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 ハヤマホトニクス社の先進技術開発研究所、通称ハヤマ先技研は淡海府の南区にあり、車で二十分ほどで到着した。


『利潤を気にせず様々な分野を広く深く研究せよ、金ならいくらでも出す』という大胆な社長の支持により(ほとんどが灰瀬ハイセ博士のファイフラ専売による恩恵なんだが)、国内でも最大手の研究所だ。官民学の研究機関グループ【ツクバ=ハリマ】の一翼でもあり、設備・データ・人材交流などの提携もあるそう。

 科学技術の潤沢な情報貯蔵庫であるため、当然セキュリティは何十にも備えられ手厳しい。僕はそのパスにコメディ映画のように引っ掛かりまくり、小原オハラさんの助けがなければ間違いなく追い返されていた。広大な敷地を歩き回り、まるで迷路だ。


 テクネの所属する研究室は【零号室】という名前だが、他の施設とは切り離されて独立した建屋であり、部屋というよりもビルか倉庫のようだった。

 外から見れば窓も凹凸おうとつもない無機質な箱のようで、真っ白な壁面もあり巨大な豆腐を連想した。テクネはここの特任研究員ということらしいが、彼女以外にメンバーはいないとのこと。つまり、テクネによるテクネのためのテクネの研究所だそうだ。こんな大きい研究施設を一人で占有とは、独裁者もびっくりである。


 正面玄関を抜けると、以外にもそこは小さめな待合室のような空間だった。この向こうにテクネの待つ部屋があるんだそうだ。

「彼女からの指示で、ここからは一人で入室してください、とのことです。私はここで待ってますので。ご武運を」

 小原さんがにこやかに手を振る。僕は親指を立てて、その先にある重そうな扉を開けた。

「し、失礼しまーす……」

 内部の照明は薄暗く、様子がよくわからなかった。それでもこの部屋は広すぎることだけは把握できる。

 床面積はざっとバスケットコートが四面は入りそうだし、吹き抜けた天井は三階くらいの高さまであるだろう。

 それに反して置かれているものは少ない。今いる扉側と反対の壁際に畳一枚分くらいの作業机と座り心地のようさそうな高級ワークチェアが見える。その隣にはタンスや冷蔵庫のようなサイズの重々しい箱が並んでおり、低く唸る音と黄緑色のランプから設置型大出力モデルのファイフラか演算補助のワークステーションのような機械ではないかと推測する。

「連絡しましたー、公安情報庁の鉄穴カンナでーす」

 人の気配はない。席を外しているのか、どこか隅で作業しているのかわからない。とりあえず大きな声で呼びかけてみる。久しぶりに会う相手というのには慣れ慣れしくいってもいいのか改まって話しかければいいのか悩むが、記憶喪失の向こうからすれば初対面の人間だ。こちらも態度をリセットしよう。

 公安情報庁という身分は調査や相手によっては隠して行動することもあるが、訪問回数が増えるとボロを出して変に怪しまれる可能性もあるので、今回は正直に明かして接することにした。一応幼馴染という間柄だったので、嘘をつきたくないというのは個人的心情だが。

「すみませーん!」

 数歩進む。どうにも反応がない。不安になってきた。時間を間違えたか? 小原さんに確認しようと引き返そうとするが、扉が閉められた。


 ――何かおかしくないか?

 

 蛇柄、というか蛇だ。

 この部屋の床全面を敷き詰めるほどの大量の蛇がいる……?

 足元から、じわじわと這いずって登ってく……!。

 ――嘘だろ!

 当てもなく走り出すが、何匹もの蛇が僕の身体に絡まってくる。

 払っても掴もうとしても効果はなく、次から次へ巻きついてくるのだ。

 足をもつれさせて転んでしまう。

 さらに蛇たちが重なってくる。

 足掻いて腰元のホルスターにしまったナックルスコーカーを掴もうとするも、自分の手先さえ見えないくらい覆われていた。

 身体を支配されていく恐怖……!

 剥き出しの牙が、皮膚を※突き破る。

 喰らい※※ついた顎が離れな※い。

 ※そのまま、蛇※が体内へグ※リグリと入り込※※む。

 何百※匹の蛇に、無※抵抗な肉体を犯※さ※れる。

 嫌悪※※感が、絶叫※に※もならな※い。喉は、野太※※い異物に圧※※迫されて※いるから。

 捕※食※され※る、筋肉※、※※骨、臓※器、脳髄※※※。

 僕の中身※がグチ※ャグ※チャに喰い荒らさ※※れると、ま※た体外へと※※頭を出す大蛇た※ち。

 ※そ※し※て※共※喰※い※を※始※め※る。

 ※※※自分※※が残※らず※、消※え※※てい※く※※※。

 ※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※。


 ――そうか、そうだった。僕はテクネという女の子のことを思い出す。大量のダンゴムシを靴の中に隠したり、カマキリの卵を机の引き出しにこっそりしまったり、最悪なイタズラばかりだったじゃないか。昔と変わらない、これは彼女にとってのだ。

 あり得ないことは起こり得ない。これは脳の勘違いだ。視覚から連想する情報が幻覚を引き起こす。ヤカンから流れる水を熱湯と思い込み火傷するように。冷静になれば痛みも感じなかった。すべては錯覚なのだ。

 手印を結び、無心に唱える――!

「ノウマクサラバタタギャティビャクサラバボッケイビャクサラバタタラタセンダマカロシャダケンギャキギャキサラバビギナンウンタラタカンマン!」

 バチン! と稲妻でも走ったかのような引き裂かれる音がすると、たちは一気に消滅した。


 何もない虚空の部屋で僕は仰向けに倒れたまま、浅くなっていた呼吸をなんとか落ち着ける。心臓が壊れそうなくらい大きく細かく高鳴っていた。目と口と鼻からは情けないくらい体液が流れている。失禁は、……ギリギリしていない。

 正常に明るくなった照明が眩しい。

 そこに一人の少女の影が落ちて、僕を見下ろす。

「――ビックリした?」

 最高にキュートで最悪なスマイルに、血の気が引いた。

 悪趣味すぎる歓迎だった。たかが悪戯いたずらに、ハログラムの才能を全力で注いでやがる。

 魔女め……!

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