5.雨よ止まないで





「……ただいまー」


僕は玄関で靴を脱ぎながら、そう呟いた。


スタスタと家の中を歩いていくと、ばあちゃんが台所で晩ご飯の準備をしていた。


「お帰り風太。あんた、今日はずいぶんと帰りが遅かったじゃないか」


「ああ、いや、ちょっとね」


「なんだい?含みのある言い方だねえ」


「大丈夫、寄り道してただけだよ」


台所の脇を通って、通りすがりにリビングへ目をやる。そこでは、ソファに座ってテレビを見ているじいちゃんがいた。


「ただいま、じいちゃん」


「……ん」


「何見てんの?それ」


「……ん」


ああ、ダメだ。これ以上話しかけるのは止めとこう。じいちゃんは映画やドラマが大好きで、集中して見る時は全然人の話を聞かない。


とりあえず自分の部屋に行くことにした僕は、リビングを通りすぎて、家の奥へと進んでいった。


がちゃり


奥にある僕の部屋に入り、鍵を開けて扉を開けた。ベッドに鞄を放り投げて、その横に仰向けになって寝転んだ。


「ふーーーー……」


天井を見上げながら、僕はお腹に溜まった息をゆっくりと吐いた。



『し、白坂くんに……心配される価値なんて、自分には、ないから……』



「…………………」


僕はこの時……今日学校であった出来事を思い出していた。黒影さんが一人称をバカにされて、トイレから出られなくなるという、僕にとってはかなり大きな事件だった。


黒影さんはトイレの前でしばらく泣いていて、落ち着いたところで保健室に向かった。そしてその保健室で、彼女から事の一部始終を聞かせてもらった。


(……はあ。モヤモヤするなあ)


僕は自分で思っている以上に、今回の件に関して怒っていた。


だって、その日の午前中までは、珍しく黒影さん、笑ってくれてたんだ。二人で教科書に落書きをして、僕も彼女とずいぶん打ち解けてこれたなって思えて、嬉しくなったんだ。


そんな彼女が、あんなに辛そうな顔になっていたのは、本当にショックだった。悔しくて仕方なかった。


(なんでこんなに……軽々しく、他人を傷つけられるんだろう?)


黒影さんの悪口を言った二人組からしたら、些細な雑談だったのかも知れない。黒影さんがトイレにいると知らなかったから、歯に物着せぬ言い方になったんだろうと思われる。黒影さんが近くにいることを知っていたら、もしかしたら言葉の表現も多少は柔らかくなったんじゃないだろうか。


でも、その二人組が黒影さんのことをバカにしていることは、紛れもない事実だ。


こう言うと身も蓋もないけど、黒影さんはあまり社交的なタイプではない。引っ込み思案で話すのも苦手そうだし、目立つのも好きじゃなさそうだ。


でも、それはあくまで彼女の一部分でしかない。教科書に鼻毛の落書きをするお茶目さもあるし、好きな漫画のことを話す時は、彼女も楽しそうだった。


彼女とちゃんと接するようになってから、まだ日は浅い。でも、きっといい友だちになれる気がする。




『愛してるわ、風太』




「……………………」


人から傷つけられる悲しみは、僕も知っている。


だからこそ、黒影さんのために、僕に何かできたら……と、そう強く思う。










……ザーーーーーー



その日は、かなりの豪雨だった。


地面に激しく打ち付けられる雨の音が、他の音を消し去ってしまう。


車の走る音や、信号機の鳴る音。そういうものまでも雨音のせいで聞き取り辛い。信号機が変わったり、車が近づいているのを目視で確認しなきゃいけないのだけど、それも雨のせいでだいぶ視界が悪い。


しかも僕は、自転車に乗っている。濡れまくったアスファルトを走るのはめちゃくちゃ危ない。ちょっと運転をミスれば、あっさり転んでしまう。


(うは~……自転車は失敗だったなあ。バスにすりゃ良かった……)


個人的には、雨の日でもバスはあまり使いたくないタイプだった。雨の日はバスもめちゃくちゃ混んで、すし詰め状態になる。雨が降っててただでさえ湿気てるのに、ぎゅうぎゅうになるともう気持ち悪いことこの上ない。だから基本は雨でも自転車で登下校している。


そんな僕でさえ、今日はさすがにすし詰めの方がマシだったなと思うくらいの土砂降りだった。


(ちくしょ~……。これ、朝のホームルーム間に合うかな……?)


なんとか目を凝らしながら、大雨の降る中を少しずつ進んでいった。




「……はあ、危なかった~……」


無事に学校へ辿り着けたのは、ホームルームが始まる5分前だった。ギリギリだったことに安堵しつつ、僕は下駄箱で靴を履き替えていた。


(帰りもこの雨は嫌だなあ……。最悪、自転車を学校に置きっぱにして、今日の帰りと明日の朝をバスにするかなあ……)


雨にやられて気が滅入っている中、僕は廊下を真っ直ぐに進み、一番奥にある自分の教室へ向かった。


キーンコーンカーンコーン


まさしくベストタイミングなチャイムだった。教室に足を踏み入れた瞬間に、チャイムは鳴った。


「ほー!セーフセーフ!」


額にかいた冷や汗を拭って、自分の席についた。


「し、白坂くん、大丈夫?」


隣の席の黒影さんが、心配そうに僕を見ていた。


「いやー、焦った焦った!今日の土砂降りは凄かったねえ~」


「うん、“自分”も今日、学校へ来るの、た、大変だった」


「いやー大変だよね!この雨はキツいって」


「だね……」


僕は鞄の教科書を机に入れながら、黒影さんと他愛ない雑談を交わしていた。


彼女は昨日の一件以来、周りに人がいる時は一人称を“自分”と言うようにした。女の子っぽい“私”というのは、ちょっと恥ずかしいらしい。それほど“ボク”というのに慣れてしまったんだろう。


「まあでも、あれだね。この雨だったら、今日の体育の水泳も中止かなー」


「ほ、本当に良かった……。絶対に水泳なんて、したくなかったから……」


「ははは、僕も泳ぐの苦手だから、その気持ち分かるよ」


彼女とこうして気楽な話をするのが、僕はなんだか好きだった。


気がつくと、いつの間にか話している。肩に力を入れずに話せるし、いつだってリラックスできた。


彼女の方も、最初に会った頃と違って、緊張感が少しずつなくなってきてる気がする。吃ることも減ってきてるし、何より口数が増えた。


このまま、自然と仲良くなれていけたらいいなと、僕はそう思っていた。








……ザーーーーーーー


結局今日は、1日中土砂降り続きだった。


放課後になってもそれは変わらず、むしろ日が落ちたせいで朝よりも暗いという、さらに面倒なことになってしまった。


「あーあ、だるいなあ……」


下駄箱で上履きから外靴に履き替えたはいいものの、この土砂降りを見て全く屋根の下から出る気になれなかった。


目の前にある水溜まりが、雨に当たって無数の波紋を作っている。その様子を、僕はただぼんやりと眺めるばかりだった。


「白坂くん……?」


その時、僕は後ろから声をかけられた。振り向いてみると、そこには黒影さんがいた。彼女の手には、ビニール傘が握られていた。


「白坂くん、どうしたの?帰らないの?」


「いや……ちょっと、帰るのが面倒でさ。登校はチャリで来ちゃったから、帰りはバスにしようかなって」


「そ、そっか……。確かに自転車は、大変だね」


「そうなんだよ~。はあ、やだなあもう……。バスはバスで混んでるだろうし……」


「そ、そうだね。自分がバスに……」


と、そこまで言いかけた黒影さんは、突然話すのを止めて、周りをキョロキョロと見渡していた。


どうしたんだろう?と思って観察していたら、彼女はすっと僕の顔を見てきた。


でも、それは一瞬だった。すぐに彼女は、何やら照れ臭そうに顔を逸らし、うつむいてしまった。


そして、雨音に消えてしまいそうなほどに小さな声で、こう言った。


「……あの、“ボク”が朝にバス乗ってた時も、すごく……混んでたんだ」


「……………………」


「ボク、たくさん人がいるところ、す、すごく苦手だから……ボクも今日は、憂鬱だった……」


「……………………」


僕は彼女の一人称が変わったのを聞いて、周りを見渡してみた。付近には、確かに誰もいなかった。今この場にいるのは、僕と黒影さんだけだった。



……ザーーーーー



なんと表現していいか、分からなかった。


でも、嬉しいことに間違いはなかった。彼女が僕と二人きりの時だけ、本当の一人称を明かしてくれる。それがすごく、特別感があった。言い様のない高揚感があった。


確かに昨日、事前にそう聴いていたことだから、今さら驚くことじゃないかも知れない。だけど、実際にこうして目の当たりにすると、思わずドキッと心臓が高鳴ってしまうのを防げなかった。


「し、白坂くん……?」


固まってしまってた僕を見て、彼女はおそるおそる顔を覗かせてきた。


「だ、大丈夫……?どうかしたの……?」


「あ、ああ!うん!全然大丈夫!黒影さんも、人多いの苦手なんだね!実は僕も一緒でさ、あんまりバスには乗りたくないんだよね~!」


「そ、そうなんだね、白坂くんも、ボクと一緒なんだね」


黒影さんは、少しだけ嬉しそうにはにかんだ。


「ど、どうする?白坂くん。バス停まで……行く?」


「うーん、一応僕も折り畳み傘持ってるから、行けないことはないんだけど……。まあいいや、ちょっと待ってみるよ。雨が落ち着いてくれるまで、とりあえずここにいようかな」


「そ、そう?じゃあ、ボクもそうする」


「黒影さんも?」


「う、うん。この雨だと、傘持ってても……絶対濡れちゃうし」


「ははは!そうだね、確かに傘なんて、全然意味ないかもね」


「ふふふ、うん」


「そう言えば、最近やってるあのアニメって面白い?あの、嘲笑のフリーメンってやつ」


「……えっと、ちょっとタイトル違うけど、ボクは面白いなと思って観てるよ」


そうして僕らは、一緒に雨が弱まるのを待ちながら、穏やかな会話を続けていた。



……ザーーーーー



雨は未だに、強く降り注ぐ。でもこの時の僕は……もう少しだけ、雨が強いままでいて欲しいと、そう思っていた。






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自己肯定感ゼロのボクっ子陰キャちゃんを全肯定してみたら激重ヤンデレになりました 崖の上のジェントルメン @gentlemenofgakenoue

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