第一話 リガメアからの出立

神の行方が分からなくなり、パムジュリエの守護する国、『リガメア』は何度も滅亡の危機を迎えていた。そんな国に生まれたロド、ミラノア、ジュティエルの三人は、他の人とは違う力を持っている。

三家の先祖に、神から加護を受けた人物がいた。もう五百年以上前のことだ。当然その人らは亡くなっているが、その加護の力が強く出たのが子孫であるロド達だった。


彼らはパムジュリエの紋章を体に持ち、その三人が揃ったことによって周りは考えてしまった。


──彼らがリガメアや、そして世界を変えてくれるのでは、と。


期待を背負った、運命を託された三人は、幼い頃にフォグウォールを通過できると偶然判明した。遊んでいたロドが霧を超えて向こうを見たと大人たちに話し、それからロド達は将来他国へ向かうための教育や鍛錬を人一倍受けた。


それは子供にとっては酷だった。

それはまだ状況の分からない彼らにとっての理不尽であった。


同じ状況であることによって、三人の絆はより強まった。そして成長するにつれて、勝手に託された希望を嘆くより、人のために世界を変える決断をするようになる。


そんな三人が、この日フォグウォールを超えたのだ。




────




七国は、それぞれ円を描くように並んでいる。隣国同士を繋ぐように巨大な橋が存在し、今はそこを渡っている。全ての国に繋がる島が七国の中央にあるのだが、それは神々が集まるために作られた場所であるため、ただの人は足を踏み入れることが不可能であった。

故に、ロド達はまずリガメアの右隣にある幸福の神、エルランドルが守護する国、『フェリチーダ』に向かうことにした。


霧の中は当然視界が悪く、真っ直ぐ進めているのかすら怪しい。ただ橋に沿いながら進んでいるが、いつフェリチーダにつくのか、五百年、誰も行ったことの無い挑戦に三人は不安を抱いていた。


「ねぇー……これちゃんと進んでる?」

「どうだかな。書物に記してあった距離が本当なら、半日は歩くだろう」

「馬でも用意出来れば良かったですけどね」


神が不在なせいで、内戦が耐えないリガメアで馬は貴重な存在だった。全て戦に連れていかれ、世界の命運を託しておきながら、こちらに回す余裕がないらしい。怒りを通り越して呆れすら感じるが、ロド達の力を信じているのは彼らが住む小さな街の住人が殆ど。藁にもすがる思い、と言えばいいのだろうか。


「無い物ねだりをしてもしょうがないだろ」

「私もう疲れてきた……どっちかおぶって」

「鎧を装備してる私にそれ言います?」


全くいつも通りの、平凡な会話。

これから、五百年変わらなかった歴史を変えているだろう三人だが、自覚がない状態だ。ロドが過去に霧を超えたというのは嘘ではないか、ミラノアは足の疲れにうんざりしながらそう考えていたのだが、霧は数メートル進めば普通は元の場所に戻ってしまう。それを考えると、足が痛くなるほど進めているというのが、フォグウォールを通過しているという何よりの事実だった。


そして暫くして──唐突に、ロドは足を止めた。

腕を横に出してミラノアのジュティエルの歩みを遮ったロドは、腰に下げていた剣の柄に手をかける。その仕草に、ミラノアは鞄から弓を取り出すと展開させておく。


ロドは人差し指を中指を内側に向けて自身の目を指し示すと、今度は伸ばした指をとある一点に向けた。『あっちを見ろ』、そう指示されたと察したミラノアとジュティエルは頷く。


蠢く何か、それが霧の中に存在している。それを確認した三人は、ゆっくりと近づいた。自分達しか通れないはずの場所だ、そう思ったが他の神の加護を受けた人が通れる可能性もある。色々な可能性を想像するが、目の前に現れたそれに、誰もが目を丸くした。


「……猫?」

「何故こんな場所に……」


所謂三毛猫と呼ばれる種類の猫が、にゃぁ、と呑気に鳴きこちらを向いている。唐突に力が抜けて、ロド達は武器を仕舞った。


「なんだ、お前も俺たちと同じか?」

「世界の命運を託される猫なんて居ないでしょ。ほら、おいで〜。怖くないよ〜」

「ははっ。ミラノア、あなた威嚇されてますよ」


なんだが和やかな雰囲気の中、ロドは嫌な予感がした。三毛猫が一歩、こちらに近づく。すると少し大きくなっ

たように見えたのだ。



一歩、一歩──こちらに進む猫は、ついには五メートル程の高さまで大きくなった。



「──は?」


ロドは思わず間の抜けた声を漏らして、猫とは対照的に一歩足を引く。すると、猫は前足を上げてジュティエルに向かってそれを下ろした。思い切り地面に叩きつけられ、そのまま転がすように足を動かされる。


「ジュティー!」

「おい、じゃれてるってレベルじゃねぇぞコレ!」


ロドは剣を抜くと、ジュティエルにのしかかっている前足を切りつけた。カキンッと弾かれるような音がして、それが柔らかい肉ではないと察する。邪魔されたことを不快に思ったのか、猫は一度足を引いてジュティエルを解放した。それを確認すると、ロドはジュティエルの腕を引っ張り素早く起こすと、そのまま本来進んでいた方向に向かって走り出す。


「ここじゃ視界が悪い! 走れ!」

「霧を抜けるまで追いかけっこするわけ?!」

「イタタ……追いかけて来ないことを祈りますよ」


三人は巨大な猫に背を向けて走った。ジュティエルが無事なことにロドもミラノアも安堵すると、そのまま突き進む。的が大きいとは言え、霧の中で相手をするには些か厄介な相手だ。前足を出した時の素早さは並大抵のものでは無い。分が悪い、それが直ぐに理解出来る。


ジュティエルの祈りも虚しく、少し遅れて猫は走り出した三人を追ってきた。いつまで走ればいいのか、そう思いながらロドは息を切らせて──そして、足を止めざるを得なくなった。


「──うそ、だろ……!」


ぐらり、一瞬足元が揺れたと思えば、橋が崩れ始めたのだ。片方の足がギリギリ乗る程度の円盤状の足場が、いくつか浮遊している。どういう状況なのか、そう思ったが、悩んでいる時間は無い。後ろから迫る猫に突き落とされて死ぬより、この危険な足場を渡った方がまだ希望がある。


「オラァッ!」

「嘘でしょ?! これ渡るの?!」


先導したロドに続き、重い鎧を装備しているはずのジュティエルも軽快に足場を渡っていく。そんな命知らずの二人に、ミラノアは迫ってくる猫と足場を交互に見ていた。


「ほら、けんけんぱっ! って子供の頃遊んだだろ!」

「あれは足踏み外しても死なないじゃん!」

「ミラノア! 勇気を出してください、大丈夫です!」


片足立ちで振り返る二人も辛いだろうが、ミラノアも勇気が出なかった。このまま進まなければ自分も死ぬし、待っている二人にも負担がかかる。そう思い一度強く目を瞑ると、しっかりと開いてから大きくジャンプした。


飛び出してみれば、ヒュッと喉がなった。

三十から四十センチ程の円盤状が空中に並ぶ。その隙間はまるで暗闇を閉じ込めたような真っ暗な空間が、落ちてくる獲物を待っているようであった。思わず震える脚で、足場に着地する。


「(し、死ぬ……ッ)」


ミラノアはどくどくと脈打つ心臓に、緊張に唾を飲み込んだ。ロドの言ったように子供の頃こんな感じの遊びをしたな、なんて考えながら、ミラノアは意を決していくつか足場を経由してロドとジュティエルの側まで到着した。


振り返れば猫が無くなった橋を見て、にゃあ、と鳴くと毛ずくろいを始めた。この不安定な足場の中で追ってくることはしない、それに安心するが──あることに気づく。


「おい、踏んできた足場無くなってないか……?」

「確かに、一度踏んだ足場は消えてましたね」

「呑気に言ってる場合?! 足キツイ! どうしよう?!」


もう後戻りは出来ないどころか、無闇に進むことすら困難となった。三人は一度顔を見合わせると、足場の位置を把握する。


霧のせいで手前の足場しか見えないのが致命的と言えるだろう。先が予測できない状況で、消える足場を進まなくてはいけない。


「ミラノア、先に行け。選択肢が多い方がいいだろ」

「い、いいの……?」

「気にせず進んでください、私たちは臨機応変にどうにかしますよ」


ミラノアはそれに頷いて、一度ロドとジュティエルを確認すると進み出した。なるべくバラつかない方がいいだろうと端の方を選択すると、大股で歩くように片足ずつを載せながら足場を進んでいく。それを見送ると、ロドとジュティエルは頷きあった。


「先に行け」「お先どうぞ」


「「……先に──」」


言葉が重なって、二人はため息を吐く。正直、片足立ちの状況でこのまま『貴方がお先にどうぞ』で揉めたくない。そして、二人の決断は早かった。


「「せーのっ! ジャンケン、ぽんっ!」」


ロドは全力で握りしめた拳を出した。

対して──ジュティエルはピースサインを差し出した。


「勝った方の意見が通る。さあ行け」

「負けたのに優先されるのは少々癪ですが……お言葉に甘えて」


ロドの拳に自身の拳を合わせると、ジュティエルはなるべく足場が残るように大きく間隔をあけてとんとんと飛んで行った。先を譲ったにも関わらず、ロドの事を気にかけて無茶をしている。それに呆れたようため息を吐くと、ロドは残った足場の把握をした。


当然順番が後になるにつれ難易度が上がる。だがミラノアは端を集中的に使い、ジュティエルも足場が多く残るように計算して渡っている。ならば何も難しいことは無いと、ロドは勢いよく進み出した。


「あー、初っ端からこんなことあるのかよ!」


旅は始まったばかり、言うなら物語の序章を語り始めた程度だろう。最初からこのような困難があっていいのか、そう思いながらロドは足場を飛んで行った。


暫く順調に進んでいると、先でミラノアが待っているのが見えた。


「あ、ロドも見えた! おーい! こっちは普通の陸だよ、頑張って!」


まだ足場を渡っているジュティエルとロドを、ミラノアはハラハラと緊張した様子で見守っていた。一番不安そうにしていた彼女が安全な場所にいることに二人とも安堵すると、自分もそのまま、そう思って進んでいく。



────だが、それは突如訪れた。



どしんっ、どしんっ! と大きな音を鳴らして、猫が足場をいくつも使って通過したのだ。ロドとジュティエルを越して、ミラノアの側に立つと猫は最初に見たサイズまで小さくなった。にゃおんと楽しげに鳴いた猫を見て、ロドは舌打ちをする。


猫がむちゃくちゃに渡ったせいで、ロドとジュティエルを分断するように足場が一気に無くなったのだ。背後を振り返るが、戻ることも当然困難。

一メートル程度を飛べば足場がひとつあり、そしてまた一メートル超えたところにひとつの足場。更にその先は、ジュティエルが立っている足場の斜め前にひとつある。


「クソッ、飛べるか……?」


一つ目、二つ目は幅跳びのように勢いをつけて飛べるだろうが、その先は届いたとしても、ジュティエルが使うべき足場を使ってしまうだろう。勢いをつけなければジュティエルの隣の足場までは行けないが、そこに着いた瞬間勢いを殺して止まることは不可能。ジュティエルも、それを察したようだった。


「ロド、そのまま飛んで下さい! 貴方の脚力なら飛べるはずです!」

「お前、ミラノアが立ってる場所までの足場見えるだろ! 二人分あるのか!」


ロドのところからは、霧で足場が僅かに見えづらい。一人分しかないように見えるが、ジュティエルの距離からならはっきり見えるだろう。

ロドの言葉に、ジュティエルは足場を確認するように顔を向けたあと、真っ直ぐロドを見つめた。


「──あります、二人分。だから飛んでください!」


ジュティエルの表情はヘルムで見えない。

だが──ロドはすぐに、足場が一人分しかないと分かった。


状況的に一番死に近いロドを、どうにか助けようとしている。それが声だけで分かるのだ。ロド達は、生まれた時から一緒だった。ずっと三家は仲が良い、ずっと一緒であった。だからこそ──怒りが、込み上げた。


「お前、自分のこと諦めただろ! 巫山戯んなよ……この馬鹿野郎が!」

「ロド……」


ジュティエルはロドを見つめたあと、申し訳なさそうに顔を伏せた。そして、小さく謝ると、足場は一人分しかないと首を横に振る。

どうにか二人とも助かる道はないか、そう考えていると、ロドはその生存への道の糸を掴んだ。


「ミラノア! 陸のギリギリに立っててくれ!」

「わ、分かった!」


遠くに薄ぼんやりと見えるミラノアにそう指示すると、ロドは緊張を解くように短く息を吐いた。

このままどちらかが死ぬ選択をしなくてはならないなら、危険な道でも賭けるべきだ。そう思い、今度はジュティエルの方へ顔を向ける。


「ジュティー、横の足場にもう片方の足乗せて体を安定させてくれ」

「そうなったら余計にロドの足場が──」


ジュティエルは途中まで言った言葉を止めた。ロドが何をしたいのか察したジュティエルは、言われた通りに斜め前にあった足場を使って両足を足場に乗せると、そのまま中腰になって皿のようにして手を重ねるとそれを下げた。


「踏ん張ってくれよ……行くぜッ!」


勢いをつけて、ロドは進み出した。

まず一メートル先の足場を使い、次の足場まで飛ぶ。


そして──ロドはそこから更に大きく飛んだ。


「──ッ!」


着地点はジュティエルが器のようにしてる掌の上、そのままそこを足場に見立てて踏むと、ジュティエルがバネの役割をしてロドを投げるよに陸の方へ飛ばした。まるで鳥のように空を飛んで、陸へ手を伸ばした。


「ロド!」

「──ぐ、ぅ……ッ!」


陸までは流石に届かないと分かっているので、陸の端をギリギリ掴むと、そのまま宙ずりの状態になる。陸のそばで待機していたミラノアはロドの手をとると、陸の方へ引き上げた。ロドの計画通りに、ジュティエルの居た地点から足場をひとつも使わずに突破すると、ロドは無事に陸へ到着した。


「ジュティー! 行けるか!」

「よい、しょっ……! はい、到着です」


ロドを飛ばしたジュティエルがバランスを崩して落ちればそれこそ最悪であったが、彼は平気な様子で残った足場を使って陸へ辿り着いた。


三人が陸につくと、先程まで死ぬ思いをしながら渡った橋がガラガラと音を立てて、元に戻っているのが分かる。確認すれば、最初に通ってきた時と同じようになっており、皆で大きなため息を吐く。


「な、なんだったのよ……」

「俺たち、試されてんのか?」

「それか……阻止しようとしている人がいる、とかですかね?」


ミラノアは二人の言葉を聞いて、脱力するように座り込んだ。乗り切った安心感と、またこういうことがあるかもしれないと言う絶望。それに力が抜けてしまったのだ。いつの間にか猫も消えており、怒りをぶつける対象すら無くしてしまった。


「おい気ィ抜くなよ、こっからが本番だぞ」

「橋が終わったということは……ここは、フェリチーダなんでしょうか?」


ミラノアを引っ張って立たせたロドは、ジュティエルの言葉を聞いて周りを見渡した。しかし、まだ視界は霧に覆われておりよく見えない。


三人がそのまま進むと、霧が晴れた。これでまたリガメアに戻ってました、なんてことがあったらもう投げやりになって旅を辞めてしまいそうだ。


だが──三人の視界には、見たことの無い花が咲き誇る、花畑が拡がっていた。

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