第19話 きみに好きだと伝えるために
月曜になり期末試験が始まる。
午前中で学校が終わるので、今週は五人で一緒にご飯を食べることはなかった。
結局、テスト期間中は咲希の背中を見つめるだけで、咲希と話す機会がないまま金曜を迎えた。
「金木―。テスト死んだわ……。慰めてくれ」
最後の試験が終わってすぐ、日高が寄ってきた。
「玲―。テスト終わってるんだけど……」
彩乃が天道に近づく。
「二人とも、もう少し普段から勉強したらいいのに」
天道が呆れたように口にする。
「点数悪いと追試だけど、大丈夫?」
咲希が心配そうに尋ねる。
「立花、頼むから言わないでくれ」
「今は花火大会のことだけ考えさせて……。ところで、咲希は浴衣着るの?」
「お母さんが着付けしてくれるから、そうするつもり」
「二人の浴衣姿楽しみだな」
さらりと言ってのける天道。こいつなら咲希に告白することも簡単なんだろうな。
そう思うと、嫉妬で胸がザワザワした。
「金木くん、なんだか元気ない?」
「ち、違くて。花火大会に行くと思うと、緊張するっていうか……」
明後日には咲希に告白すると思うと、今から心臓が爆発しそうだった。
「金木って変なやつだな」
そりゃそうだろ。こっちが必死に水中でもがいているのに、簡単にその上をスイスイ飛んでいく天道に僕の気持ちがわかるわけない。
「天道にはわからないよ」
思わず、天道への妬みが口をついて出た。
「なんだよそれ?」
「天道みたいに、何でもできて何でも持ってるやつには、僕みたいな人間の気持ちはわからないってことだよ」
一度、堰を切ったら、自分の気持ちを止められなかった。緊張や不安、嫉妬心が自分の中でぐちゃぐちゃに渦巻いていた。
「ちょ、ちょっと渉。あんた急に何言い出してんのよ」
「おいおい。どうしたんだよ?」
このままここに居ると、自分が何を言うかわからない。
「ごめん。帰る」
僕はカバンを掴むと、教室を出て行くことにした。
足早に下駄箱まで移動したところで、背後から声をかけられた。
「待って、金木くんっ!」
振り返ると、そこには咲希が立っていた。
「立花さん?」
咲希は肩で息をしていた。
「金木くんの話を、聞かせて欲しいの」
「どう、して……」
「今度は私の番だからっ!」
学校の近くにある公園のブランコに、咲希と並んで座る。
「……」
「……」
咲希は僕が話すのを待っている。深く息を吸うと、僕は自分の気持ちを吐露した。
「……僕は自分が嫌いなんだ。だから天道みたいに自分に自信がある奴を見てると、自分と比べて、もっと自分が嫌いになって。嫌な気持ちで心がいっぱいになるんだ」
「金木くんは、どうして自分が嫌いなの?」
それは八年前に僕が赦されない罪を犯したから。
「誰にも言えなかったことがあるんだ……」
「……よかったら聞かせて欲しいな」
「僕の母さんはすごく優しくて……」
「そうなんだ。素敵なお母さんだね」
「それで、僕には一つ下の妹がいたんだけど……」
言葉が詰まる。このことは僕の口から、誰かに伝えたことは一度もない。
「い、妹はじ、事故に遭って……。そ、それで、母さんは心が壊れて……」
「……」
「ぜ、全部、ぼ、僕のせいなんだ。妹が事故に遭ったのも僕が全部悪くて。それで、ぼ、僕の家は壊れて……」
勝手に涙がこぼれる。咲希の前で泣いたりしたくなかったのに。涙が溢れて止まらない。
「だから、だから僕は赦されちゃいけなくて、一生償わなきゃいけなくて、幸せになっちゃいけなくて……」
ずっと自分が思っていたこと。誰にも言えなくて、でも誰かに聞いてもらいたくて、ぐちゃぐちゃだった気持ち。
左手が急に温かくなる。目を向けると、咲希の両手が僕の左手を包み込んでいた。
「金木くんは、ずっと自分のことを責めてたんだね」
「だ、だって、僕が悪いから……」
「金木くんは悪くないよ」
「違うっ! 僕がっ!」
「違わないっ! もし金木くんのせいだとしても、金木くんはもう十分償ってきたっ!」
咲希がまっすぐに僕の目を見つめる。
「自分じゃわからないよ……」
僕が赦されることなんてあるのだろうか。家族を壊した罪を償う方法があるとでもいうのだろうか。
「金木くん自身が金木くんのことを赦さなくても、私は、私だけは金木くんを赦すよ」
咲希の言葉が胸に深く刺さる。それは僕がずっと欲しかった言葉だった。
誰かに、誰よりも咲希に言ってもらいたかった言葉。
「どうして……?」
どうして咲希は僕を赦すと言ってくれるのだろう。
咲希は目に涙を浮かべながら、にっこりと笑顔を浮かべる。
「だって、人生を後悔しない人はいないから。そのことで自分を責めて苦しんでる人がいたら、代わりに赦してくれる人が必要だと思うから。だから、金木くんが苦しんでるなら、金木くんを、私が赦したいの」
咲希の言葉に嗚咽が止まらず、僕は泣き続けた。
「立花さん、急にあんな話して、ごめん」
すすり泣きになり、気持ちが落ち着いたところで、咲希に謝った。
「私は、金木くんの話が聞けて嬉しかったよ」
どうして、彼女はこうも温かいのだろう。
「僕ってカッコ悪いね」
「そんなことないよ。私の方こそ、エゴに満ちたこと言っちゃってごめんね?」
「ううん。僕は立花さんの言葉がすごく嬉しかった」
そのエゴが僕を救ってくれた。一般論じゃなく、咲希が僕のことを赦したいと思ってくれたことがすごく嬉しかった。
そんな咲希に聞きたいことができた。
「ねぇ……。僕は母さんと向き合うべきだと思う?」
「お母さんにはどのくらい会ってないの?」
「五年くらい……」
「ごめんね。私は金木くんの辛さを、本当の意味でわかることはできない。その上で言うね? 私はお母さんと会ったほうがいいと思う」
自分で聞いておきながら、咲希の言葉が、凍りついた冷たい矢のように心臓に突き刺さる。
「自分でもわかってるんだ。本当は会って話さなくちゃいけないって……。でもどうしても勇気が出なくて」
「それは仕方ないよ」
「でも、初めて、母さんともう一度向き合いたいかもって、ほんの少しだけど思えてる」
「それはどうして?」
「立花さんが僕のことを赦してくれるなら、僕は頑張れるかもって思えたから」
それは強がりではなく、心からの気持ちだった。
「そっか」
「明日、母さんに会いに行ってくる」
僕は決意を固めた。
「そんな急がなくても……」
「花火大会の前に会っておきたいんだ」
きみに好きだと伝えるために。
翌朝、大雨が降る中、僕は母さんが入院している病院へとバスで向かった。晴れていれば心が晴れるわけでもないが、雨だと余計に気分が沈む。
昨日からまともに食事も取れてないし、睡眠不足だ。
病院は五年前と何一つ変わっていなかった。独特の雰囲気で、生気が欠けた印象を受ける。
中に入ると、外の世界とは時間の流れが異なるように感じてしまう。
受付の職員に声をかけた。
「金木麻衣子の息子です。母と面会したいんですが」
面会室で、母さんが来るのをじっと待つ。胃が痛く、緊張で吐きそうだ。呼吸が浅くなっているのを自覚して、意識して深呼吸を繰り返す。
咲希の言葉で母さんに会う覚悟を決めたが、その瞬間が近づいていると思うと逃げ出したくなった。
扉が開き、中年の女性を看護師が連れてきた。
顔はやつれ、肌には潤いがない。この人が母さん? 僕の記憶とは全くの別人に見える。長い入院生活でこんなにも変貌してしまったのか。
「面会は二十分までになります」
看護師はそう告げると、部屋を出た。
「……」
「……」
来ると決めたはいいが、何を話せばいいかは、どんなに考えても結局わからなかった。
「……久しぶり、母さん」
「わた、る?」
「そうだよ。僕だよ」
「大きく、なったわね……。陽菜が、生きて、いたら、もう、高校、一年生、なのね……」
陽菜が生きていたら。母さんはいつもそんな風に考えているのだろうか。
「そう、だね……」
「今日は、どう、したの?」
「母さんに……。母さんにずっと、謝らなきゃって思ってた……」
「陽菜の、こと?」
覚悟を決める。
「そう。僕のせいで陽菜が……。陽菜が死んで……。僕が幸せだった家族を壊した……」
「陽菜……。私の、可愛い、娘……」
「母さん、本当にごめんなさい……」
「……あの、人から、あなたの、話をい、つも聞いて、た……」
「……父さんのこと?」
「あなたが、不登校に、なった、こと……。中学から、また通う、ように、なった、こと……。ずっと独り、でいた、こと……」
「……」
あの日、友達と遊ぼうと出かけた僕の後ろを陽菜がくっついてきた。友達と遊ぶのに邪魔だと思った僕は、陽菜に付いてくるなと怒鳴って。ショックを受けて道路の真ん中に立ち止まった陽菜は、次の瞬間、トラックに轢かれてしまった。
陽菜の事故があってから僕は学校に通えなくなった。当時、心療内科にも連れていかれてカウンセリングも受けたけど、心の傷は癒えなくて。
小学校の卒業式を自室で迎えた後、父さんに懇願された。「頼むから、お前だけでも自分の人生を生きてくれ……」と。
それで学校にだけは通うようになったけど、自分の罪に塗りつぶされそうだった僕は、虚構の世界に逃げるようになった。
そして理想のヒロインとの理想の青春を体験したくて、咲希を生み出したんだ……。
「お母さんが、あの日、あなたに、何を言ったか、覚えてる……?」
「……『お兄ちゃんなのに、どうして陽菜を助けてくれなかったの?』」
「ごめん、なさい……。お母さんの、言葉で、あなたを、ずっと、苦しめて、いた……」
「母さん……?」
「あなたに、ずっと、謝り、たかった……。酷い母親で、ごめんね……」
「母さんが謝ることじゃないっ! 本当に僕が悪かったんだっ!」
「違うの……。あれは、事故だった、のよ……。事故、だったの……」
その言葉はまるで自分に言い聞かせているようだった。
「……」
「お友達が、できたん、ですってね……。あの人、が、嬉しそうに、教えてくれた……」
「うん」
「お母さんも、嬉しい、わ……。あなたの幸せが、私たちの、幸せ……」
「今でも……。今でも、そう思ってくれているの?」
「当たり前、じゃない……。だって、私は、あなたの、お母さん、なのよ……?」
そう言って母さんはかすかに微笑んでみせた。その顔は少しだけ昔の母さんを思い起こさせた。
「ありがとう……」
それしか、言葉が見つからなかった。
「ごめんなさい……。話をして、疲れちゃったわ……。看護師さんを、呼んでくれる、かしら……」
帰りのバスの中で、母さんとの会話を思い返していた。
僕は母さんから恨まれていると思い込んでいた。赦してもらえるはずがないと。
でも、僕は赦されなくてもいいと思った。咲希が赦してくれるなら、母さんに恨まれたままでも、受け入れようと。でも、僕のことを赦していなかったのは、僕だけだった。咲希のおかげで母さんと会う勇気をもらい、母さんと会ったことで、僕は母さんの気持ちを知ることができた。
咲希にチャットを送ることにした。本当は彩乃に禁止されているが、どうしても咲希に聞いて欲しかった。
「母さんと会ってきたよ。母さんは僕のことを恨んでなかった」
するとすぐに、咲希から返事が来た。
「お疲れさま。お母さんに会って、そのことがわかって本当によかったね」
「ありがとう。母さんに会わなかったら、ずっと思い込んだままだった。立花さんのおかげだよ。本当にありがとう」
「どういたしまして。でも、勇気を出したのは、金木くんだよ。私は少し手伝っただけ」
その「少し」が僕にとってどれだけ大きかったか。
バスのアナウンスがそろそろ降車地点に近づいていると教えてくれる。
「本当にありがとう。そろそろバスを降りるから、またね」
「うん。今日はゆっくり休んでね」
夕食を父さんと一緒に食べる。
「今日、母さんに会ってきた」
僕の突然の報告に、呆けた父さんは右手に持ってた箸をテーブルの上に落とした。
「ど、どうして急にそんな?」
「逃げてばかりじゃいけないって思ったから。……でも、母さんは僕のことを恨んでなかったんだね」
「そうだよ。もちろん母さんも、最初はとてもショックを受けていたから、誰かのせいにしないと心が耐えきれなかった。でも、治療を続けるうちに、陽菜のことは誰のせいでもないと思えるようになってきたんだ」
「でも、どうしてそれを教えてくれなかったのさ」
思わず父さんを責めるような口調になってしまった。
「俺が言ったところで、お前が信じたか?」
「……確かに」
実際に母さんの口から聞かなければ、父さんが僕のために言ってるだけだと思い込んだだろうな……。
「これからは時々でいいから一緒に面会に行こうな。久しぶりに家族が揃うぞ」
父さんは嬉しそうだった。
「わかった。それと明日は、友達と花火大会に行くから夕飯は作れないんだ」
「気にするな。楽しんできなさい」
父さんはさらに嬉しそうな声になった。
ベッドに寝転がりながら、タブレットのスリープモードを解除する。
花火大会のシーンを読み返す。
彩乃は焼きそばを買いに行き、その帰り道で、人とぶつかった拍子に、浴衣の胸元がはだけてしまう。それを直すために日高に助けを求め、咲希と天道が二人きりで一発目の花火を見ることになった。
焼きそばは僕が買うことにしよう。そういえば最初の待ち合わせ場所と、天道に教える待ち合わせ場所をまだ教えてもらっていない。
彩乃に連絡を取ろうと、スマホに手を伸ばしたところで、通知が来た。
「作戦会議するわよ」
彩乃から着信があり、通話ボタンをタップする。
「作戦会議する前に、渉、この前はなんだったのよ?」
「ごめん。焦りとか不安がぐちゃぐちゃになって、天道に八つ当たりしちゃったんだ」
咲希と母さんのおかげで、素直な気持ちを吐露することができた。
「まぁ、金木の気持ちもわかるわな」
「玲と自分を比較するのはやめなさい、と言いたいところだけど、仕方ないわね。でもあの子のまえで不安な姿を見せるのはダメよ」
「ごめん。気を付ける」
「じゃあ、会議を始めるわよ。今日は大雨だったから天気が心配だったけど、明日は晴れみたいね。予定通り、行くわよ」
「気合い入れるのはいいけどよ、まだ待ち合わせ場所も教えてもらってないんだけど」
「彩乃が下見してくれたんだよね。いい場所あった?」
「神社と広場がいいと思うの。最初は広場で合流して、渉と咲希が広場へ戻る。あたしと玲が神社へ行くのでどう?」
最初の場所へ戻るだけなら、土地勘があまりなくても大丈夫そうだ。
「その方が助かる」
「渉は広場から神社の行き方わかる?」
「ごめん。知らない」
「じゃあ、後で行き方を送るから、当日は玲にそのまま伝えて」
「わかった」
「花火は十八時に打ち上がるから、十七時に待ち合わせにしましょう」
「あーあ。一番面白いところ、見れないとか……。あ、そうだ。俺もこっそり広場に行こうかな」
「渉の邪魔するなら、あたしが本気で殴るわよ?」
「へいへい」
「渉、お互いベストを尽くしましょう」
「頑張ろう」
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