第2話 無杖と無詠唱の凡夫
無事86名が入学式を経て、聖アヴァラルド学園の一員となった。
100点満点中15点の新入生代表挨拶を終えたアルトは、他の新入生たちとともに校舎の案内へと向かって──いなかった。
「前代未聞だ!!」
聖アヴァラルド学園理事長・ロミオ・アヴァラルドは熟した木の実のように顔を紅潮させる。執務机の向こうに立つふたりの問題児へ、怒りの視線を交互に向けながら。
「入学式直前にウィザーズ!? バカかキミらは!?」
怒気の籠もる口調。五月雨のごとく飛ぶ唾。
生徒を思うが故の、本気の叱責である。
「申し訳ありません」
アルトの横、もうひとりの当事者たる少女クローニャは、深々と最敬礼で謝罪を繰り出す。
「すみませんでした……」
それにつられてアルトも頭を下げようとするのだが、ロミオがそれを制す。
「いやいいんだ、ミスター・ライン。君は勝ったからそれでいい。問題は……ミス・ミスタリア」
「はい」
クローニャは頭を下げたままだ。きっと許可があるまで、その姿勢を崩すことはない。
「状況は他の学園生たちから聞き及んでいる。君が挑んだ勝負らしいじゃないか」
「………はい」
「何故だ」
「………」
スカートを脱がされ、衆目にあられもない姿を晒され、恥をかかされたから。
そう素直に口にすることもできる。もしかすると多少の同情を誘い、弁解の余地を生むかもしれない。
しかしそれをクローニャのプライドは許さない。全て言い訳になってしまう。今ここで、どのような言葉を放ったとしても、彼女にとって最大の屈辱である『敗北』の事実は揺らがないのだから。
下着や素肌を人前に晒すより、クローニャには負けたことを恥じていた。勝って当たり前。頂点に立って当たり前。常に自分が正しく、一番強い。そうでなければ恥じるし怒る。血が、家柄が、生い立ちが、性格がそうさせ、そう思わせ、そう考えさせてしまう。
気高いほどの意地は、しかし嘘をつくことも許さない。
「勝てると、思ったからです」
それゆえ彼女は事実の一端のみを正直に、震える声で言うに留めた。
「だが負けたね」
「…………」
「ルールに則ったとはいえ、タイミングに良識がなさすぎる。従って全科目評定マイナス100点からのスタートとする。本当に。学園史上最速の敗北者だよ、君は」
「………ッ、はい……申し訳ありません………」
「待ってください、全部俺が──いってぇ」
クローニャのローファーのかかとがアルトの足の小指を的確に踏み抜く。
「これ以上ワタシを惨めにしないで」
ボソボソとした声と、僅かに垣間見えた猛禽のような彼女の視線に気圧され……アルトは目を伏せ黙ってしまった。
「ミスター・ライン。勝利は勝利だ、おめでとう」
「いえ、や、あの」
「いにしえの魔法使いが如き『
理事長の言葉がクローニャの中でリフレインする。
【無杖無詠唱】
すなわち、「杖を用いず」「詠唱すらしない」魔法の使い方。
そんなものは存在しない。
そのはずだ。常識的に考えて。
魔法とは、身体の循環器系、つまり血液の流れで『魔力』──空気中を自由に漂うとされる不可視のエネルギー──を循環させ高密度化、圧縮した魔力を放出することで自然現象を超自然的に再現する行為を意味する。
人体が水を張ったプールとすれば、魔力は塗料。塗料が流し込まれたプールの栓を抜き、流れ出す色付きの水が魔法である。
ただし人体はプールという容れ物である以上、自力で塗料を中に入れたり、勝手に栓を抜くことはできない。魔力の操作は人体には不可能なのだ。
魔力を外から取り込み人体へ、そして人体を介してまた外に放出。つまり塗料を入れ、栓を抜く役割を担うのが……現代の「魔法の杖」。詠唱は「杖」ごとに定められた魔力の放出方法を指定する文言。プールの水に混ぜる塗料を何色にするか、の合言葉である。
魔法の行使に魔力が必要で、その魔力を人体に取り込み放出するには「杖」が必要、そしてその「杖」を動作させる詠唱も不可欠。
世代を経るにつれ魔力を体内に取り込む機能が退化したとされる現行人類が、魔法を使うにはそれしかない。それがここ数百年続く魔法の歴史から導き出される常識だ。
「流石なのだが……入学式リハーサルの無断欠席、そしてお粗末な本番での挨拶と来た」
「それはその、本当に、すみません」
「相殺で全科目プラス10点からスタート、ということにしようか」
一瞬、その点数を彼女に分けてあげられないものかと考えたアルトだったが、先程のクローニャの言葉が過ぎり、余計なことを言うのは、やめた。
「俺は……はい。それで全然」
ふぅん、と鼻から息を漏らし、ロミオは肘掛け椅子に深くもたれかかる。顔は未だ薄ら赤く、表情も変わらず険しい。
「君たちは黒服だ。一学年に5人しか選ばれない、授業料全額免除の特待生。『我々が育てたいから招き入れる』特別枠。学園の顔。だから、落ち着きが必要だよ」
トントン、と太い指が執務机を叩いた。
「特にミス・ミスタリア。余計なお世話かもしれないが一応言わせてもらう。ご家族の看板には泥を塗らないように振る舞いなさい」
「……はい」
「以上」
半ば追い出されるようにして、ふたりは研究棟最上階・理事長室の外へ出た。
居心地の悪いアルトは、クローニャの顔色を伺うべくチラチラと様子を盗み見る。それに気付いた彼女は
「なによ」
と最小の語句で苛立ちを表現した。
アルトは尋ねる。
「看板、って?」
そこで初めて目と目が合った。
クローニャの端正な顔立ちに面食らうアルト。その反対に、彼女は彼の頼りなさげな顔と無知ぶりに、怒りを通り越し呆れたような様子を見せた。
大きなため息をぐっと堪え、クローニャは質問の体を成した解答を寄越した。
「ミスタリアって聞いて、思い浮かべる実業家は?」
「…………【黒猫工房】の社長。シャルウィン・ミスタリア。『魔法の杖』会社御三家の」
「その現社長の娘」
「が、ミスタリアさん?」
無言と無反応で、クローニャはそれを肯定する。
「あぁそういえば杖に猫、いたね。黒猫工房のなんだ」
「……アナタ濡れてたのに、いつの間に」
「乾かした」
「魔法で?」
「そう」
「無杖無詠唱」
「うん」
「……………」
「その。本当にごめん」
「だからやめて。負けたのはワタシ」
「でもパンツ──」
「憐れみはいらないの。アナタみたいな常識外れならなおさら」
クローニャがくるりと背を向ける。
「許すわけじゃない。ゼッタイ。だから気安く話しかけないで」
表情を見せないまま強い言葉を放ち、彼女はどこぞへと歩き去ってしまった。
引き止める術も話題も持ち合わせないアルトは、かと言って自分はどこに行けば良いのかすら分かっていないため、何となく、クローニャが向かった方とは反対側の廊下へと進むことにした。
座学が行われる教室棟。入学式などの行事や集会で使用される大講堂。1階は食堂も兼ねる学生寮、生活棟。そして教職員の部屋や備品倉庫、実験室や資料図書館も兼ねた学園の中心部、研究棟。
建てられた時代から増改築を繰り返し、四棟となった建造物がそれぞれ役割を持つ聖アヴァラルド。ここに中庭と、校舎裏手にあるふたつのウィザーズ専用グラウンドとが加わり、最大・最高の魔法学園が完成する。
アルトは30分ほど校舎内をくまなく迷い尽くした後、たまたま通りすがった教員に助けられ、他の新入生たちと合流。校舎案内も終わりかけだが……幸か不幸か、散々歩き回ったおかげで全体の3割ほどは彼も既に知るところだった。
再び入学式会場ともなった講堂に集まることとなり、その最後列にひっそり紛れ込んだアルトは気づく。
クローニャの姿が見当たらない。それどころか、他の黒服がひとりもいない。
「あの」
アルトはたまたま近くにいた女子に小声で話しかける。驚いた様子の彼女は太い眉をハの字にして
「ど、どうしたの……?」
と一応の愛想笑いを浮かべた。
彼女、セクレタ・アーシスの愛嬌のある雰囲気に心を許すかたちで、アルトは尋ねる。
「ほかの黒服の人、いないみたいだけど」
「え…と、知らないの?」
「何を」
「特待生は式典と大会以外は自由出席なんだよ。授業とか、こういう簡単な行事とか、出なくていいの」
「えっ」
なにそれ、という顔でアルトが固まる。
「──あっ、あなた今朝の」
その間の抜けた表情にセクレタも彼が何者なのか思い出した。
トーンを抑えきれず溢れた二人の呟きがじんわりと講堂内に響く。それは当然、淡々と、そして流暢に学内施設を案内していた教員の耳にも届いた。
「そこ。静かに」
「すっ、すみません」
セクレタに続き、「すみません……」とアルトも頭を下げ、しばし沈黙が訪れ──皆が彼を見た。
ここにやってきた唯一の黒服。冴えない男で、黙っていれば到底目立たないだろうが、既に代表として壇上に上がった彼を知らないものはいない。時間も経ち、彼とクローニャとが戦ったという話も広まった。無論無杖無詠唱のことも。
期せずして最大の注目がこの場でアルトへと向かい、誰かがポツリと口にする。
「アレが『最速の勝利者』かよ」
恐れ、尊敬、興味、好奇心、あるいは「こんなヤツが」という落胆。様々な思いの入り混じった瞳が彼を見つめる。こそばゆい感覚に眉を顰めながら、アルトは改めて
「なんか……すみません……」
と青い顔で再度謝り、胃のあたりを擦った────。
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