届く言葉

電磁幽体

「おはよう」

スーツ姿の父の抑揚の無い平坦な声が聞こえた。

父は食卓に着くと、あたしが椅子の上に置いておいた新聞紙を手に取り、それを広げて後ろのテレビ欄から読み始める。

電子機器からチーンという音とともに飛び出したトーストを皿に載せ、父のところまで持っていく。

「おまえ、今日は学校はどうした?」

あたしの服装を見てそう言った。

普段のあたしなら制服に着替えて、準備を済ませた上で二人分の朝食を作り始めるのだが、今日は着ていなかった。

「学校の記念日なの」

あたしの嘘に父はふーんと興味なさげにうそぶき、チャンネルを手に取り、電源を着けいつも見るニュース番組に合わせて、目の前のトーストを口に含み始める。

父が食べ終えるまで、あたしは漫画本を手に取り読むふりをしていた。

読もうと思っても内容が入ってこない。

終わりの無い後悔は永遠に胸を縛り付ける。

いつもなら考えないようにすることが出来ただろう。

なぜできないのかというと、それは『今日』だからだ。

食べ終わった父は出勤の用意をし、いつもどおり「いってきます」という言葉を二回言いながら家を発つ。

私と、食卓の上に置かれた美しい女性の写真に。




今日はどこにも出て行きたくなかった。

普段仲の良い友達にすら顔を合わせたくなかった。

当初は彼女らにあたしの罪をぶちまけ、楽になろうともした。

あんたが悪い、とでもストレートに言われれば胸がすっきりしたかもしれない。

しかし決まって帰ってくる言葉は、「あなたは悪くないのよ」。

それを鵜呑みにしてまるで許された気持ちになるあたし自身が嫌だった。

あたしが悪い、絶対的に悪い。

こうして自分で自分を呪わないと、あたしがあたしでいなくなるような気がした。

もう、いっそのこと今から、逢いに行こうかな。

消滅的な欲望に包まれたその時、携帯が鳴った。

一昔遅れた着信メロディを鳴らすそれを手に取る。

メールが一通。

それは本来この世に居ないはずの人から送られてきたメールだった。

涙を貯めた目を見開き、潰れんばかりの圧力でキーを押す。

たった二行の本文を読み、涙があふれ出す。

あぁ、あぁ、と声にもならない泣き声をあげてその場に崩れ落ちる。


お誕生日おめでとう。

学校はサボっちゃダメだよ。




10分近く経ったのだろうか。

涙を絞りきったあたしは制服に着替え家を発つ。

これで救われただなんて思っていない。

でも、一歩だけ前進した気がした。

また一歩踏み出せばいいだろう。

そして、いつの日か、『あたし』に戻ろう。

一年前のあたしに。

「行ってきます」

食卓の上に置かれた美しい女性の写真にそう言った。




これでよかったのだろうか。

スーツ姿の男は会社のトイレにいた。

今は亡きあの人の遺留品の携帯を手に取り一人思考に耽る。

丁度一年前、娘の誕生日の日だった。

本来ケーキをご馳走される側である筈なのに娘は一人で特大ケーキを作ってしまった。

私と娘はあの人の仕事帰りを待った。

娘がやたらめったらに早く帰ってきて!、と催促していた。

それは零時を過ぎれば誕生日という儀式的意味が無くなってしまうので、当然娘も焦っていたのだろう。

スピードを出しすぎた車は赤信号なのに渡ってくる高齢者に気づき、ハンドルを切り避けきるも勢いでそのまま近くの電柱に激突。

運転手は頭部打撲で即死だったと、警察は教えてくれた。




長きに渡る考察の末、結論を出す。

これでよかったのだ。

絶対にあの人は自分のために娘が落ちぶれていくのを快く思わないだろう。

そう、これでよかったのだ。

さて、仕事に戻ろうか。

そう思ったとき、自身の携帯が震える。

メールが一通。

それは本来この世に居ないはずの人から送られてきたメールだった。

目を見開き、潰れんばかりの圧力でキーを押す。

たった二行の本文を読み、堪えていた涙があふれ出す。

あぁ、あぁ、と声にもならない泣き声をあげてその場に崩れ落ちる。


お仕事おつかれー。

娘を、よろしくね。




END

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