嘘手記のこと

『これを読んでいる、あなたへ


 私はもうすぐ死ぬかもしれません。怖くて怖くて仕方ありません。どうすればいいか分からずに怯えていたら、隣に住むアスカさんが、いま怖いと思っていることを言葉にしてみれば、すこしは冷静になれるかもしれないよ、と教えてくれました。私は吐き出したいことすべてを、このノートに書こうと思っています。だけどこれを見られてはいけません。もしも見られたら、私は殺されてしまうかもしれないからです。


 この村は呪われています。

 燃えて、なくなってしまえばいいのに。


 この村は空音村と呼ばれています。正式名称は違います。でもこの村の人間で、真面目に正式名称で、この村の名前を呼ぶ人間はいません。


 私には幼馴染がいます。Sくん、としておきましょう。私と同様、数少ない村の子どもで、でももう私たちは高校生だから、子ども、って言葉を使うと、ちょっと違和感があります。若者のほうが適切でしょうか。


 私たちは幼馴染であり、もしかしたら恋人だったのかもしれません。恋人の定義ってすこし難しいですね。たぶん私たちはお互いに好意を持っていたとは思うのですが、だからと言って、「私たち、って恋人だよね」って確認しあったことはありませんから。だけどいつも一緒にいたから、近い年齢の相手があまりいなかったから、一緒にいるしかなかったのかもしれません。もしかしたらSくんは、私と一緒にいることを心の底では嫌がっていたかもしれません。だとしたら、とても悲しいです。


 Sくんはいま、診療所にいます。この間、見に行ったら、ぱんぱんに腫れあがっていた顔は包帯で隠されていて、包帯に隠れていないわずかな部分から、私をじっと見ていました。怒っているのか悲しんでいるのかも分からない目でした。でも怒っていたし、悲しんでいたし、憎んでもいた、と思います。だって私も、彼をこんなふうにした共犯者でしたから。共犯者、という言葉を使うと、お父さんとお母さんは怒ります。


「私たちは間違ったことはしていない。なぜ恥じる必要があるんだ!」

 同じ言葉を、自分に言い聞かせてみたこともあります。私は悪いことなんてしていない。私は間違ったことなんてしていない、と。だけど無理でした。


 嘘を隠そうとする者は空音様の怒りを買い、村に災厄が起こる。

 この村に住む者なら誰でも知っている言い伝えです。私も幼い頃から何度も聞かされました。そしてこの村の人たちは誰もが、この言い伝えを信じているのです。すくなくとも表向きは。だから定期的に、あんなことが起こるのです。


 初めてそれを見たのは、私が七歳の時でした。

 両親が村長の家に招かれたと言って、私は両親に留守番を任されました。たまに両親がそうやって夜に出掛けて、私がひとりになることがありました。テレビを見たり、本を読んだり、広めの空間に自分がひとりだけ、独占できるような感覚は幼い頃、解放感があって嬉しくはあったのですが、心配になることもありました。


 このまま誰も戻ってこなくて、私は永遠にひとりぼっちになってしまうんじゃないか、と。そんな不安です。


 そんな時、私は想像をしました。現実の不安から逃れるため、頭の中で物語を創るのです。逃避のためだけの、誰にも見せることのない物語です。


 だから私はあの時、自分の見た光景が現実のものではない、と考え、私の妄想の地続きにあったものと考えるようにしていたんです。そう、言い方を変えてしまえば、悪い夢を見てしまった。


 あの日、留守番をしていた私は家を出て、村長の家に向かったのです。

 村長の家の前にはちいさな公園があって、公園灯に照らされるように、村の人間たちが群れを成していました。群れ。そんな言葉が似合うような光景でした。私は近くの茂みに隠れて、その様子を覗きました。かなりの至近距離でしたが、彼らは夢中になっているせいか、気付かれる不安さえ感じることはありませんでした。


 村長もいましたし、両親もいました。

 ひとりの男性を、集団が囲んで、殴ったり、蹴ったり、しているのです。


 男性は私の家の三軒となりに住むおじさんでした。愛妻家として知られていて、通学の時にすれ違うといつも優しく挨拶してくれるひとでした。


「本当のことを言え」「嘘をつくな」「本当のことを言え」「嘘をつくな」「本当のことを言え」「嘘をつくな」「本当のことを言え」「嘘をつくな」「本当のことを言え」「嘘をつくな」「本当のことを言え」「嘘をつくな」「本当のことを言え」「嘘をつくな」「本当のことを言え」「嘘をつくな」「本当のことを言え」「嘘をつくな」「本当のことを言え」「嘘をつくな」「本当のことを言え」「嘘をつくな」


 彼らはそのおじさんに、繰り返し繰り返し、そんなふうに言って、私には何のことか分かりませんが、何かを言わせたがっているのは分かりました。おじさんが苦しそうな顔をしながら、やっとやっとのことで言葉を吐いても、「嘘だろう」「それは嘘だろう」とおじさんの答えが認められることはなくて、また殴られて。お母さんもお父さんも、その暴力の輪の中にいました。


 見たくないのに、私は目を逸らすことができませんでした。

「……全部、本当です。村長の言う通りです」


 おじさんがそう言うと、

「偉い。よくぞ言ってくれた」

 と村長がおじさんを抱きしめました。そしておじさんは動かなくなってしまいました。


 誰かが、「あちゃー、久し振りにやり過ぎたか」と言っていました。場に似合わない、明るい声でした。私は死体なんてそれまで見たことがありませんでしたが、間違いなくあれは死体だ、と確信していました。


 私は逃げました。彼らの熱が覚めて、私に気付いてしまったら大変なことになる、と思ったからです。


 家のふとんで、ひとり震えていました。

 お母さんが帰ってきました。


「ただいま。お父さん、ちょっと遅れるから」

 お母さんの言葉を聞きながら、あぁお父さんは死体を捨てにいってるんだ、と思いました。そんなイメージが私の頭に浮かんだのです。私はそれから数日、あれは悪い夢だ、と自分自身に言い聞かせました。するとある程度、本当にそう思えるようになってきました。そのくらいあれは非現実的な出来事でしたから。


 でも両親が夜、「村長の家へ行く」と家を離れるたびに、心臓が強く音を立てました。やっぱり、あれは、と……。


 二度目に私があの集会に関わったのは、高校に入ってすぐのことでした。高校は市内の高校までバスと電車を使って、通学していました。同じ村の子で、私と同じ高校に通っていたのは、Sくんだけでした。


 あれは確か一緒に電車に乗っている時だ、と思います。


「たまに村の人間が行方不明になるだろ」

「……うん」

「この話、誰にも言わない、って誓えるか」

「えっと、……う、うん。頑張る」

「絶対、って誓ってくれ。じゃなきゃ、言えない」

「じゃあ、聞きたくない」

「無理に、とは言わないが、聞いて欲しいんだ」

「その言い方が、無理に、だよ。……分かった。誰にも言わない」


 Sくんが話してくれたのは、私があの集会で見たことそのまま、でした。


 Sくんはある時期から、村長をはじめとする一部の村人たちに不審を覚えていて、定期的に行われる集会のことも知り、こっそり調べていたらしいのです。


「定期的にあいつらは、嘘をついている者を探し出して、『真実を告白せよ』って相手に迫るんだ。で、拒否すれば、リンチされて、本当のことを言うまで殴られ続ける。なんとか潰せないかな、あの連中」


 私の両親がその集会に関わっていたことを、Sくんは知りませんでした。知っていたら、私に言わなかったでしょうから。


「そろそろ、あなたにも知ってもらう時がきたと思う」


 ある夜、母が私に言いました。


「お父さんと相談したんだけど、やっぱりあなたも『こちら側』の人間だから、早めに知ってもらったほうがいいかな、って」


 私は両親に連れられて、村長の家を訪れました。昔から思っていましたが、村長の家は、村長だけあって、やはり豪邸でした。


「もう準備はできているよ」

 村長が優しい声音で言いました。昔から村長のこの穏やかさが怖かった。幼い頃にあの凄惨な光景を見てしまったから、かもしれません。いえそれよりもずっと前から、私は村長に怯えていたような気もします。


 村長と数名の村のひとたち、そして私と両親。みんなで公園に行きました。今回は隠れていただけの前とは違います。私もひとりの参加者です。


 もうあなたもきっと気付いていることでしょう。


 Sくんが手足を縛りあげられ、地面に寝かされていました。もうすでにいたるところに暴力の痕が残っています。


「正直に言う気になったか。嘘などついても、誰の得にもならない」

 Sくんが首を横に振りました。


「俺は、俺は、何も知らない」

 私は横にいたお母さんに耳打ちしました。「なんでSくんが……」


「彼は、嘘をついたから。真実を告白してもらわないと」


「そうだ」

 と横から口を挟んできたのは、別の村のひとでした。私のあまり知らないひとです。そのひとがこの異様な雰囲気にあてられてなのか、嬉しそうに教えてくれました。そのひとの話によると、『こちら側』のとある人物の家の外壁に、空音様の悪口と卑猥な言葉がスプレーで書き連ねてあったそうなのです。犯人がSくんだ、という根拠は教えてくれませんでしたが、村長が、「絶対だ」と判断した以上、それは、絶対、らしいです。


「知らない。本当に知らない。知ら」

 何度も否定を繰り返すSくんを見ながら、私には彼が真実を言っているようにしか見えませんでした。そもそも嘘か本当か、判断するのは私たちの側で、そんな確実な証拠も持たない私たちが、勝手に真実か嘘かを判断してしまっていいのか。そんなふうに思っても、いまの常軌を逸したこの状況で、村長を諫める度胸など、その時の私にはありませんでした。いや、その時は、といまならばあるように書いてしまいましたが、いまもむかしも、そんなものはありません。


「本当のことを言え」「嘘をつくな」「本当のことを言え」「嘘をつくな」「本当のことを言え」「嘘をつくな」「本当のことを言え」「嘘をつくな」「本当のことを言え」「嘘をつくな」「本当のことを言え」「嘘をつくな」「本当のことを言え」「嘘をつくな」「本当のことを言え」「嘘をつくな」「本当のことを言え」「嘘をつくな」「本当のことを言え」「嘘をつくな」「本当のことを言え」「嘘をつくな」


 あの日と同じような、耳ざわりな大合唱が鳴り響きます。そして誰かが私にも殴るように言いました。私が物語の主役ならば、ヒーローならば、ここでSくんを傷付けることなどしないでしょう。だけど私は殴っていました。不快な音がして、私の一撃が、その日、最後の一撃となりました。


 最初は、死んだ、と思いました。

 だけど死んではおらず、気絶しただけでした。


「後日にしよう。診療所に連れていけ」

 と村長が冷めた口調で言いました。


 私はその日以来、心が破壊されてしまったように、すべてが怖くなりました。妄想に逃げ込もうとしても、それはもう歪んでしまって、以前のような像をつくることができなくなってしまいました。学校もサボりがちになりました。もちろん親には言わず、真面目に学校に行っている振りはしました。


「大丈夫?」

 とそんな私に声を掛けてくれたのが、アスカさんでした。そしてこうやって言葉を綴ることをすすめてくれました。このノートの存在を知っているのは、私とアスカさんと、あなた、だけです。それ以外は誰も知りません。気軽に他人に言えるようなものではありませんでしたから。アスカさんは『こっち側』の人間ではないけれど、こっち寄りの人間ではありました。


 絶対にこのノートの話はしない、と約束してくれました。

 アスカさんは私との約束を守ってくれました。

 でも、そのせいでアスカさんは死んでしまったのかもしれません。あくまで行方不明なので生きている可能性もないわけではありませんが、いつもと同じように、唐突に、消えるようにいなくなってしまいましたから、殺されて、処理された、と考えるのが自然です。


 新たな標的になったのは、アスカさんでしたから。

 アスカさんがつるし上げられた日は、私も両親も、村長から呼ばれることはありませんでした。たぶん私が関係している、と思ったからでしょう。


 全部、想像です。

 だけど外れてはいない、と思っています。


 燃やしてしまおう、と決めたのは、この時でした。


『嘘を隠そうとする者は空音様の怒りを買い、村に災厄が起こる』

 本当の嘘つきは誰か。嘘を隠そうとする者は誰か。そんなの決まっているんです。簡単なことなんです。


 私たち全員が、嘘をつきながら生きている。私も両親も、Sくんもアスカさんも、村長も、村のひと全員も、そしてあなたも。嘘をつかずに生きられる人間なんて、この世に存在しない。


 なのに村長は、『こちら側』の人間たちは、正直者の振りをして、自分にとって厄介な者を排除しようとする。


 卑怯者なんです。


 深夜、私は村長の家に火を放ちました。村長は死んだかもしれませんし、いまもまだ生きているのかもしれません。でも、そんなこと私にはどうでもいいのです。私はSくんの家にも行きました。その顔にはまだまだ痛々しい痕が残っていました。


「一緒に逃げよう!」とSくんの手を取り、

 そして私たちは村から逃げ出しました。

 私と空音村との関係はここまでです。



 ここからは、いまの私が改めて書き加えています。



 たぶん、いや絶対に、あなたは気になっているはずです。そのあとの私がどうなったのか。いまの私を知っている、あなたならば、私の記述に嘘のにおいを嗅ぎとることでしょう。


 これ以上のことは、直接会って伝えたい、と思っています。

 住所とこの村のホームページへ行くリンクを載せておきます。

 待っています。


 物語を憎んだ、あなたへ』

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