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「失礼します」

 応接室の扉をノックして入室する。

 室内はシンプルなローテーブルを挟むように、豪華すぎない三人掛け革張りのソファーが向かい合うよう配置されている。小さな本棚には公安情報庁が定期的に発行してる冊子やパンフレットが並べられており、窓がない代わりに壁に飾られてるのはギリシャ神話の女神アテネが描かれた絵画のレプリカだった。都市を守護する知恵の神と公安情報庁を重ねているのか、インテリアセンスの良し悪しは僕にはわからない。部屋はそれ以外に特に情報がないくらい質素だった。


 扉側のソファーには外部には優しく内部には厳しいケチでネズミのような所長が座っており、対面する見慣れない男性と僕は目が合った。

「淡海公安情報事務所記録文書係の鉄穴カンナクロウです」

「本庁の狩井カリイユキツグだ」

 狩井と名乗った男性は立ち上がり手を差し出すので、僕も応じて握手した。グローブのように分厚い手の平だ。

「ご足労おかけします」

「いや、アポなしで急にすまないね」

 狩井さんは所長に目配せすると、所長は無言でペコペコと頭を下げて退出していった。僕は促されるままにさっきまで所長のいたソファーへと座る。身内であろうと、目の前にいる人物は深く観察してしまう。


 年齢は三十台後半か四十台前半くらいだろうか。立派に成熟した男性という印象だ。利市さんがスマートなスポーツマンなら、彼は柔道や空手を経験した武闘家タイプであろう。ガタイの良い体格には重厚なスーツが良く似合う。オールバックに撫でつけた髪型にも隙がない。さらに特徴的なのは左目を覆う黒い眼帯と、顔面左側の額から頬までに残る火傷痕のようなアザだった。


「気になるかね?」

「あ、いえ、失礼しました」

 ギョロリと動いた右の黒目に委縮してしまう。見すぎたのを察知されてしまった。

「構わないよ。昔の事故でね、整形医療やハログラムで隠すこともできるんだが、まあ自戒として残してる。舐められることが少ないから、交渉事では役に立ってるよ」

 僕みたいな童顔からしたら羨ましい話だった。社会人になっても街中で高校生に絡まれたのは本当にショックだったなあ。女子大生に助けられたのも、もっと応えた。

 しかし、狩井さんの威圧感は見た目だけの話じゃないだろう。声や口調から絶対的な自信が伝わってくる。

 公安情報庁に役職はあれど階級制度はない。警察のように立場を気にして捜査に支障が出るなんて心配のない、全員が調査官か分析官というフラットな関係性が担保された職場だ。

 それでも、狩井さんの前では自分が部下で従うべきだという雰囲気に圧迫される。無意識に強く握りしめた手の中には汗が滲んでいた。


「鉄穴くん、お父さんも同じ仕事をしていたらしいね。私はお会いしたことないが、古い関係者から名前を聞くよ」

「父のハチロウが本庁にいたのはもう十年以上前で、新設されたこの淡海事務所の準備作業だけ手伝うと辞職し、それ以降はフリーのルポライターとして活動していました。三年前の医療事故で亡くなっています」

「……そうか、あの医療ミスの件、騒ぎになっていたね。すまない、込み入ったことに踏み込んでしまった」

「いえ、もう随分と前に済んだことですから」

不躾ぶしつけだが、お父さんは何か仕事に関わることで渡されたものや残したものはなかったかね?」

「葬儀のとき、父の元同僚と名乗る人たちから散々聞かれましたが、そういうものは一切ありませんでした。用意する暇さえなかったでしょう」

「そうか。つい、職業上の癖で聞かずにはいられないんだ」

「わかります」

 この仕事は情報のハイエナだ。協力者への聞き込みは、相手を不快させないギリギリのラインまで探り尽くす。

「君もお父さんの意志を継ごうと、この仕事に?」

「そんな深い理由はないですよ。ただ、残された選択肢の中で一番興味があっただけです」

「京洛大学で行動科学を専攻、公安の研修所でも同期の中で一番の成績とある。優秀じゃないか」

「環境に恵まれていたことに感謝しています」

「卑屈じゃない謙遜の仕方だな。好感が持てる」

 僕個人のことなど人事課の資料で簡単に調べ上げられたのだろう。何か面談のような流れになってきたな。

「しかしだ、これだけ実力があるはずなのに今は書庫整理の身分とは、不適合すぎる。機械が苦手という報告も、それだけでこの人事異動は不可解だ」

「いえ、機械が苦手というより機械のほうが僕を嫌っているというか……」

 この体質について言葉でうまく説明するのは難しい。狩井さんは解せぬ顔をしている。

「とにかく、僕が行く現場ではトラブルが続いたんです。正確な原因は不明ですが、僕が離れることで業務は落ち着きを取り戻しました。それが全てなんです」

「……ふむ。私は不当な評価で能力ある若手が潰されるのが大嫌いでね。こんな体制では組織の未来も危うい。腐った人間が悪事で巣食うような状況では特にね。佐理伴サリバン次長が内部人選を見直しているという話があるんだ」

「人選?」

 狩井さんは少し小声になって顔を寄せてきた。

「大物政治家の裏金を記した帳簿であったり、大企業の不正取引の決定的証拠が、強制調査の直前に隠滅させられている。こちらが確かな機密情報を確保した、という情報が先回りして相手に漏れているように。内部の誰かが売っているのかもしれない。かつてのクラッカー四〇四号事件だって内部犯の可能性が高い。あの議員秘書の自殺も、あるいは――」

「まさか……」

「小耳に挟んだが、君と同部署である蔵内ギンヤ。勤務態度が最悪だそうだな。栄光から島流しに転落とは自尊心が傷つけられただろう。そういう男ほど、しっぺ返しを虎視眈々こしたんたんと仕組んでるものだ」

「……もしかして、僕に内偵を?」

 僕は思わず唾を飲み込んだ。狩井さんは無言、かと思えば急に口角を緩ませた。

「今のは出自不明な噂だ。気にせず忘れてくれ。本題は『透明人間事件』だ」

 重苦しい調子から急に声色が明るくなる。狩井さんにもユーモア精神というものがあるのか安心した。

「話題の事件だ。まだ調査官の自覚があるなら、それなりに目を通しているだろう?」

「もちろんです」

「よし、ではコチラを見て欲しい」

 そう言うと狩井さんは手首に巻かれたファイフラを起動させて、空中にデータフォルダのハログラムを投影した。そこから一枚のファイルを掴み上げて、僕の前に差し出す。『淡海連続不審死事件』というおどろおどろしいタイトル。

 僕は何気なく受け取ってしまうが、しまったと思う。案の定、その電子紙面はパチパチと泡のように弾けて消えていった。

 狩井さんは僅かに目を見開いて、驚いているようだった。

「……どういうことだ?」

「こういうことなんです。こういうことが毎度起こるんです。そのファイフラも、気を付けてください」

 狩井さんは反射的にファイフラを外すと内ポケットに仕舞った。当然の反応である。

「ハログラムが出たばかりのときも摩訶不思議だと思っていたが、君のような存在もまた……」

 言い淀み、その後に続く言葉はなかった。

「とりあえず、紙での保管義務というのは機能してるわけだな」

 机の下から取り出されたのは拳くらい分厚いファイルだった。同じタイトルの、印刷された調査報告書である。目の前にあると、情報という不確かなものなのに、それには大きさと重量があり価値を感じられる。

「ということは読書も紙の本かね? 私も古い人間なのでそちらのほうが好みだ。所有感というのは、電子では再現できないからね。たまに知り合いの古書店にも顔を出すよ。ただし、持ち運びと保管は大変不便だ」

 狩井さんはファイルを人差し指でトントンと軽くつついた。

「拝見します」

 僕はページをめくりざっと内容に目を通す。マスメディアが連日報道しているような内容と大差はなかった。


 今年の三月末から四月中旬まで、三人の男が不審死を遂げている。

 被害者である影佐カゲサヒラナリは転落死、藤原フジワラアケハルは傷害致死、辰巳タツミオオマサは交通事故死。

 防犯カメラと目撃者が犯行現場その瞬間を記録と記憶しているにも関わらず、加害者の姿や情報が一切見当たらないことから『透明人間事件』と呼ばれる。性別や身体的特徴など外見に関わるものは一切が不明。

 物音など異変も確認されず、現場の足跡は検出できたものの数が多すぎて特定は不可能だった。

 シリアルキラーや劇場型犯罪者であれば統一した殺害方法やメッセージを残すなどの傾向が多いが、今回は二件が事故に見せかけようとしたもの、一件が暗殺のように手練れた一撃だった。単独犯ではなく複数犯の可能性もありうる。

 犯人から犯行声明や要求などは現状確認されていない。模倣犯によるイタズラや恫喝については即時逮捕されており、本件との関連は認められない。

 被害者三人には過去の経歴を洗い出しても接点はなく、共通点としては


・正規雇用者でない男性であること

・現金中心の生活をしていたこと

・親族との連絡や交友関係は皆無であり、仕事と用事以外に外出する様子がなかったこと

・健康状態に問題はなく勤務態度は真面目であり、自分のことをあまり喋らないが人間関係や金銭にトラブルはなかったこと


 などが現状わかっている。利市リイチさんが言っていた古本での読書が趣味、というのは記載するほどでもないのか書かれていなかった。

 こう見ると被害者たちはマスコミが取り上げるほど特別な境遇というほどでもなく、この国にはこういう生活をしている人たちが溢れるほどいるだろう。もっともホワイトカラーの高所得者たちからすれば、そういう雇用状況下の人物像を認識していなかっただろうから意外に写るのかもしれない。

 被害者は身寄りがいないので葬儀は淡海府自治体が行い、火葬した遺骨は府の合同墓地に埋められた。報道内容についても、遺族が泣き恨みお涙頂戴して犯人許すまじという絵面が作れず、ただただ奇怪な事件としてワイドショーは不気味そうに扱うものだった。

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