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公安情報庁のインフォメーションプラットフォームに追加された報告書を
犯行の手口や状況は父さんのときとほぼ同様であり、違うのは薬品の種類くらいであった。少し気になったのは、保険が適用されない点滴療法を節約家の被害者が利用していた点。まあ、質素な生活をして貯めた金を一つや二つくらいの贅沢に使うのもおかしくはないか。
もしも、父さんが透明人間に殺されたのだとしたら、その理由は――? 公安情報庁、その後はルポライターという経歴。なにか、危険な案件を追いかけていたら。命を狙われるような重大な情報を知ってしまったのだとしたら。残念ながら、僕は何も知らない。父さんは仕事に関わる物を自宅には一切残していなかった。家族を巻き込まないようにしたんだろうか。
そうなると、これまで事故や事件として処理されていた多くの案件に透明人間が関わっていると仮定できてしまう。巧妙な偽装工作は多くの事実を捻じ曲げて、法律や裁判といった根底を覆しかねない。恐ろしい存在だ。
今回の事件についても、相変わらず加害者の痕跡はない。転落事故、刺殺、交通事故、続いて医療事故とやはり手口は統一されず、その現場に合わせて最適な『死』を演出しているようだ。殺し方に美学を求めない、という美学。いや、美学というより工学的だ。藤原事件の素人離れした喉への刺突もそうだが、他の事故演出についても無駄やミスがない。犯人は相当な経験を積んだプロなのだろうか。
被害者についてはまた非正規雇用者であった。これは何を意味するだろう。
立場の弱い貧困層が高所得な富裕層を狙うのであれば、まだ社会的背景を感じられる。革命的な思想犯だ。だが、今回殺されているのは社会的弱者である。過激な優生思想や差別意識が犯行を導いたのか。過去に障害者施設で起きた痛ましい事件もあった。
排外主義団体やカルト宗教関係はそれこそ公安で厳重に見張っている。だとしたら所属せずとも影響を受けた個人や少数グループの犯行もあり得る。
しかし派手なメッセージを打ち出すこともせず、淡々と標的を減らしていくような犯行はどうも合わない気がする。自分でも言ったが、殺すことが目的ではなく手段なのか……?
殺人の理由について、深く考えすぎかもしれない。下手なミステリー小説よりも、現実ではくだらない動機で人が殺される。むかついたから、邪魔だったから、楽にしようと、口封じ……。僕たちはどこか生きることは尊くて死ぬことは悲劇的に捉えているが、遠い星の消滅のようにただ自然の成り行きの一つにすぎない。この事件はもっと単純な出来事が連続しているだけなのか?
思考が堂々巡りになってきたな……。自分の提案を自分で打ち消していてはキリがない。第一ウチの調査官たちや警察でさえ手をこまねいているのだ。自分が解決できるとでも?
それにしてもテクネは簡単なトリックだと言ってのけた。いくら彼女が天才でも、本当に真実を把握できているのか疑わしい。わかっているのなら、さっさと教えてくれてもいいのに……。僕は弄ばれてるんだ。魔女め。
「――すごく難しそうな顔してますよ?」
隣の机で書類をまとめている阿澄さんが心配そうに覗き込んでいた。僕は眉間に皺を寄せすぎて痛いくらいである。
「阿澄さんは、透明人間についてどう思う?」
自分の考えだけで限界を感じたら他人の意見を聞いてみる。意外なことがヒントになるかもしれない。
「えー? 犯人が誰とか、どうしてやったのかは全然わからないですよ。ただ、戦闘状況においてこちらが相手に視認されないというのは理想的ですね。戦闘時の鉄則は二つ、戦わずに済むなら戦わないことと、どうしても戦う場合は常に相手より有利な状況でいることです。攻撃的に有利になるためには相手が素手ならこちらは棒でも石でも、相手がそれを持つならこちらは銃を。向こうの間合いに入らず、こちらの有効迎撃範囲に誘うことです。もしくは立ち位置的に有利になるなら相手から見えない場所や、背後や側面から攻撃できると良いですね。透明人間であれば相手の武器に左右されず、こちらのアドバンテージが高いまま不意打ちを喰らわすことができます」
……この子、語学力の高い事務職員だよな? 冗談やただの受け売りではなさそうな発言を静かに受け入れた。
「
珍しく午前中から登庁していた蔵内さんは、信憑性の低いゴシップ記事で有名な週刊誌をぼんやり読んでいた。老眼鏡をかけているのに目を細めている。
「タダじゃ教えんよ」
「じゃあ、帰りに煙草ひと箱買ってきてあげますから」
そう言うと蔵内さんはニヤリと笑ってこちらを見た。
「透明人間なんていない。以上だ」
それだけだった。また週刊誌に視線を戻したので抗議する。
「ちょっと、対価分は喋ってくださいよ! それに、防犯カメラには誰も映っていないのに被害者が突き飛ばされたりナイフで殺される瞬間がハッキリ残ってます」
「データだろ? 後でいくらでも
「目撃者の証言、それも一人や二人ではなく十人以上が加害者が見えなかったと言ってるんです。記憶は書き換えられるものじゃありません」
「どうだかね、人間は自分に都合の良い方向へと思い込む節がある。それに犯行の瞬間、全員が同じタイミングで目を閉じていれば、誰にも見られずに人を殺せる」
「そんなこと、どうやって?」
「さあ? 唐辛子の粉でも蒔いたんだろ。あれは目に染みる」
「そんな報告ありませんよ。怪しい成分も現場からは検出されていません」
「そうかい。じゃあわからん」
テキトーな人だなあ。煙草買う約束するんじゃなかった。
「ちなみに、透明人間を捕まえるとしたらどんな方法があると思います?」
「雨か雪を降らせればいい。身体に跳ねるか、足跡がつく」
呆れた。いい加減な答えだ、……と思ったが確かにこれまでの犯行は全て晴れているときに起こっていたのは事実だ。一理あるかもしれない。いや、天候が変わるのは待ってられないし、そんなときに犯人が動くとは思えない。例えば春の淡海府で毎日人工降雪を実行すれば犯人が発見できるか犯行が起きなくなる可能性はある。しかしどれだけの金額と人員を動かすか考えればバカバカしい。
「いいか、アナクロ。調査を続けるのなら、現場の中心よりその周りをもっと注意深く探れ。ちょっとした環境の変化でもいい。在るものを完璧に消し去ることはできない。必ず何かが残る。……サービスはここまでだ。銘柄はラッキーストライクな。縁起が良いから」
話は終わりだと言いたげに、蔵内さんはファイフラを起動して競艇の実況映像を見始めた。もっと真剣に考えてほしいものだ。
「
阿澄さんはまた物騒なことを仰るが全力でスルーしとく。とりあえずヒントになりそうな情報はこの部署で得られなかった。
とにかくだ、人が人を殺して良い理由も、殺されて良い理由もない。この社会秩序を崩壊させない約束だ。
一刻も早く透明人間を暴こうと改めて決意し、僕は昼前に事務所を出発した。
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