第3話:ビールが飲みたい向かいの席の先輩は、不憫可愛い。
先輩が案内してくれたのは、会社の最寄り駅に隣接するビルの一角に入った居酒屋だった。何でもクラフトビールがたくさん置いてあり、お肉系を中心に料理も美味しいんだとか。
「……って、呑むんですか?」
「呑むよ?」
「明日、新歓ですよ?」
「……はっ!?」
……完全に忘れてたなこの人。
大きく目を見開いて数秒間フリーズしたのち、瞳をゆらゆらと泳がせて、
「ほ、ほら! 景気づけだよ! ゼロ次会ってやつ!」
「日付またいでゼロ次会する人なんて初めて見ました」
「うー……でももう完全にビールの喉になってるしー……」
そういって、メニューに並ぶやたらと長いビールの銘柄を指でなぞってしょぼくれる先輩。見えないはずの犬耳がすっかり垂れているのがわかる。
「……で、そのペールエール? でいいんですか?」
「……へ?」
「🍺の喉になってるんでしょう?」
「い、いいの……!?」
ポカンとしてた瞳に光が差したかと思うと、ものすごい勢いでキラキラト輝きだす。毎度毎度思うけど、表情豊かだなぁこの人。いつも眠たそうなんていわれる私とは大違いだ。
「最初から、呑んじゃダメなんて一言も言ってないじゃないですか」
「あっちゃーん!!!」
「わかったから飛び込んでくるのは止めてくださいここ外なんで」
向かいの席から身を乗り出してきた先輩の頭を掴んで押しとどめる。……あんまりジタバタしないで欲しい、隣の席のグループとか店員さんが向けてくる生暖かい視線が痛いから。
「で、あっちゃんはどれにするの?」
しばらく「ありがとー!」だの「大好きー!」だの言いながらジタバタしていた先輩がようやく落ち着いたころ、今更ながら周囲の視線を集めていたことに気づいたらしく微かに頬を染めながら問いかけてきた。
「うーん……じゃあ、このヴァイツェンってやつで」
「オッケー! すいませーん!」
先輩の声は、コットンみたいに柔らかいのに不思議と良く通る。木曜日ということもあってお客さんの入りはそれほど良くはないが、がやがやとした喧噪に満ちている店内の端のほうの席にいる私たちのところへ、すぐに店員さんが駆けつけてくれた。
「えーっと、一番と五番をお願いします!」
「すみません、一番は今日売り切れてまして……」
一番は先輩が頼もうとしていたなんとかかんとかペールエールだ。確かにメニューにも『一番人気』って書いてあるし、仕方ないのかもしれない。
「あ、えっと……じゃあ、八番!」
「申し訳ないです、八番も出ちゃってて」
「えぇっ!? ……っと、じゃあ、十一番は」
「……すみません、そちらも」
「……十三番は」
「……その、そちらも」
「なんでぇぇぇぇっ!?」
先輩の悲しい咆哮が、ほどほどに賑やかな店内に響き渡った。
その後、非常に気まずそうな店員のお姉さんに逆に残っている銘柄を聞いて、結果的に私たちは同じ五番のヴァイツェンを頼むのだった。
……ちょっぴりむくれながら豪快にジョッキをあおる向かいの席の先輩は、不憫可愛い。
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本日19時頃にもう1話公開予定です。
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