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 約四半世紀前、地球温暖化による臨海都市水没シミュレーションの結果、政府は内陸都市の機能強化を始めた。しかし山間部の開拓は森林減少でさらに二酸化炭素を増やすとして却下。

 そこで国内最大面積の湖である淡海おうみの湖面にメガフロートを敷きつめ、新しい都市を一から築く計画をスタートさせる。それが僕らの暮らしている【淡海府おうみふ】の始まりだった。

 東都二十三区と同じだけの面積に主要行政機関や大手企業の誘致に成功させ、移住人口は着実に増えていった。国から認可された先進技術開発都市として、新しい産業技術や政策法令を限定的に試験するのが最大の特徴である。


 まず府内道路を走行する【全車両の自動運転化】が進められた。

 例外なく全ての車が自動制御されると、交通事故もほぼゼロとなる。あっても歩行者の急な信号無視など、車側に過失のない場合がほとんどだ。

 会社管理になることによってメンテナンス不備による事故も減った。

 電車やバス、トラック運送にも最小限の添乗員は配備されるが運転手はつかず、人手不足や長時間労働問題もクリアになる。

 こうしてみると、毎日何かしらの交通事故が発生していたと言われる旧時代は野蛮としか思えないくらいだ。僕たちは完璧に近い路上の安全を手に入れた。


 他にも、警察の犯罪捜査の仕事を激減させたハイテク防犯情報監視網【インサイティングインシデントシステムIIS】の導入、指紋や顔認証よりも偽造防止と精度の高い【静脈認証】による電子決済や公共施設入場のためのセキュリティパス、ワイヤレス給電スポットと対応製品の充実化、血液公社への献血により納税の減額が受けられる【血税法】、などなど。淡海府でまずテストされたものが全国へと普及する仕組みが出来上がった。


 そして、都市機能に【ハログラム】をいち早く導入したのも淡海府だった。

 灰瀬ハイセボイド博士が大学院生のときに【光素ハロ】を観測できたのが奇跡と言っても良いくらいの出来事だったらしい。

 専門的な物理学や化学については不得手なこともありうまく説明する自信がないので、ハヤマ社の子供向け解説ページを参照する。

 なんでもこの空気中にありふれているハロという物質は通常は目に見えないものであるが、稀に起こる特定条件の電気信号を受けると、光を吸収して蓄えたり、また光を吐き出すという性質を持つ粒子であると言うのだ。電気を蓄える電池があるように、光を貯蔵する光素ハロ

 まだ未解明なところも多く、これはSFというよりファンタジーに近い超常現象だった。

 実験を重ねると細かい制御が可能となり、発光や吸光を自由自在に操れるようになる。つまり世界の構造を三次元ピクセルが集合する立体画面とすれば、任意の座標にあるハロの光源色RGBや反射物体色CMYを組み合わせることにより、空中に立体映像を投影する技術が可能になったのだ。

 【光素描画ハログラム】の誕生である。


 そして灰瀬博士たち大学チームの研究を元に、ハヤマホトニクス社がハログラム用シグナル電波入出力装置【ファイアフライヤー】を開発させる。

 ハログラムが魔法であるなら、ファイフラは魔法の杖だ。信号を発信する黄緑色の灯りが名前の通り『蛍』のようだった。

 ハロについては発光・吸光だけでなく、外部からの光の刺激を信号に変換する作用も発見されており、それを応用した光遮断位置測定方式によって従来のようなタッチ入力操作が可能となる。

 そうなれば、スマートフォンやパソコンなどのマルチメディアデバイスへ惜しみなく搭載されていく。ディスプレイの大きさという制約がなくなると両者の形状が同一小型化されて、その区別も必要なくなり、それら次世代デバイス全般の通称までもがファイフラと世間では呼ばれるようになったのだ。

 旧来のスマートデバイスで特徴的だった箱型やカード型から、身に着けるウェアラブルタイプが主流となり普及していった。腕時計型・ネックレス型・イヤーカフ型などバリエーションに富む。指向性スピーカーのおかげで耳を塞ぐこともなく、ワイヤレス給電が基本仕様なのでいちいち充電する手間もない。多くのストレス原因から人々は解放された。

 もちろん業務用に大規模な演算処理する場合には別途設置型のワークステーションと接続して補助が必要になるが、それも自宅や職場にあれば良く、通信が繋がる限り普段は持ち歩く必要がないのだ。


 ハログラムは携帯端末に限った話ではなく様々な分野へと展開した。

 照明、電光看板デジタルサイネージ、道路標識、道案内ナビ、家電やエレベーターなどあらゆるユーザーインターフェースの操作ボタン、体感型インタラクティブの映画やゲーム、建築モデルや測量図面、などなど。

 それまでディスプレイがあった場所、それ以上の場面でハログラムは溢れて今や目にしない時間はほとんどない。気分によって服や家具を好きな色味に変更したり、顔の化粧をハログラムで済ますことも可能となった。


 世界的な生活必需品となったハログラム。

 いくらファイフラを増産しても輸出しても供給は追い付かず、ハヤマ社の株価は爆上がりしてこの国の経済そのものを立て直すほどのこととなった。

 科学技術衰退国と馬鹿にされ続けた我が国は、完全に世界トップレベルへと復権を果たす。灰瀬博士もであれば、歴史的に偉大な科学者としてノーベル賞も確実であっただろう。

 何もない場所に何かが現れる。もちろん実体はないので触れることはできないし味も匂いもないけれど、これほど魔法と見間違える科学技術もないだろう。

 ハログラムをデザインする仕事は【ハログラマー】と呼ばれて今や一番人気な職種だ。

 さらに高度なハログラムを設計したり即興で出力するハログラムパフォーマーは魔法使いや魔女とも揶揄やゆされる。


 ――そして、僕はそんな魔術師たちの対極にいる異能とでも言うべきか。

 とにかく、この特異体質は。近づくだけで映像は乱れ、触れるとファイフラが故障する。

 幼少期はあまり自覚がなかったため、僕の行動範囲にて親が払った弁償費用を考えると胸が痛い。

 ハログラム、ファイフラが当然の社会において、僕みたいな人間は生き辛さを抱えるしかなかった。インフラ機能を利用しようにもトラブルは起こる。友達の携帯ゲーム機は壊れる。気づけば自分の周りに誰も寄ってこない。

 もう何もしないほうが、生きていないほうがいんじゃないかとさえ思ったこともある。疫病神だからな。


 長年こんな暮らしぶりであると、なんとなくだが壊れやすい状況と傾向があることに気付いた。

 まず自分が意識しない機械には影響がほとんどなく、近づいて注目したり触ったりすると異変が起きることが多い。さらに極めて高性能な電子機器ほど自分を嫌うのだ、ファイフラは特に。

 逆に蛇口を捻るだけの水道や、漕ぐだけの自転車はあまり壊れない。なので日用品は自然と電気を介さないアナログなものを使うようになる。趣味は紙の本での読書やボードゲームだ。

 しかし、一人でやるボードゲームほど虚しいものはない。昔は両親と、ハトコの幼女くらいしか付き合ってくれなかった。大学時代は吉野寮か部室にいれば誰かしら遊んでくれたな。あそこも電磁波とは少し隔絶された生活だった。

 そう、僕の身体は妙な電磁波でも出しているのか帯電しているのか。調べてみたことがあるが、非科学的なことを途方もなく垂れ流す情報しかなく、最後には怪しげなセミナーへと勧誘するものばかりだった。あり得ないことは起こり得ない。人の弱みに付け入る商売には騙されないぞ。

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