恋愛弱者が頑張ってはいけないのですか? 04
紆余曲折を経て、私は綿太郎君と恋人同士となった。10回目のデートという超長期戦の末、大金星をあげることができて何よりだ。これでダメだったら流石にどうすれば良いか分からなかった。
綿太郎君は慣れないなりに私を家にまで送り届けてくれた。軽いと思われないか不安はあったが思い切ってあがっていくかと聞いたものの、真っ赤な顔で「今日はこのくらいで……」と逃げられた。……ちいッ。
……まあ、良い。彼は確かに“今日は”と言った。つまりいずれそのつもりはあるということだ。それだけ確認できれば十分だ。
今日はもう遅い時間だ。お腹も胸もいっぱいだし、お風呂にだけ入って寝ることにする。
浴槽にお湯を溜めている間、化粧を落とす。お湯が溜まったらお気に入りの入浴剤を入れてみる。今日は色々と頑張ったからご褒美だ。シュワシュワーと広がるそれを見ると自然と口角が上がるのが分かる。
頭と身体を洗い終えて、湯船に浸かる。身体の芯がじんわりと温まり、1日の疲れを癒してくれるのが分かる。
……私は一個、綿太郎君に隠していることがある。そしてそれは今後も言うつもりはない。
私と綿太郎君はアプリで出会ったことになっているが、実際はそうでない。もっと前に私達は出会っていたのだ。
――あれは私が23の時。喧嘩ばかりしてきた私はろくに就職活動もせずに、漠然とした焦りはありながらも日々を漫然と消化してきた。
そんな私にも当時恋人はいた。喧嘩の時に思いがけず一発喰らってしまい、そこへ優しく声を掛けられた。異性慣れしていない私はすぐにそんな彼へ惚れ込み、彼もそんな私の青い想いを受け入れてくれた――かのように思えた。
そんな彼が私の他に4人の女と付き合っていたということを知ったのはそれからすぐのこと。すぐに問い詰めると、「男には種の保存本能があるから綺麗な女がいたらそういう気持ちになっちゃうんだよ」と開き直られてしまった。思わず殴りかかったがあっという間に抑え込まれてしまい、「男のそういうところを優しく見守るのも女の役割だよ」と囁かれ無理矢理キスされそうになったすんでのところで金的を喰らわせて何とか逃げ切った。
逃げて安心した瞬間に、恐怖と裏切られたことによる悲しみで泣けてきた。
誰もいない夜中の小さな公園のブランコで缶チューハイで泣きながらヤケ酒をしていると男の人影が現れた。
「あのう……」
「……は?」
掛けられた声に反射的に険のある声が出てしまった。しかし、その時の私にとっては男は不信の対象だった。
「ひえ……」
その男は明らかに怖気ついていた。一体どんな情けない顔をしているのかと意地悪な気持ちから覗いてみようと顔を上げるとその男は驚くくらいに人畜無害な顔をしていた。そう、これが私の出来立てホヤホヤの彼氏――
今思うと我ながら非常に性格が悪いと思うが、喧嘩になったら勝てると思ったからかそこから私は俄然強気になった。
「なんか用?」
ぶっきらぼうに問うと男は声を掛けた手前、無視するわけにはいかないのだろう。モジモジとした後に
「なんか落ち込んでるように見えたので……」
と真面目な顔をして言う。
「あ、でもすいません! 余計なお世話でしたよね! はい、僕は帰ります……!」
キビキビと退散しようとするその動きがなんだか面白くて、私の中で気まぐれが起きた。
「……ふッ、何それ。……そうしたらちょっとだけ付き合ってもらって良い?」
「え、ええ、もちろん!」
私の態度の急変には驚いた様子はあったが、彼は快く引き受けて、何故か隣のブランコではなく、少し離れたベンチに腰掛ける。その距離感がまたなんかおかしい。
いかにも年下っぽい感じだったので、側にあった自販機でお茶を買って渡してあげると彼は大変恐縮していた。お茶くらいで大袈裟なと思わなくもなかったが、当たり前のように受け取られるより何倍も気分は良い。
「――ってわけで彼は5股掛けてたんだよ! 挙げ句の果てには無理矢理キスしようとしてきたした。……くっそ、脳みそチ◯コでできてんのかよ! 蹴るに留めず握り潰してやろうかと思ったよ!」
「握り潰して……ひえッ」
アルコールが入ったことで私の口はより滑らかに――というより単純に悪酔い気味に饒舌になり、異性に聞かせられないような汚い言葉遣いを乱発。案の定、彼は自らの分身を守るように手で押さえる。
彼はひとしきりビビり終えると、心配そうに私を覗き込む。
「……でもその、大丈夫なんですか?」
「彼が? 大丈夫でしょ。今頃他の4人の女のうち誰かとよろしくやってんじゃないの? もしくはもう私の抜けた穴埋めてるかもね」
そう考えるとズクンと胸が痛む。あんな奴の為に痛めなければならない謂れはないのだけど、また思い出しては嫌な気持ちになる。
「いいえ、違います。その……貴方がです」
「え、私?」
「はい。だってそのことが終わってからもここでこうして1人で飲んで……。それになんか通りがかった時に見えたお姉さんの背中がなんかすごく寂しそうというか悲しげだったので……」
「……」
思いがけないことを言われてしまった。私が固まっていると彼は何を勘違いしたのか、またアワアワと両手を自分の前で振り始める。
「あ、や、そのすみません! その僕の思い違いかもしれません! ……というか、その多分勘違いです! なんかきもいですよね! ……すみません!」
「……ふッ」
「え」
「あはは、ふふッ! おかしいね、キミ」
突然笑い始めた私を不思議そうに彼は見る。
「……えーと、そのウケたなら何よりです……?」
「ふふ、うん。面白いよキミ。キミ、彼女いないの?」
「え゛」
こんな面白い子なら好いてくれる子がいてもおかしくないと思って聞いてみたら彼は痛いところを突かれたとばかりに表情を歪める。
「いや、僕モテないし! というか僕風情のこと好きになってくれる人なんて……クラスの良い人止まりランキングぶっちぎりの1位ですよ?」
なんかもの悲しいことを暴露された。だけど確かに良い人止まりというのも分からないでもない。きっと彼は誰にでも私にやってくれたみたいに親切なのだろう。他人に優しいことが人としてプラス要素であることは間違いないけど、必ずしも恋愛においてはプラスに働くわけではない。だけど、私は確信を持って言う。
「いるよ」
「え……」
「まだキミのその優しさが他の人に伝わってないだけだよ。でもきっといつかそれを拾ってくれる人に出会えるよ」
「……」
呆気に取られた様子でこちらをじっと見る彼はしばし目をパチパチする。
「そんなふうに言われたの初めてです……。あ、でもそういう意味ならお姉さんは僕のことを拾ってくれてますね……はは」
「!」
「……って、あ! すいません! 決してお姉さんが僕のことを好いてくれてるなんて自惚れたことを思ってるわけじゃありませんよ!? すみません! セクハラですよね!? 煮るなり焼くなり好きにしてください! これ、僕の名刺と職場の連絡先です!」
恐ろしいくらいの早口で捲し立てる彼は自ら個人情報を晒すという自爆特攻を披露。
「いや……そのびっくりしただけだから大丈夫だよ」
「そ、そうですか……? それなら良かったです……」
あからさまにホッとした様子に思わず笑えてくる。一体どれだけビビってるんだか。
……ふぅん、それにしても真地綿太郎君というのか。変わった名前だけど逆に覚えやすい。
「まあ、せっかくだしこの名刺は貰っておくよ。何かの縁かもしれないし」
私がそう言うと彼は「ええ、まあ別に良いですけど……」とキョトンとした様子。
「ありがとうね。散々愚痴らせてもらったおかげで元気出たよ」
「それなら良かったです。なんか僕もお姉さんのおかげで少し前向きになれた気がします」
彼ははにかみながらそう言う。それを少し可愛いと思ってしまう私はさっきまで彼氏がいたくせに軽い女だろうか?
そして翌日。彼から貰った名刺を眺めているとなんとなく自分もいい加減何か仕事をしなければという気になった。
彼の勤めているのは私のような不良でも聞いたことのある名前の大手グループ会社だ。
私も優しい人になりたい。彼のようにそれがなんでもないことのように親切に振る舞えるようになりたい。彼のようになりたいのならば彼と同じようにまずは働くべきなのではと実に単純な思考回路のもと私は行動に出た。
必ず返すと約束して親にお金を借りて髪は黒く染め直し、面接用のスーツも揃えた。ろくに勉強もしてこなかったし、人とまともなコミュニケーションを取っていなかったこともあってなかなか職に就くことができなかった。学歴欄を見た面接官からはあからさまにため息を吐かれたり、空白期間のことは何度も聞かれて時には「甘えていたんでしょう」と耳に痛いことも言われて落ち込んだ。
だけど、彼もこんな想いをして――いや、もっと辛い目に遭っても頑張っているに違いないと思えば自然と頑張れた。そして33社目にしてついに喉から手が出るほど欲しかった【内定】の2文字を手にすることができた。
そして会社勤めにもちょっとずつ慣れてきたタイミングで同僚に勧められるがままマッチングアプリを始めてみた。正直全く気は進まなかったけど、会社に慣れない私に仕事を教えてくれた人でもあったので言われるがままプロフィールや写真を埋めると色々な男から凄まじい勢いでメッセージがきた。同僚曰く女はそれが当たり前らしいが、流石に驚いたのと中にはあのゲス5股男を彷彿させる卑猥な内容を送ってくる奴もいた。彼氏は欲しいけど、流石にこれは嫌だった。申し訳ないけど、すぐに退会しようと思ったところで、メッセージ付ではなく♡(SNSでいう、いいね!だ)のみ送ってきた者の中に気になる人がいた。
そう、それが綿太郎君だ。“めんたろー”という名前だったので目に留まり、見てみると写真やプロフィールの内容から見て間違いなさそうだ。あれから1年くらい経つが、彼の姿はハッキリと覚えていた。彼と話して心が軽くなったことや案外それで立ち直れたことを思い出して、私は思い切って♡を返すことにした。
そこからはメッセージを何十往復もしてようやく今に至るという形だ。その間、彼が私を思い出す気配が全くなかったのは複雑だが、髪型も色もメイクも変えているので仕方ない。……とはいえ少しはおや? と思って欲しいのが女心の複雑なところだ。
まあ、仕方ない。そんな女の変化の機微に疎そうだ。でもいつかは種明かしをしようと思う。彼が私に♡を送ってくれたことには年甲斐もなく運命を感じてしまったのだから。
ごちゃまぜ短編ズ うりぼー @a_12wata
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