最終話 立花さんが好き

 広場の中央へと向かうと、僕以外全員揃っていた。

 甚平を着た日高。無地のTシャツにテーラードジャケットを着た天道。黒地に白い牡丹の柄の浴衣を着て、髪をアップにまとめた彩乃。

 そして、青緑の生地に黄色い蝶の柄の浴衣を着た咲希。咲希も髪を編み込んでいて、普段とは違う雰囲気をまとっている。ただただ、綺麗だと思った。

「みんな、お待たせ」

「おう。待ったぜ」

「私たちも来たばっかりだから」

「日高がデリカシーないこと言うから、咲希がフォローしちゃったじゃない」

「ま、実際に俺は結構待ったけどな」

「ちょっと玲まで?」

「ははは。冗談だよ」

「じゃあ、みんな揃ったことだし、花火が打ち上がる前に出店で買い物しに行かない?」

「昼飯軽めにしたから、もう腹減ってるぜ」

「いいね。何買う?」

「焼きそば、かき氷、お好み焼きは必須でしょ? あとは……」

「俺、じゃがバター食いたい」

「あんたどんだけガッツリ行く気なのよ……。いいけど」

「立花さんは何か食べたいものある?」

「りんご飴食べたいかも」

「夏祭りって感じがしていいね」

 天道が咲希に向かってにこりと微笑む。

「じゃあ、バラバラに買ってきて、またここに集合しましょ。もし人混みが酷くなった場合は別の場所に移動する可能性もあるから、スマホはこまめに確認できるようにしといて」

「わかった」

「オッケー」

「了解」

「うん」

「それじゃ、あたしは焼きそばを」

「や、焼きそばは僕が買うよっ!」

「そ、そう? ならあたしはかき氷買うわね。玲はお好み焼き買ってきてもらってもいい?」

「ああ」

「咲希はりんご飴をお願いね」

「うん」

「日高は好きにして」

「オッケー! って、俺の扱いが酷すぎるだろっ!」

「じゃ、行きましょ」

 彩乃の言葉で僕らは出店へと歩き始める。

 咲希と並んで歩く。

「金木くん、昨日はお疲れさま」

「立花さんのおかげだよ。ありがとう」

「金木くん、昨日からお礼言い過ぎ」

 咲希はクスクスと笑う。

「本当に感謝してるんだってば。そのくらい僕には大きなことだったんだ」

「そうだよね。五年ぶりにお母さんと会ったんだもんね」

「うん。それと、これからは父さんと一緒にお見舞いに行こうって話になって」

「お母さんもきっと喜ぶよ」

「そうだといいな」

 そこで僕は深く息を吸う。

「と、ところで、ゆ、浴衣姿、すごく綺麗だと思う……」

 唐突な僕の言葉に咲希の頬がパッと赤くなる。

「あ、ありがとう……。嬉しい……」


 焼きそばを買う列に並ぶ。そういえば何個買えばいいのだろうか? 咲希と二人きりになるなら二個買えば十分だろうけど。財布を取り出そうとして、その前に天道に連絡しなければと思い直す。

「人が増えてきたから、広場じゃなくて、待ち合わせ場所は反対側の神社に変更だってさ」

 天道に詳しい行き方もコピペしてチャットを送る。

「了解」

 天道から返事が来た。今度は彩乃に連絡する。

「天道に神社に向かうよう伝えたから」

「あんがと。あたしも咲希に広場に戻るよう念押ししといた」

「わかった」

「お互い頑張りましょう」

 スマホをしまい、代わりに財布を取り出す。この計画がうまく行くよう祈るしかない。

「お兄ちゃん、何個?」

「二つお願いします」

「千二百円ね」

「これで」

「あいよ」

 僕は焼きそばを受け取ると、広場に戻ろうと歩き始める。

 だいぶ人が増えてきたな。歩きづらくて仕方がない。

 スマホを取り出して時間を確認すると、あと二〇分しかなかった。早く広場へ戻らないと。

 すると天道からチャットが届いた。

「咲希ちゃんと神社に行く途中で合流したぞ」

 なんだって? まさか、お互い反対方向に進むときにすれ違ったのか?

「咲希ちゃんから聞いて気づいたけど、お前ら別々の場所で待ち合わせるつもりだったろ?」

 天道に計画がバレたっ! まずいっ!

「お前らがそういうつもりなら、俺も咲希ちゃんと二人きりで花火見てもいいんだけど、咲希ちゃんがみんなで見たがってるから、広場に戻ってやるよ」

 くそ。完全に出し抜かれた。これでは、全員で花火を見るしか選択肢がなくなってしまう。

 すると彩乃からチャットが届いた。開くと、僕と日高のグループに来ていた。

「助けて」

 急いでチャットを返す。

「どうしたの?」

 嫌な予感がする。

「浴衣が乱れ」

 やはりそうなったか。僕と日高のどちらが彩乃に近いだろうか。

 とりあえず日高に連絡を取ろう。片方が彩乃を助け、もう片方が広場に合流して咲希が天道と二人きりになるのを阻止しなければ。

 日高に電話をかけながら広場へと向かう。

「早く出ろ早く出ろ早く出ろっ!」

 人混みをかき分けながら、足早に広場へと向かう。

 そのとき。背後から子供の泣き声が聞こえた。

 振り返ると、六歳くらいの浴衣を着た女の子が大声で泣いている。親とはぐれたのか?

「お兄ちゃん」

陽菜の声が聞こえた気がした。

早く広場へ向かうべきだと頭の中で叫ぶ声がする。あの子は陽菜じゃない。あの子は僕が助けなくても、誰かが助けてくれると。僕には、僕と彩乃のためにやらなくちゃいけないことがあるんだと。

それでも。あの子が陽菜じゃなくても。僕は見過ごすことはしたくなかった。

「どうしたよ金木?」

 日高とようやく繋がった。

「日高、彩乃を助けに行ってほしい。それと天道に計画がバレた。彩乃と合流したら急いで広場に戻ってくれ」

「おいおい、マジかよ。ってか、お前はどうするんだよ?」

「やることができた。彩乃のことを頼む」

 僕は通話を切ると、女の子に近づいて、しゃがみ込む。咲希が僕に向けてくれたような笑顔を浮かべて、話しかけた。

「迷子になっちゃったの?」

 女の子はこくりと頷く。

「お母さんがいなくなっちゃったぁーっ!」

 そして、わんわんと泣いてしまう。

「お兄ちゃんが、お母さんと会わせてあげる」

「ほんと?」

「うん。約束。僕は渉っていうんだ。きみの名前は?」

「ユメ……」

「じゃあ、ユメちゃん。一緒に行こう」

 僕は立ち上がるとユメちゃんの手を握って、スタッフがいる場所へと歩き始めた。


 ドーンッ! ドドーンッ! パチパチッ!

 花火が空をさまざまな色や形で彩っている。とても綺麗だ。

「ユメちゃんは私たちで預かるので、お戻りいただいて結構ですよ」

 スタッフのお姉さんが笑顔で僕に話しかける。

 ユメちゃんを見ると、喧騒としたテントの中で、不安げにしていた。

 僕はしゃがみ込むと、ユメちゃんに話しかける。

「ユメちゃんは一人で待てる?」

 するとユメちゃんは、僕の服の裾をギュッと握った。

「お母さんと会わせてあげるって約束したもんね。いいよ、一緒にいるよ」

「いいんですか?」

 スタッフのお姉さんが驚く。

「はい。最初の花火を見たかっただけなので……」

「あー、和火ですか。あのジンクスって本物なんですよ。実は私も、今の彼と……」

 僕はスマホを見る。そこには。

「すまん 間に合わない」

 日高からのメッセージが表示されていた。

 咲希と天道が二人きりで和火を見るシーンを思い返す。

「最初に打ち上がる和火を一緒に見たカップルは、必ず結ばれるっていうジンクスがあるんだって。和火も綺麗だけど、咲希ちゃんの方がもっと綺麗だよ」

「わた、私……」

 マンガのあのセリフを、天道は口にしたんだろうか。

 咲希は、なんと答えたのだろう。

 ただ一つ、確かなことは、僕は負けたということだった。


 結局、ユメちゃんのお母さんが現れたのは、花火が終わってからだった。

「本当にご迷惑をおかけしましたっ!」

「いえいえ。人が多いとよくあることですから」

 スタッフのお姉さんが対応する。

「お母さんが来て良かったね」

 僕が話しかけると、僕があげた焼きそばを食べていたユメちゃんはこくりと頷いた。

「ありがとう。お兄ちゃん」

 そしてニコッと笑う。

 その笑顔はどこか懐かしくて、僕の胸はキュッと切なくなった。

 ユメちゃんを見送ったところで、日高から着信があった。

「もしもし?」

「お前何してたんだよ? もう花火終わっちまったぞ」

「知ってる。みんなはもう帰るの?」

「天道はもう帰ったけど、俺らはまだ広場に残ってるから来いよ」

「わかった」


 広場に着くと、だいぶ人の数が減っていた。

「ごめん。お待たせ」

「ほんっとーよっ! 待たせすぎっ!」

 彩乃がもの凄く怒っていた。

「八つ当たりはかわいそうだろ」

「うっさいわねっ!」

「彩乃、本当にごめん」

 僕は深く頭を下げた。僕が広場へと向かえば、少なくとも咲希と天道が二人きりで花火を見る展開だけは避けることができたはず。それをわかっていて、僕は自分勝手な行動をとった。

「そ、そんなに真剣に謝られたら、許すしかないじゃない……」

 彩乃はなんとか怒りを収めてくれたようだ。彩乃って本当に強いよな。僕は彩乃に申し訳なさと感謝の気持ちを抱く。

「じゃ、金木にも会えたし、帰るか」

「二人は電車よね? あたしたち歩いて帰れるから」

「また明日」

「またね」

 そして花火大会は終わりを告げた。


 咲希と二人、駅に向かう。

「……」

「……」

 咲希に天道と二人で和火を見た時のことを聞きたかった。聞きたくなかった。自分が負けたことを思い知らされるのが辛かった。

だけど、向き合うべきだ。

母さんに会ったように、自分の恋の結末とも。

「あのさ……」

「どうかした?」

「天道と見た和火は綺麗だった?」

「えっ……。あ、うん……。綺麗だった……」

 照れているのを誤魔化すためか、咲希の挙動は少しぎこちなかった。

「そっか……。僕も見たかったなぁ、花火……」

 きみと。

 咲希は立ち止まると、正面から僕を見た。

「……金木くん、もう少し帰るの遅くなっても平気?」

「大丈夫、だけど……」

「じゃあ、一緒に花火しようよ」


 咲希に連れられ、近くの公園に来た。

「ここは九時までは花火できるんだって」

 咲希はそう言うと、さっき寄ったコンビニで買った線香花火とライターと消火剤を袋から取り出す。

「ほら、金木くんもしゃがんで」

「わ、わかった」

「金木くんの分」

 線香花火を一本手渡される。

 咲希はライターを点火させようとするが、スイッチが固くて押せないようだ。

「僕がやるよ」

「ありがとう」

 咲希からライターを受け取ると、咲希の花火に火をつける。

 自分の分にも火をつけて、二人で線香花火を始めた。

 闇夜に小さな赤橙色の灯りがともり、パチパチと爆ぜる。

「金木くんは、どこにいたの?」

「迷子の女の子を見つけたんだ。それで」

「ふふっ」

「何かおかしかった?」

「金木くんらしいなって」

 僕らしい? 僕ってどんな人間だったっけ? 一つだけ確かなことは、この世界に来てから自分が変わったということだけ。

「立花さんから見た僕ってどんな人間?」

「すごく繊細で、傷つきやすい人」

 うっ。当たってるから何も言えない。

「自分の過去から逃げない強い人」

「そんな……。買いかぶり過ぎだよ」

「そして、私が困ったときには必ず助けてくれる人」

「それは……」

 二人の線香花火の火玉が同時に落ちる。

 一瞬にして、静けさと暗闇が僕らを包み込む。

「そんな金木くんが、私は好きだなぁ……」

「え?」

 僕の聞き間違い? そうだよ聞き間違いだよ。だって咲希は天道と和火を一緒に見て……。天道に綺麗って言われて……。二人はお互いを意識し合うようになったんだから……。

「返事、聞かせてくれないの? これでも勇気出したんだよ?」

 咲希の甘く透き通る声が、いつも以上に甘く、僕の耳をくすぐる。

「いやだって。立花さんは天道と和火を見たんだよね?」

「そうだけど?」

「あの花火ってジンクスがあって……」

「私はジンクスで人を好きになったりしないよ? それより、金木くんの返事、聞かせてほしいな」

「へ、返事って……。じゃあ、さっきの言葉って、本当に?」

「日高くんじゃないんだから、こんなことで冗談言えないよ」

 そんなことがあるのだろうか。夢オチだと言われても信じてしまいそうだ。いや、そんなことより早く返事をしないと。

「僕は……。僕も、立花さんが好き」

 初めて、自分の咲希への想いを口にした。

「じゃあ、両想いだね……」

 咲希は柔らかく微笑んだ。

「そ、そうなるのかな……」

 待って。全く心の準備をしてなかった。やばい。どうすればいいんだ? 視線をあちこち巡らせて、線香花火がたくさん残っているのに気づいた。

「と、とりあえず、花火の続き、しようか……」

「うん。いいよ」

 そして僕らはまた、線香花火に火をつける。

 火玉に照らされた咲希の顔は、光と影のコントラストで、普段よりも綺麗に見えた。

「知ってる? 線香花火も和火なんだよ」

「え? そうなの?」

「うん。だから私たちは今、一緒に和火を見てるんだよ」

「え? でも立花さんはジンクスを否定して……」

「ジンクスを否定したいわけじゃないよ? むしろこういうジンクスは好きな方」

 つまり咲希は和火のジンクスを再現してくれたということ。

 自分の中に温かくて柔らかくてふわふわした気持ちが満ちていく。

「……」

「……」

 無言で線香花火が爆ぜる様を見てるだけの時間が、こんなに幸せなものだなんて。

「このまま、永遠に爆ぜたらいいのに……」

 そうしたら咲希と、ずっとこの瞬間を共にできるのに。

「線香花火は、終わっちゃうから綺麗なんだと思うな。永遠に続いたら、きっと味気なくなっちゃうよ」

 咲希の言葉もわかる。どんなに素晴らしい時間でも、それだけになってしまったら、当たり前になってしまうだろう。だけど僕は、簡単に手放したくなかった。何か方法はないだろうか?

「じゃあ、何度でも。何度でも始めようよ」

 永遠を望むのでも、終わりを嘆くのでもなく、新しく始めたい。咲希と一緒に。

「もちろん、いいよ」

 咲希はにっこりと微笑んだ。


 最後の火玉が地面にポツリと落ちる。

 だいぶ遅い時間のはずだ。そろそろ咲希を帰さないと。

「じゃあ、花火も無くなったし、帰ろうか」

「うん」

 僕はコンビニの袋にゴミと消火剤を入れ、手に持つと立ち上がった。

「……」

「……」

 何か言ったほうがいいんだろうか。というか、こういうのは男である僕がリードすべきなのでは? 咲希に告白させてしまったし、もっと頼りになるところを見せないと。

「あ、あのさ」

「どうしたの?」

「えっと、その……。立花さんは期末試験どうだった?」

 情けない。これが恋人の会話か?

「まぁまぁ、かな」

「そ、そっか。僕は、今回あまり集中出来なくてさ、結構点数やばいかも……」

 何言ってるんだっ! カッコ悪いところを見せてどうするっ!

「もし赤点になったら、私と一緒に勉強しようよ」

「ありがと……」

 すると咲希が僕に近づいてきた。手と手が触れそうな距離。

 手を繋いでもいいんだろうか? 世のカップルはいつ手を繋ぐんだろう。

 いや、世間なんてどうでもいい。僕が咲希と手を繋ぎたいかどうかを考えろっ!

 僕は、大きく息を吸うと、咲希の右手を手に取った。一瞬、咲希の手がびくりと跳ねたが、すぐに握り返してきた。

 柔らかく、しなやかな手。自分が今、その手を握っているかと思うと熱が出そうだった。


 電車に乗り込む。照明が効いた場所で咲希を改めて見ると、こんな素敵な女の子が自分のことを好きと言ってくれたのかと、信じられない気持ちで胸がいっぱいになった。

 僕の恋は、僕が思い描いたようなものではなかった。泥臭くて、カッコ悪くて、冴えなくて。

 それでも、そんな僕を咲希は赦してくれた。好きになってくれた。僕が欲しくてたまらなかったものをくれた。

 僕に幸せをくれた。だったら。

「僕、もっともっと頑張るよ」

「何を?」

「立花さんを幸せにできる人間になれるように」

「そんな必要」

「必要か必要じゃないかじゃなくて、僕がそうしたいんだ。咲希を世界で一番幸せにしたいから」

「ありがとう。すごく嬉しい」

 咲希は頬を赤く染めながら、瞳を潤ませた。

 電車が駅に停車する。

「私、ここで降りるね」

「遅いから気をつけて」

「うん」

 そして咲希は降車する。

そのまま改札に向かうのかと思ったら、満面の笑みを浮かべて、こちらを振り向いた。

「これからよろしくね、渉くんっ!」

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僕がマンガの主人公だと思ったらただのモブ⁉︎ 天海 潤 @Amami_Jun

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