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「……え?」

 拍子抜けだった。昨日はあんなに自信満々に謎は全て解けたと言わんばかりの宣言をしていたくせに、今日になったら不可能だよって、なんていい加減なんだ。

「おい、これはゲームじゃないんだ。昨日も一人、新しく被害者が出た。これからまた誰か殺されるかもしれない。人命が懸かっているんだ! お前の戯言に付き合ってる暇はないんだよ」

「戯言? 真実だよ。そんなこともわからないのかい? 昨日、ボクを敬って何て呼べと言った?」

「……すみません、教えてください、先生」

 ここで感情的になって情報が引き出せなくなるのは困る。僕が折れるしかない。テクネはヤレヤレと溜息をつく。


「こんなの小学生の理科でわかる。ボクたちの目、眼球の奥にある網膜は可視光の情報を受け取り、変換した信号を脳に送ってそれが視覚世界だと認識している。光源そのものを感知したり、物質に吸光されず反射や錯乱したものを色として見たり、水面や板ガラスみたく透明のようだけど屈折や反射した情景からそこに在ることがわかったりする。本来、世界を構成している原子はスカスカだから光が透過するもののほうが多い、見えてる世界ってのはごく一部だ。空気は見えないし、水中に潜れば水も見えなくなる。だったら、同じように人間の持つ色素を抜いてやればいい。現に体組織が透明な生き物なんてのは深海にたくさんいるし、生物学の細胞解析用にアミノアルコールをベースにした生体色素を除去する試薬も開発されている」


「それを使えば、透明人間になれる……?」

 テクネはまた新しいイタズラを思いついたように笑みを浮かべた。

「今度それをキミに試してみようか。化合物に付け込みヘモグロビンとカルシウムとメラニンを脱色されたキミが、どうやって生き続けるのか興味があるよ」

「……遠慮します」

 生体機能に必要な物質を下手にいじくればどうなるかは、容易に想像がついた。あくまで実験用なのだろう。


「それに細胞は空気より密度が濃いんだ。その中身の詰まった肉体面は光の屈折とわずかな反射も起こす。視認できないほどの透明度は確保できないだろうね。脱色以外にも電磁波誘起透明化、EITを起こす方法もある。簡単に言えば通常の光にもう一つ別の光を当てて吸光物質を透過物質に変えちゃう原理なんだけど、外部のレーザー装置まで透明化できないし移動も不便だ。なにより脱色にしてもEITにしても、


「待ってくれ。人体の透明化について不可能なのは理解した。だからこそ、ハログラムの技術で可能になるんじゃないか?」

 テクネは飲み干したデラ缶を強くデスクに叩きつけた。甲高い音が研究室内に響く。

「キミはテレビモニターを抱えてどうやって透明になるんだい? 素人さんは考えることを放棄して無茶苦茶を簡単に言ってのける。そういう態度は嫌いだな」

 彼女は顔に出さないが、かなり怒っているようだった。これは失態だ。ハログラムは彼女のプライドそのもの、迂闊な発言に反省する。

「……なーんてね、ビックリした? 調子乗ってるクソ客はこうやって追い払うんだよ」

 簡単に謝らなくて良かった。しかし、僕のようにロクに考えないまま依頼をしてくる人間は多いのだろう。その対応の面倒くささ、研究者が一番使いたくない神経だ。


「人体に影響を与えず透明化させる素材というのは、実はある。コレなんだけど」

 テクネはデスクに置いてあった、A3サイズの板を掴み上げた。すりガラスだろうか。それをさっき置いたデラ缶の前にかざすと、黄色いパッケージは見えなくなるが、背景の白い壁や機械たちは見えていた。

「え、すごい! 見えなくなった」


「光学迷彩候補のメタマテリアルの試作品だよ。このプレートは表面にレンズやプリズムのような光を巧みに屈折させる加工をナノレベルで施してある。これだとプレートすぐ近くの光情報は拾わず、それより後ろのものだけを透過させている。ただし問題が二つ。ツクバ=ハリマにある世界最高峰の加工機械と職人でも、屈折させるための凹凸が表面にできてしまう。すると透過された像はどうしても曇る。遠距離から見る分にはバレにくいけど、すぐ隣にこんなぼやけた人影があったらさすがに気づくよ。あと、さっき言った透明人間のジレンマだ。向こうからこっちが見えないのに対して、こっちから向こうも見えなくなる。つまりコイツの活用用途は静止物を隠すこと、景観条例に引っ掛かりそうな建物とか待機状態の兵器とかね。素材をシート状の衣服にするにしても、この見た目じゃ対面して動きながらの殺人には向かなさそうだ」


 けっこうイケると思ったんだが、これもダメなのか。

 戦いのプロであれば視覚に頼らず聴覚と嗅覚で敵を察知するという漫画の設定を思い出すが、さすがに現実では無理がある。

 自分自身の目でなくとも外部のカメラ映像を転送し透明化素材の内部で見るとか、これもカメラそのものや転送手段に問題が発生するだろう。目隠しのスイカ割りゲームを想像した。

 結局メタマテリアルは犯行で使用する場合、リスクが高すぎるわけだ。

「つまり、光をうまく制御できればいいんだろ? 自分が反射する光をハロで全部吸収すればいいんじゃないか?」

「素人考えで恐縮だけど、レーダー索敵には有効だろうね。現実的には、目の前に真っ黒な人間がいることになる。闇夜ならアリかも」

 今回は二件が日中の屋外、一件は深夜帯だが高架下の街灯の下で、一件は屋内照明のある病院だ。逆に目立つだろう。

 色々な可能性を考えてみたが、やはり透明化なんて無理な話なのか。僕の頭は煮え切らない。

「……透明になるのが難しいのはわかった。でも現実問題として犯人が見えないんだ。絶対に理由があるはずなんだ」

「そうだよ。だから犯人は『透明になる方法以外』で見えなくなったんだ」

 何を矛盾したことを。……いや、そうでもないのか? 透明人間という言葉にすっかり固着してしまったが、その他にも手段があるのではないか。透明というよりも『不可視』になる技術が。

「とりあえず、思いつくままに挙げてみよ」

「うーん、目に見えなくなるくらい、めちゃくちゃ小さくなるとか」

「数多くの細菌やウイルスが人間を殺そうとして免疫機能の返り討ちにあってるよ。それとも、それで脳みそを支配して自殺したとか言わないでよね」

 戯言に付き合ってる暇はないとばかりに睨まれた。いかん、バカ丸出しだ。

「――カメラのデータは改竄された。目撃者は犯行の瞬間に目を閉じていた」

 何も思いつかないので、さっき蔵内さんが言ったことをそのまま流用してしまった。

「お! 意外と本質わかってるじゃん。花丸をあげよう」

 テクネは指先で花丸のハログラムを出現させると、それを僕に投げた。

「いや、職場の人の意見なんだけど」

「なんだよ! 花丸取り消し! でも、その人けっこう鋭いね」

 せっかくの名誉勲章が爆散する。僕の株は下がり蔵内さんの評価が勝手に上がってしまった。しかし、冗談みたいな理屈だぞ?

「IISの信頼性はとりあえず置いといて。実際に瞼を閉じてないにせよ、目撃者たちの網膜と脳は透明以外の手段で騙された。なんでしょう?」

「目の錯覚とか?」

「ブー! あのね、無いものを在るように見せるのは意外とできるの。それよりも、在るものを無いように見せるほうが何倍も難しい。ヒント、動植物は天敵から身を守るためにどう進化したのさ」

「……ああ、『擬態』か」

「ピンポーン! ようやくハログラマーとして話ができるよ」

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