないか。
「さっきハログラムをテレビモニターだって例えたけど、透明にすることはできないけど擬態はできる。その仕組みを解説するよ。まず用意するのはディスプレイとカメラ。じゃん!」
テクネはお絵描きするように指を動かすと、その場にブラウン管テレビとビデオカメラのデフォルメされた立体像を出した。
「みんなよく知るハログラムは出力担当、ディスプレイだね。あまり意識されてないけどハロには受光情報を信号変換する機能もある。人間で言う網膜だ。細かいメカニズムは省略するけど、イメージセンサーの代わりとなるハロカメラは入力担当」
彼女はデラ缶の前にテレビを、その後ろにカメラを置く。
「で、この二つを繋げれば、こういうことができる」
テレビにはデラ缶の後ろで撮影された映像が映し出される。それにより缶は見えなくなり、先ほどの透明プレートと同じような効果だった。いや、さっきよりもぼやけることなくハッキリとした背景が見えている。
「もちろん画面の枠もカメラ自身も表示させる必要はない。こんな感じだね」
テクネが指を鳴らすと、いよいよ何も見えなくなった。側面から覗き込まない限り、デラ缶があることには気づけない。
「微調整は諸々必要だけど、さっきの透明プレートより手軽でクリアだから、静止物の
「透明のように見せかける、擬態化ハログラムってやつか。これが透明人間の正体……」
こういうトリックだったのか。しかし、この程度であれば他のハログラマーも思いつきそうなものである。
「ところが! これにも問題があります」
「やっぱり?」
「とりあえすこのディスプレイとカメラを組み合わせたユニットは一方向用、実際に殺人現場で使うとしたらどれだけのユニットが必要になりそうかな?」
確かに、今は正面から見てるだけだから一つの画面で済んでいる。現場は周囲に人が溢れていた。全ての視線をカバーしようと思ったら、正面、背面、両側面、高い位置から見下ろす人もいるかもしれないから天面も。でも、これだと直方体の箱みたいにならないか? 斜めに対応した画面も必要になると、プラスで八面。もっとなめらさが欲しいかもしれない。なんだか石の塊から人型を彫刻するような気分だ。頭の中で数えるのが難しくなってきた。半球ドームってざっくり何面になるんだ? めちゃくちゃに考えれば360度×180度すると64800面……? こんなに必要なものか? もっと省略できるのか?
「ナム・ジュン・パイクってメディアアーティストの作品知ってる? テレビモニターを大量に使ってカッコイイんだよ」
「知らないよ。人間の目ってのはそんなに情報量に過敏なのか?」
「けっこう見抜くもんだよ。アナログの連続性をデジタル変換すれば断続的な繋がりになるわけだから、その違和感が目に付く。これは3DCGでいうポリゴン数をいくつに設定するかということに近い。多面体であればあるほど情報量とリアリティが増すけど、演算と出力のために回路を増設したファイフラは大型で数も多くなってしまう。手元に大学ノート程度の小窓を表示する携帯タイプじゃまず不可能だね」
「でも、すでに多くの場面で使われている技術なんだろ?」
「実はそこまで精巧に作ってない。最初からハログラムって伝えれば、こんなもんかって割と納得してくれるよ。むしろすごいって褒めてくれる。ここらへんは先入観と印象操作の問題だけど。ハログラムのパフォーマンスについてはけっこう手を抜けるところはダイエットしてるよ。消したい対象も背景も動かない場合は、ほぼ静止画を貼り付けるだけの作業だからね。観賞用映像に関しても一度レンダリングさえしてしまえば再生処理に時間はかからなくなる。ところがゲームのようにリアルタイムで編集して動くもの、これを毎秒三十フレームから六十フレームくらいで処理するとなるともっと大変だ。今回の殺人現場みたいに擬態させたいキャラクターも背景も常に変化し、それをタイムラグなく変動させ続ける。つまり本当に計算すべきは面×立体×時間ってこと」
「……そこらへんは全然わからん。設備としてどの程度の規模になるんだ?」
「四桁を超えるような数のハロユニットを制御するのに、そしてこれだけの処理を抱えると、今の技術レベルでもビルのワンフロアを占領するようなデータセンターでも建てるしかない。当然そんなものを持って動けるわけないから、マイクロ波による遠隔無線通信とかも考えられる。だけど、現場周辺にそんな怪しい巨大アンテナとかあった? 下手したら殺人電子レンジだよ。透明人間になってわざわざ殺す必要もない」
「有線接続とかは?」
「移動しながら誰かに踏まれたりつまづいて転んだりしたら終わりだね。ボクなら採用しない」
僕は自然と組んでいた腕をほどいて天井を仰いだ。全然簡単なトリックじゃないじゃん。
「さっき、先生の身代わりとか、あと森の立体映像とか出してただろ? あれが可能なのはどうして?」
「本当にリアルタイムレンダリングが必要なモーションキャプチャー部分だけに演算処理を絞って、他は編集済みのパターンをいくつかつなぎ合わせてるだけだったり、目立たないところはかなりローポリゴンだったりするよ。それでも室内にあるワークステーションを六台フルで稼働させている。ハヤマの最新ハイエンド機材でもこれが限界ってのが現実だよ。市販の体感型ハロゲームも、よく見たら結構荒さが目立つからね」
擬態化ハログラムの線も、なかなか実用的でないことがわかってしまった。これでは他の技術者も首を横に振るわけだ。僕はチビチビ飲んでいたデラ缶の中身を一気に飲み干す。それでも糖分が物足りなかった。
「科学者がインタビューでよく言う『技術的には可能』って返し、その真意はなんだと思う?」
「……面倒くさいからやりたくない?」
「ピンポーン!」
透明化、擬態化、どれも問題点が大きすぎる。残る方法はなんだ?
「相手から見えなくなるためには、……相手の目を潰す?」
「いいね、やってみようか! デュクシデュクシ!」
「勘弁してくれ!」
テクネは僕の代わりに、うさぎのぬいぐるみみたいなハログラムの両目に人差し指と中指を突き立てていた。酷い、むごい、可愛くない。
目撃者に視力を失った人などいない。
「考証できる材料は揃ったよ。あとは発想の転換かなー?」
「……ダメだ。突破口が見えない」
この授業、やはり僕の手には余る。頭から煙で出そうだった。
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