二章:調査
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中央区にある淡海司法合同庁舎は司法省が淡海府での業務にあたるために設立された十二階建てビルである。周辺建物もほとんどが行政機関のものであるため、ここらへん一帯は完全な庁舎区域となっていた。
僕が入館ゲートで五回の静脈認証に失敗すると、「またお前か」と困り顔の守衛さんが出てきた。いつも通り身分証である黒手帳を提示すると、渋々と手入力で入館記録を打ち込み入館許可をもらう。
エレベーターで七階まで上がる。このフロアが全て淡海公安情報事務所のエリアだった。
【調査部資料管理課記録文書係】、このビルの片隅にひっそりと存在する部屋、書庫隣の小さな事務室が僕の職場だった。
こんなにもハログラムやファイフラが普及した時代になっても、何故お役所は紙に情報を印刷することにこだわるのか。実は理由がある。二年以上も前、僕がこの仕事に就く前の話だ。
パソコンで事務処理をし始めた半世紀以上前から書類のペーパーレス化と完全電子化は訴えられてきた。民間企業の受け入れは早かったものの、省庁については保守的で中々踏み出せずにいた。部分的には推し進められるも、頭の古い閣僚官僚が機械を信用できずにいたのだ。
財政赤字によるコストカットにどの部署も頭を悩ませる中、制度改革部門がついに印刷費項目について具体的な数字を出した。
高騰する紙の購入費や印刷機の維持管理費に郵便費用の金額はまとめてみると膨大であり、これはもう諦めるしかないと書類の印刷保管義務について緩和措置が決まった直後である。
電磁記録大量
わずか数時間の間に検察や警察などのデータストレージにウイルスが仕掛けられ、内容を意味不明なものに書き換えられたり白紙に戻されたりと大損害を受けた。オフラインのバックアップ機器にも遠隔操作で過電流によるクラッシュという物理的な犯行がなされている。
犯行声明や要求はないが、改竄データや侵入経路のログの中に落書きの如く刻まれた『404』という謎の数字から、サイバーテロ犯四〇四号と呼称して捜査を開始することになった。しかし犯人特定に繋がる痕跡が一切残されていないため未だに捕まらずだ。具体的な要求もなかったためただの愉快犯だったのだろう。
このときの復旧作業には印刷書類と個々の記憶に頼らざるを得ず、結局紙と電子両方で残すようにと上から通達がなされた。
噂では大蔵省が印紙税廃止の流れを阻止するために仕組んだマッチポンプでないかとも言われている。
幸か不幸か、そんな悪事があったがために、僕は現場の調査業務から外されてもクビにされず内勤として居残ることができたわけだ。
記録文書係の仕事は単純作業である。
各部署が印刷しファイリングし段ボール箱に詰め込んできた調査報告書の束をひたすら倉庫に並べて管理するというものだ。新しいものが運ばれてくるたびに棚の中のものを左から右へと移動させる。その度に配置図を更新させる。
閲覧申請があれば案内したりピックアップする。
返却されない資料を回収しに行く。ボロボロにされているので修復する。
廃棄書類をシュレッダーにかける。それでも暇なときは総務部の簡単な事務作業を手伝ったり、多忙な調査官の週報や月報の代筆をする。つかなくなったペンのインクを入れ替える。間違えてシュレッダーにかけた書類をパズルする。給湯室の掃除や備品補充をする。積まれていくトイレットペーパーの芯を回収して捨てる。天井のシミを数える。エトセトラエトセトラ……。
これでも調査官である。
……いや、早い話が、追い出し部屋とか島流し部署と呼ばれる場所だ。メンバーは僕以外の二人も訳アリなのだから。
「あ、おはようございます!
「おはよう。官舎の自動ドアが開かないのは想定内だったんだけど、タクシー使ったら途中でエラーで結局歩いて。最初から近道を歩いてくれば良かったよ」
「相変わらず苦労しますね~」
事務机四つと壁際のスチールラックしかない狭い部屋を掃除してるのは後輩の
最近二十になったばかりの若手だが、家庭環境から海外を移住して渡り歩いていたらしく、現地で取得した語学力と通訳スキルがピカイチらしい。扱える五か国語のうち一つがかなり特殊なもので外務省とリクルートで取り合いになったと言われるくらいの逸材だ。
しかし研修所にて、僕もたまたま臨時の教官補助として居合わせたのだが、肩を触って抱き寄せてきた検察OBのお偉いさんことセクハラおじさんを殴り飛ばして病院送りにしてしまった事件があった。
最初こそ我慢しながら受け流す彼女に対しておじさんの行為はエスカレート、たまらず僕が注意したらおじさんは逆切れして激怒。そして阿澄さんがブチ切れて殴打。本人曰く軽く叩いただけらしいが、現実は肋骨骨折だったらしい。彼女曰く、『最近の男は筋肉つけても骨が脆いままなので軟弱すぎる』とのこと。
人事課としてはバリバリに花形部署で働いて欲しいが、自業自得なお偉いさんの顔も立てなければならない。特に公安の上層ポストには検察キャリア組が就く流れもあり、人間関係的に無視できない事態。
ということで、地方の文書係に収まってもらったというわけだ。まさかの配属先で僕と再会する。
栗色の髪を三つ編みに束ねて、小柄で愛らしい顔立ちは人を和ませる。めちゃくちゃ惹き付けてくる美人でモテるタイプというより、『この娘もしかしたら僕のコト好きなんじゃない?』と雰囲気で勘違いさせてモテるタイプだ。
地味目だが清楚なブラウスと日替わりで色が変わるカーディガンもポイントが高い。
柔和な印象は『俺ならこの娘のこと幸せにしてあげられるんじゃね?』と勘違いさせまくるスタイルだ。本人は狙ってそんなことしてないだろうが、その天然さは色んな男を喜ばせ泣かせてきたのだろう。僕は騙されないぞ。
外見こそ癒し系だが、事務処理能力は間違いなくこの部署の中でダントツだろう。文書係の通常業務を手際よく終わらせると、おそらくどこからか依頼された国際調査関連のオシント(メディアなどの公開情報の分析)の翻訳もこなしている。暴力沙汰の件さえなければ順調にキャリアを重ねていったであろうに。そんな彼女に僕は先輩風を吹かすこともできない。
「そうだ、所長が鉄穴さんのこと呼んでましたよ。来たら応接室までって」
「え、なんだろうな。最近そんなにやらかしてないはずだけど」
「本庁からのお客さんらしいですよ」
「本庁って、そういうのは
「さあ? ただ蔵内さん、絶対に遅刻しますからね~。知ってる人なら朝から来ないんじゃないですか?」
「それも……、そうか?」
この部屋のもう一人のメンバーにして
それにしても、近畿支局にいたときは本庁からの指示を受けて現場調査に出向いたが、直接誰かが会いに来るなんて滅多になかった。それも今や記録文書係、最前線に関わることなどないというのに。一体何なのだろうか。
とりあえず僕は自分の机に鞄を置くと、そのまま応接室へと向かった。
あり得ないことは起こり得ないと自分に言い聞かせるが、少し緊張していた。
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