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 ――さて、街の景色から随分と思考が飛躍していた。意識をタクシーの車内へと戻す。


 仕事の話、公安情報を取り扱う職務であるため些細な雑談にも気を遣う。特に誰が聞き耳を立ててるかわからない公共空間は避けたい。話す場所は慎重に選ぶ。

 このタクシーにもドライブレコーダーと録音マイクが常時起動しているが、防犯利用ためであって閲覧できる人間は関係者のみだ。

 向き合う利市リイチさんは、なんとハログラムではなくを手に持って読んでいた。表紙には『H・G・ウェルズ』と『透明人間』という題字。古典的なSF作品の代表作だ。

「珍しいですね。紙の本で、しかもフィクションって」

「今回の事件、あまりにも犯人に関する情報が少ない。というか、ない。不可視の殺人鬼だからな。となると、殺された被害者たちから探るしかないんだよ。で、ある共通点が見つかった」

 先輩は読書を止めないまま会話を続ける。この人、本当に器用にマルチタスクをこなすな。人前ではだいぶ失礼な所業であるものの、人の倍ある仕事を正確にやり遂げるので関係者は文句を言えない。

「共通点?」

「個々に接点はないものの、それぞれが日雇い労働にフリーター、期間工。安定した職業とは言えないな。親族との連絡や交友関係もほとんどなく、IISの記録からも用事以外はほとんど外出しないのがわかった。電子決済もほぼ利用せず現金生活中心だったらしいから税務局でもカネの流れが追えないと。これじゃまるで、被害者側のほうが社会に対する透明人間じゃないか」

「殺されるような原因は見つからないと」

「そう、もしかしたらカネに困って怪しい仕事絡みで巻き込まれたんじゃないかと、裏稼業連中や闇バイト斡旋してるチンピラのケツを叩いて回っているが、たまーに見かけることはあっても詳しくは知らないの一点張り。どうも隠してる様子じゃない」

「犯人は通り魔的思考で誰でも良かった……?」

「だったら女子供でも狙うだろ。不定労働者の男ばかりが標的だ。あと、何故かそれぞれの自宅から古書が見つかっている。モノ自体は特別に希少や高価でもなく普通の古本で、何か落書きに見せかけたメッセージが書き残されているわけではない。書籍の内容もバラバラだ。ただ、読書なんてハログラムで事足りる状況の中で、あえて紙の本にこだわるのは何か理由があるに違いない。お前も、そうだろ?」

 電子書籍より印刷された文字による読書体験のほうが集中力の持続と記憶の定着に効果があると何かの研究解析レポートで見たような見ないような。ただし紙の値段高騰により出版社や新聞社があまり刷らなくなったのは事実だ。昔に比べれば新品はかなり高くなった。それでも、古本ならまだ気軽に買える。彼らもただのアナログ愛好家か、それとも……?

「で、オレも追体験しようとガキのとき以来久しぶりにページをめくってるわけだが、こんなことする理由がさっぱりわからん。ベタだが、あえて透明人間なんて古典作品を買ってみたのもヒントがあるかもと思ったが、これもさっぱりだ。男が透明になってやりたいことなんて、どう考えても一つしかないだろ」

「……なんのことやら」

「純情ぶりやがって。『女の裸を見たい』、理性をかなぐり捨てでも成すべきことだ。強盗だの殺人だのは透明じゃなくてもできる」

 あなたは透明にならなくても、毎晩違う女性の身体を眺めてるらしいじゃないですか。

「真面目に考えてくださいよ」

「大真面目だとも。しかしオレにはもうモテない男の心理がわからん。というわけで、こういうのはお前の得意分野だと思ってな」

 そう言って利市さんは本を閉じ、僕に差し出してきた。つまり、被害者たちの心情に近しい環境の僕になら、その思考をトレースできるんじゃないかと。……失礼だな、と思うのは被害者たちに対して失礼だろうか。

「読めたら、率直な感想を聞かせてくれ」

「僕に何を期待してるんですか?」

「お前、大学生のとき、なんだっけ? なぞなぞサークル?」

「謎解きサークル、です」

「それ。全国大会で優勝したんだろ?」

「部員に特別強い人がいただけで、自分は補佐しかできませんでしたよ」

「なあ、謎は作るのと解くの、果たしてどっちが難しいんだろうな」

「それは色々な意見がありますけど……、自分としては作るほうですね。小説は書くのと読むの、どっちが難しいかみたいなものですよ。作るほうが、苦労するんです」

「頼もしい答えだ。やはりお前が適任だよ。先入観に囚われず、あらゆる可能性を疑え」

「利市ハヤト曰く、ですね」

 僕は渋々、その文庫本を受け取ってジャケットのポケットに仕舞う。先輩なりの励ましだろうか、気まぐれだろうか。これまで色々丁寧に教えてくれた人だ。こんな自分でも迷惑そうにせず付き合ってくれた。この恩は返したい。これは素直な気持ちだ。利市さんの頼み事は笑顔とセットにされると、どうしても断れない。


『――内部システムのエラーが発生しました。緊急規定に基づき車両を停車します。代替車両を手配しますか?』

 急に、タクシーは速度を落として路肩に寄せて止まった。周辺に事故などはない。となれば、原因は、僕しかないだろ。思わず溜息をもらす。利市さんは気にせず笑い出した。

「今日はまだ『もった』ほうじゃないか?」

「庁舎まで、まだ距離ありますよ。車頼みます?」

「いや、もう歩いて行こう」

 僕たちは降車して歩き出す。春風も落ち着き、ほどよい暖かさは歩けば少し暑いくらいの季節だ。

「うわ!」

 突然、目の前に何かが飛び出した。急に視界を覆う極彩色の壁。ぶつかる直前でなんとか歩みを止める。しかし、ぶつかる心配などなかった。

 ハログラムの迷惑路上広告だ。

 ハログラムの普及は便利になった反面、こうした過剰な宣伝を助長させている。こういう進路妨害の他にも、公共空間で夜間でも景観も気にせず容赦なく発光し続けるハログラムたちは、視力や生活リズムにも悪影響との報告がある。これらの【ハログラム公害】も、淡海府の抱える最重要課題であった。

「そうか、アナクロは【広告ブロッカー】をインストールしてないのか」

 間抜けな顔をしているだろう僕に、利市さんは呆れたような物言いだった。

「ブロッカー?」

「自分で不要と思った広告の情報をある程度登録しておけば、似たようなものを見えなくしてくれるハログラムフィルターだよ」

「え、でも消えてないですよ?」

 僕は目の前の迷惑広告をベシベシ叩く。触れられないけど。

「オレには不要でもお前には必要かもしれない。ハログラムそのものを消すわけじゃないんだよ。だからこのハログラムフィルターはコンタクトレンズくらいのサイズで眼球に貼り付けてある。誰でも見れるオープンドハログラムに対して、自分にしか見えないクローズドハログラムってやつだ。ハログラムがないスッキリした眺望が拝めるぜ」

 そうサラリと言いのけて、利市さんはドミノのように並ぶ投影看板たちを気にせずズンズンと突き破っていく。脱毛クリニックのキャンペーンセールの隣に植毛クリニック開店というツッコまずにはいられない永久機関ジョークがあるというのに、本当に見えていないようだ。

 ならばこちらもアレをやろう。僕は両手の指を全てクロスさせるように絡ませ、人差し指の腹同士をくっつけ、親指を薬指の内側に当てる。手印というやつだそうだ。

「……ノウマクサンマンダバザラダンカン」

 気合を込めて念波を放出するイメージ。すると目の前に連なる迷惑広告たちはビリビリとノイズが走り、霧散するようにしていった。父が昔教えてくれたおまじない、一発芸のような特技だった。理論理屈もない謎の現象だが、なるものはなる。『あり得ないことは起こり得ない』というのは個人的信念だが、自分自身が最大のミステリーである。それでも万物にはきっと理由があるのあだから、それもいつか解明されるだろう。

 ポジティブに捉えれば、この体質もちょっとだけ役に立つものだ。周りからの視線は痛いけど、ストレス解消になる。僕も気分爽快位に歩き出す。

「見事なもんだな。天然カウンターハログラムだ」

「本来ならアチコチに隠してあるファイフラを全部壊してやりたいんですけどね」

「それしちゃうと器物損壊罪の可能性があるからなー。旧時代の無許可貼紙と同じようなもんだってのに。技術のスピードに、法律が全然追い付いていない」

「社会的に問題視されたり裁判にならない限り、法改正はなされない。ただし政治家の気分による。僕たちはそれを順守せよ。いつの時代も世知辛いですね」

「ポルノ広告は元気になるから、もっとあってもいいんじゃないか?」

「先輩、ドン引きですよ……」

 こんな下劣な発言をする人が、どうして多くの女性からモテるのか。世界は不可解なことばかりだ。


 そうこう言っている間に、僕らの職場である淡海司法合同庁舎へと辿り着いた。

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