夫婦漫才って?
案の定、そこにいた。
海。
夕日で逆光なのに、杏樹の存在のほうが輝いていた。
岸際に上がってきた人魚よりも美しいと思えて、海風で髪がなびいている杏樹の姿は勉にとって、芸術的に思えた。
「嚙んじゃった」
杏樹に近づかなくても、すすり泣く声が聴こえる。
「勉は絶対、悪くないもん、ネタはいっつもすごいもん」
杏樹のそばにいって、勉は慰めるつもりでポンと頭に手をおく。
やはり杏樹は勉のネタが面白いということに関しては絶対に譲らない。
「すまん、悪かった」
日頃の杏樹の勉のネタに対する思いを否定して、泣かせてしまった一因が勉自身にあったので、とにかく謝りたかった。
そんな謝罪は求めていないと言いたげに、杏樹は首を振る。
「違うの、私の活舌が悪いの、一生懸命練習したのに」
「いや、まだ世間に認められるネタじゃないんだよ、俺のネタが審査員にとってはつまらなかっただけだよ」
勉が自分のネタをつまらないというのは、先ほどと違って、別に自分自体を否定したくて言いたいわけじゃない。
単に、M1向けのネタとしてはつまらなかったという敗因があるのを伝えたかった。
「違う、勉は面白いの。審査員さんはなんでわかってくれないの」
杏樹は意固地になって譲る様子を見せない。
「ネタを毎日欠かさず、書いているし、勉も面白いのに、勉の努力が報われないのはおかしいもん」
「そう言ってくれるのは嬉しいけど、努力が報われるとは限らないだろ、実際クラスの奴には馬鹿にされているし」
青空ライオンの漫才コンビの長所は、杏樹が可愛いことと勉は自負していた。
単に杏樹がかわいいことをアピールするネタを書いていただけで、クラスのやつらからも勉自身がつまらないと馬鹿にされているのを勉は知っていた。
「そんなの私は絶対認めないもん! 勉はすごいの!」
杏樹はやはり自分の意見を譲らない。
「笑うと人の寿命って伸びるんだよ、科学で証明されている。勉は健康を増やして、また大きな社会貢献をして、勉はすごいんだよ」
「ありがとよ」
杏樹は嬉しそうに「えへへ」と笑う。
「私、地味子だったの知ってる?」
杏樹がポケットからスマホを取り出して、「ほら」と自分の写真を見せる。
「私、清楚な黒髪ロングだったんだよ」
「なんだよ、すげぇ、かわいいじゃん、なんでまた」
杏樹は「えへへ」と頬をぽりぽりと恥ずかしそうにかく。
「私には夢があるの」
「なんだよ、急に?」
杏樹はすぅーっと息をすって、真剣な眼差しで勉を見つめる。
「私の大好きなおじいちゃんとおばあちゃんをもっと笑わせて、寿命を延ばしたいの。人生をもっと楽しんでほしいの」
杏樹の笑顔は他人を巻き込む力があり、周りも盛り上がっていく理由も勉も少しは理解できた気がした。
「いい家族だな、きっと両親も杏樹のこと誇りだろうな」
杏樹は「ふっ」と力が抜けたような笑顔を見せる。
その笑顔は勉の見たい笑顔ではなく、心がずきりと痛んだ。
「言ってなかったっけ? 私、両親いないの」
杏樹がぽつりとつぶやいた。
「え! ごめん」
勉はそれしか言えなかった。
うかつで短慮だった自分に激しい後悔を覚える。
「いいよ、別に」
杏樹はふわっと慈悲を浮かべた笑顔を勉に向ける。
しかし、それがかえって勉にとってはつらかった。
いつも家でさみしいと言っていたのはそういうことだったのか、と勉は今更気が付く。
「交通事故で死んじゃってね。 今はおじいちゃん、おばあちゃん、私の三人暮らしなの」
「笑わせたいってのは、そうか」
「私がいい子にいようとすればするほど、おじいちゃんとおばあちゃん二人とも辛そうだったからね」
杏樹は笑っているが、それも辛そうだった。
空元気だった原因はそういうことかと勉は腑に落ちる。
「だから、明るい女の子になろうと思ったの、ギャルに!」
杏樹は急に顔を上げて、勉に自分は大丈夫だよと必死にアピールをする。
「イメチェンしたんだな、すげぇ勇気だな」
杏樹のことは自分のつらい気持ちと必死に向き合っていた。
勉は杏樹の心のうちを何も知らなかった。
「うん、クラスの人は笑うようになったけど、でも物足りなかったんだ」
「物足りないか、そうだよな」
杏樹は空元気だった。
馬鹿みたいに明るかった。
理由は、自分の祖父母を悲しませないため。
そして、自分の両親がいないつらさをごまかすため。
「つらかったな」
「いいよ、勉がそんなことを気にしなくて」
「いつも空元気で笑ってるように見えたからな、気づいてやれなくてごめんな」
申し訳なさげに杏樹はしょんぼりとする。
「ば、ば、ばれちゃってたんだ。で、で、でもね!」
杏樹は急に顔を上げて、両手で胸の前でグーを作った。
「勉がいればそれができるんだよ! 私も本気で笑えるよ。私の寿命だってきっとどんどん延びてる! 笑わせることができるってすごいんだよ!」
そもそも勉はお笑いが健康につながり、人の人生に影響を与えるなんて壮大なことを考えたこともなかった。
自分は自分だけが面白いと思っているものを誰かに理解してほしいというエゴにまみれて、人のためとか、役に立とうなんて考えたことがない。
同じ価値観を持って、自分を理解してほしい、ただ自分のためでしかない。
杏樹と自分を比較して、すごさがますます身に染みた。
「俺って役に立てたかな? 杏樹みたいにずっと頑張ったわけじゃない」
「違うよ」
杏樹ははっきりと告げる。
「そもそも勉がいないと私の夢は叶わないんだもん! すごいのは勉だよ、そこまで頑張れる人なんていないよ、私はすっごく素敵だと思う」
杏樹はじっと勉の目を見つめて、真顔でそう告げた。
勉にとって何もかも魅力的な杏樹のそんな素晴らしい夢に協力が少しでもできているのかと思うと、泣きたくなるぐらいに勉はうれしかった。
「そこまで思ってくれてたのか」
「だからこそ勉の面白さを私だけが独り占めするのももったいないって」
楽しげにそう言った後、杏樹はぽつりと「まぁ、それも悪くはないけどね」ともつぶやく。
波の音にかき消されそうだったが、やけに勉の耳に残った。
はにかんで笑う杏樹の顔を見て、勉はかっと熱くなる。
無理して笑っているなぁと思ったら、杏樹の顔から涙がぽろぽろと出てきた。
「だから、やっぱり、く、くやしぐで」
本格的に杏樹は、泣き始めた。
「くやしいよー、なんで、勉が面白いってみんなわかってくれないの、ひどいよ!」
勉が杏樹と漫才を始めた理由は、杏樹だ。
杏樹に支えられたからだ。
何かを言わなちゃいけない勉は衝動にかられた。
「俺が見たいのは、杏樹の泣き顔じゃない」
勉は漫才中の大きな声でしゃべるよりも全力で声を張り上げた。
杏樹は泣くのをやめて、見上げて来る。
「笑顔だ」
勉は杏樹の肩をふっとつかみ、目を見つめて、本気だという気持ちを伝える。 驚いたような顔で杏樹は勉を見返す。
「杏樹の笑顔を毎日作れる男になりたかったんだ」
勉は自分の思いの丈をぶつける。
「告白?」
杏樹はいつの間にか泣き止んでいた。
代わりに前かがみで、にやにやしながら、下から覗き込んできている。
「え、え、そういうつもりじゃなくて」
告白したつもりがないのに、そういうニュアンスになって、急に恥ずかしくなってきた。
しかも、なんとなく胸が見えそうでエッチな気分がしてきて、勉はなおさらドキドキする。
杏樹のエロさ、かわいさは思春期の勉にとって、蠱惑的すぎて、平静をよそうつもりで精いっぱいだった。
「なるほどねっ! 勉って私のために漫才やってくれてるんだね!」
杏樹は「にひぃーっ」と真っ白い歯を見せながら、すごく嬉しそうにしながら頬を手にあてて、くるくると回って、勉の正面を向き直った。
「ねぇねぇ、クラスの人からうちらの漫才なんて云われてるから知ってる?」
「急になんだよ」
杏樹は「あのね、あのね」と両手で口を隠して、もったいぶりながら、近づいてくる。
「めのと漫才」
急に杏樹は耳打ちをしてきた。
「め・お・と漫才だろ、大事なところで噛むなよ」
「うぅーっ」と杏樹は顔を赤くする。
「で、なんだよ、夫婦漫才がどうした?」
「いっそのこと、うちらの漫才のキャッチコピーにしない?」
杏樹は手を後ろに回し、小首をかしげる。
この日一番の笑顔を杏樹は浮かべていた。
本当にきれいな笑顔だ。
勉はこの笑顔を作ったのが自分だと思うとすごい誇りに思えた。
「今の私の憧れはね」
杏樹はキラキラした目で勉をまっすぐで見つめる。
「悲しんでる私を思いきり笑わせてくれたみたいにおじいちゃんとおばあちゃんを思いきり勉と一緒に笑わせたい」
杏樹は真剣だった。
勉は今度こそ自分の思いをはっきりと伝えようと決意する。
「任せろ」
ネタをしっかり書く。
それだけは勉はやってきたので、決意を改める。
「あ、でも、すごく素敵な旦那様ができたよっていうとそれだけですごく笑うかも」
杏樹は口に両手を抱えて、「くふふ」と嬉しそうに笑う。
「やめろよ」
勉は真面目だった雰囲気が甘ったるい雰囲気に急に変わり、いたたまれなくなる。
「あはは、照れてる」
杏樹は涙を流して笑っている。
勉は今日の杏樹の笑顔はいつもに増して魅力的であることを嬉しく思う。
「天国にいる私のお父さんとお母さんもきっとすっごく笑ってるよ」
「だといいな」
勉は夫婦アピールされる恥ずかしさもあるが、気の利いた返事が返せなかった。
そんな勉を杏樹は愛おしそうに見て、「にっ」と笑いかける。
「はいっ、私から提案があります」
「なんだよ、言ってみろよ」
「お笑い芸人さん見てて思ったんだけど、奥さんの名前を呼ぶだけでギャグになることあるじゃん。愛情ってお笑いそのものじゃない?」
「やればいいのか?」
勉は恥ずかしさを必死に我慢して、返事をする。
杏樹なりに新しい道を切り開いてくれてるんだから勉は期待に応えようと思った。
「勉にそんなことできるのー? じゃあ、試しにやってみてよ」
すごく嬉しそうに、杏樹は馬鹿にしてきた。
「いいぜ、言うだけだろ、やってやるよ」
挑発されたならリクエストに答えるしかない。
「杏樹」
勉は杏樹の目を本気で見つめて、心を込めて名前を呼ぶ。
「え、なーに、聞こえない」
勉の声が、波にかき消されてしまったようであり、杏樹はにやけながらわざとらしく聞き返す。
「杏樹―!」
「ばかじゃん、叫んでるだけじゃん」
杏樹は照れくさそうにはにかんでいる。
「杏樹のことが大好きだ」
「ばーか、ぜんっぜん面白くない」
杏樹はまんざらでもなさそうにそっぽを向いた。
「あのさ、これだとただいちゃついているだけだろ、M1はどうするんだ?」
杏樹はこの日一番の笑顔を見せつけてくる。
「もっちろん、いつでもするんだよ。学校でも次のM1でも私のおじいちゃんとおばあちゃんの前でもこれからずっと毎日ね」
勉は杏樹の笑顔をさらに引き出すため、M1でもいちゃいちゃな夫婦漫才を書かなきゃならないと思うと恥ずかしすぎて、少し胸が痛くなった。しかも、杏樹の祖父母に自分たちのいちゃいちゃぶりを見せるとか恥ずかしすぎて死にたくならないか勉は自分の生命が無事であれるか心配になってきた。
「また、練習するか。杏樹、恋人に好きって気持ちを照れ隠しで伝えるときのばか」
「ばーか」
以前は杏樹がはにかみながら、嬉しそうに目を細めるだけだった。
でも、全開の笑顔で勉のことが大好きだと誰もがわかるっていう風に言うようになった。
キャッチコピーが夫婦漫才だとはっきりすると、以前にもまして杏樹の魅力が引き出せて、面白い漫才になると勉はすごく実感ができた。
「次のM1もっといい漫才ができそうだな、世界に杏樹が魅力的だって証明してみせるよ」
勉は杏樹に思いを伝えるため、耳元でそう伝えながら、抱きしめる。
「ばーか」
さすがに今度は恥ずかしいのか、杏樹は勉にしか聞こえない程度にささやいた。
こうして、これから勉と杏樹はM1でも日常でも夫婦漫才を続けていくお互い決意した。
夫婦漫才~相方のギャルが明るい、かわいい、あと自慢したい 丸尾裕作 @maruoyusaku
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