小春日和の花畑で
藍沙
小春日和の花畑で
指先から飛び立っていく蝶を眺めながら、昨日と同じことを考えた。
今、青空を背景にオレンジ色の美しい羽を羽ばたかせるあの虫――
あたしの住む地域では、秋の入口くらいになるとこの蝶がよく見られる。季節の訪れを伝えてくれる自然の使者。
……と、そんなことはさておき、だ。
ツマグロヒョウモンが見えなくなるとあたしは自分の手のひらを見つめた。
昨日と何ら変わらない、なんなら、見た目だけなら他の人とも変わらない。
あの蝶は先程まで、動くのすらままならない状態だった。
花畑の中を、十月の冷たい風が吹き抜ける。
揺れるフードを抑えながら、青空を見上げた。
なのにあたしが触れた途端――、まるで羽化したての若いもののように、元気に飛び立っていった。
こういうことは、よくある。
たとえばそれは、死にかけの
自分でも何故か、わからない。
わかるわけがない。
周りにわからないのだから。
小さい頃からこの力は、ずっとずっと、気味悪がられた。
気持ち悪いと言われた。
でも何が一番嫌だったかって、それは、あたしの好きな虫たちまで、周りが罵倒するからだ。
『なんで元気にしちゃうの?生き返らなくてよかったのに』
『うわ、虫なんて生き返らせてどうするの?』
『虫が好きなの?なんであんなののこと』
たくさん言われた。
あたしが虫を元気にするたびにその声の数は増えていって、あたしの身体の中に溜まっていった。
なにも、悪いことなんてしてなくない?
ずっと、訴えているのは心のなかでだけ。
今日 助けたツマグロヒョウモンも、もしかしたら、本当にもしかしたらだけど、おんなじことを思っていたのかもしれない。
――あたしはあたしの命を全うしようとしてたのに、どうして自然が決めた期限を長引かせるの?
さっきの光景を思い浮かべて、そう、心のなかでアフレコしてみる。
以外にしっくり来てしまって、ぞっとした。
あたしは、この力を、なくさなければいけないのかもしれない。
そう、思っていたときだ。
足元に、羽が大きく傷ついた
反射的に手を差し伸べかけて、躊躇った。
初めて、自分の力を使うのを、迷ってしまった。
この蝶は、それを本当に望んでいる?
そのとき、横からすっと、誰かの手が伸びた。
ハッとしてそちらを見やる。
色白の細い腕を持つ誰かは、アゲハチョウを両手で優しく包み込むように持ち上げた。
中学生、くらいのお姉さんだった。
髪は明るい茶色でハイポニーテール、濃いオレンジ色のTシャッに、下は薄いオレンジの短パン。
この時期にしては寒すぎる格好をした彼女は、目を閉じてしばしの間なにかを祈っているような顔つきになったあと、両手を広げた。
その中のアゲハチョウの様子に、目を瞬いた。
だってそれは、あたしの――。
「びっくりした?」
空に飛び立っていく蝶を見上げていたら、頭上から声が降ってきた。
さっきのお姉さんだった。
「え、いや……」
あたし以外にも、いるんだ。
そう言いたいのに、声が出てこない。
それを単純な驚きだと思ったのか、お姉さんは、
「なんかね、ちっちゃいときからできるんだよねー」
と苦笑いして見せる。
それ、あたしもできる……。
だけど言えなかったのは、たぶん、お姉さんは自分の能力を恥ずかしいと思っていなかったからだと思う。あたしは、思っていたから。だから、後ろめたくて言えなかった。
お姉さんは、屈んであたしと目線を合わせると、
「元気になった虫さんたち、見るとホッとするんだ」
と笑った。
その瞬間、喉の奥からこみ上げてきた疑問が口をついて出た。
「虫さんたち、嬉しいの?」
あたしのことばに、お姉さんは「ん?」と首を傾げる。
どう答えるんだろう――。
あたしがじっと見る中、お姉さんはあっけらかんとした口調で言った。
「だって、死にたくなくない?みんな」
その言葉を聞いた瞬間、ハッとした。
胸の中に蓄積された黒いものが、どこかへ吹き飛んでいくような。
こころなしか、自分の今までの所業を「いいよ」と認めてもらえたような(現実には、あたしは能力があると言っていないのだけど)、そんな感情がこみ上げてきた。
その一種の爽やかな感情は、お姉さんと別れてからも続いた。
あれから七年の歳月が経った。
中学生になったあたしの能力は、まだ続いている。
あたしは、あたしの能力を、もう、恥ずかしいものだとは思わない。
生きようとしている虫さんたちを、自然の使者として生き永らえさせる。
いつか、あのお姉さんにとってのあのときのあたしのような存在が現れたときに、胸を張って自分の能力だと言えるように。
あのお姉さんに会ったときに、自分も同じ能力があるって、言えるように。
小春日和の花畑で 藍沙 @Miyashita-Aisa
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