哀悼傷身

白河夜船

哀悼傷身

 知り合いがよく死ぬんだよ。



 私が一人暮らしであるために、諸々都合が良いと思ったのだろう。飲んでいたら終電を逃したとかで深更、部屋へ押しかけてきた友人・Yは酒の勢いに任せてそんなことを話しつつ、自分の左耳に触れた。凝固した血が僅かに張り付いた耳朶は、ほんのり赤みを帯びており、つい先刻ニードルか何かで穴を開けたものと思われた。

 ただ、ピアスホールを安定させるためのファーストピアスは嵌まっていない。

 Yはいつも右耳にシンプルなデザインのシルバーピアスを付けているので、そのままではすぐ穴が塞がるということを知らぬわけではないはずだが――不思議に思って尋ねてみれば、先の一言をぽつりと零し、Yは滔々と何の関わりがあるか定かでない妙な話をし始めた。



 悲しいかな、半年に一人二人はきっと死ぬ。あんまり死んで気が塞ぐんで子供の頃、しばらく精神科に通っていたことがある。先生はたまたま不幸が続いただけだ、気にしすぎは良くないと言ってくれたんだけど、言ってくれた一週間後に死んだから悲しいんだか可笑しいんだか何とも難しい気持ちになった。

 どうしてこんな風になったのか。偶然なのか。理由があるのか。理由があるとしたら、きっかけは? 色々考えたけど、分からない。物心ついた時にはこうだったんで、もしきっかけと呼べるものがあるとすれば、それは幼少期の朧な記憶と自我の中に埋まってるんだろう。

 知り合いがよく死ぬんだよ。

 近しい者、親しい者は皆死んで、僕の過去を詳しく知る人間はもういない。子供時代は交友関係や行動範囲が制限されるから余計にね。……知り合いが少ないと、大事な人がすぐ死んでいけない。死の順番に法則があるとかじゃなくて、単純に確率の問題さ。くじ引きと同じで、アタリの数が多くてハズレの数が少ない場合、アタリが出やすい――みたいな。宝くじはその逆だから、全然アタリ出ないよな。

 はは。

 だから僕、アタリを引かないよう知り合いたくさん作ってるんだ。いや、作らなければ死ぬこともないんだけれど、作らないと既存の友人やら恩人が必ず死ぬから。回避する方法知ってるのに何もしないって、それはそれでなんか厭じゃん。けど、関わり過ぎると情が湧く。別に死んでもいいかなって思ってた他人がそうじゃなくなるわけだから、そしたらまた知り合い作って……その繰り返し。終わりが見えない。まぁでも恋人は、やたらに作らない方がいいらしい。こないだ、恋人Aが恋人Bを刺し殺して、その足で僕を殺しに来たからね。物騒だ。


 ああ。ピアスホールの話だったね。


 これでも、何度か死のうとしたんだよ。僕と関わったせいで死ぬのなら、僕という存在が消えてしまえば、そうしたことも無くなるんじゃないかと思ってね。うん。見ての通り、駄目だった。確かに死んだはずなのに、今もこうしてここにいる。

 なんでかなあ。死ぬと、必ずどこかで目が覚めるんだ。自室のベッドだったり、電車やバスの中だったり、色々。悪い夢を見た直後の、身体の芯がぐっと現実に引き戻される、というか何かに無理矢理引っ張り上げられるような感覚……分かる? あれと似た感覚がして、瞼を開くとそれなりに心当たりがある場所でピンピンしてるだもの。厭になるよね。全部夢だったのかな。確かに死んだと思うんだけど。


 まぁとにかく、死のうとしてもうまくいかない。


 そしたらさ、くじ引きを繰り返すしかないんだよ。自分の人生がこうであることを諦めて、受け入れて、折り合い付けて生きてくしかない。けどやっぱり知ってる人間、殊に情を抱いた人間が死ぬと気持ちが沈む。喪に服さないといけない気がする。

 キリがないんだよな。

 誰かの喪が明けない内に、誰かの喪が始まっちまう。簡略化しないとやってられない。で、どう簡略化するかが問題なんだけど―――痛みというのは偉いものでね。ただそれを経験しただけで、何かの儀式を立派に熟したような心持ちなる。例え、短期間であってもさ。身体に痛みを刻むことで喪が始まって、傷が癒えたら喪が終わる。視覚的にも感覚的にも分かりやすい『儀式』だと思わないかい。

 リストカット? やらないよ。傷跡が残りやすいし悪目立ちする。悪目立ちしたら、知り合いと呼べる人間ができにくくなるから困る。かと言って、傷を隠したいわけじゃないんだよ。僕にとって傷は弔意だからね。弔意に後ろめたさを感じて、隠さねばならない状態は不本意だ。ほら、ピアスホールこれなら見られてもさ、失敗したんだとか何とか結構言い訳が利くだろう……言い訳? あれ。結局隠してるような?

 ………

 畢竟ひっきょう、弔意なんざ自己満足だ。僕が納得できればいいか、うん。ピアスホール――実際は違うからもどきだな。もどきを開けた理由は、まぁ、そんな感じ。



 一頻り話して満足したのか、ふぅ、と息を吐き出してYは自分の左耳に触れた。凝固した血が僅かに張り付いた耳朶は、ほんのり赤みを帯びており、つい先刻ニードルか何かで穴を開けたものと思われた。Yの話が与太や冗談でないのなら、知人――弔意を示したい程度には親しい誰かが最近、ことによっては今日死んだということなのだろう。

 私はYの右耳を見た。

 シンプルなデザインのシルバーピアス。

 穴を開ける。傷を付ける。それ自体に特別な意味があるのなら、穴を定着させたことにもまた、何かしら特別な意味があるんじゃないか。


 例えばそう。喪失感を、傷を、忘れたくない誰かがいたとか。


「……私が死んだらピアスホール、残してくれるか?」


 ふと思い立って尋ねてみれば、もうすぐ死にそうな奴の台詞だな、とYは曖昧に微笑した。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

哀悼傷身 白河夜船 @sirakawayohune

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ