恋愛弱者が頑張ってはいけないのですか? 03

 ――くそ、くそ、くそうッ! 畜生ッ!

 あてもなく走りながら俺はひたすら自らに悪態をつき続けた。

 ――みっともねえなあ!

 桑原の罵声や、三春の小馬鹿にした表情、そして自分が今まで浴びせ続けられた心無い言葉達が蘇ってくる。

 その1つ1つはそんなに大したものではない。だがそれはボディーブローのように蓄積されていき、ある時急に爆発するのだ。そして一度爆発したら最後。それは呪いのように蝕み続ける。自分を認められなくなるのだ。

 どんなに他人がこんな俺を肯定してくれても、どんなに自分でも努力したと思っても。ある時、急にふとクるのだ。――でも俺ってダメなところいっぱいあるよな、と。

 久美さんが俺を助けてくれたこと自体は嬉しかった。好きな人と言ってくれたのなんて正常な時だったらその場で飛び上がるほとだ。

 だが、それと同時にとてつもなく惨めな気持ちになった。好きな人に庇われて、後ろに隠れて自らは何も言えないでいる。大嫌いな桑原の言う通りだ。みっともない。たとえ久美さんが俺のことを好いてくれていて、付き合ったとしてもこんなことでは久美さんの負担が増えるだけだ。

 その事実に気が付いた時には惨めさとその悲しさに打ちのめされてただ駆けていた。

 行く宛などない。ただ感情をぶつけるように駆ける。このままどこかに消えてしまいたかった。

 そして、何分走ったのだろう。俺はいつの間にやら見慣れたビルの屋上にいた。

 ここは俺の勤める会社の近くだ。田舎特有の緩さなのか流石に中に入ることはできなくても外階段を登って入ろうと思えば誰でも入れる。人があまりこなくて気に入っているスポットでもある。先輩に休憩中に誘われてこの場所を知ってから1人になりたい時はここに来ていた。そんな場所に俺は1人で来ていた。

 3階建のビルはそんなに高くないが、こんなところから落ちたらひとたまりもないだろう。もちろん親が悲しむだろうし、会社でも仕事の引き継ぎとか大変だろうから飛び降りて死ぬつもりはない。だけど、

 「死んだら……ラクになるのかなあ」

 こんな弱音の1つくらいは漏らしたくなる。

 それくらいは弱っていた。桑原のことも三春のことも大嫌いだが、奴らの言ってることは正しい。

 俺は情けない。好きな人の前であんなにボロクソ言われたまま黙っていたうえにその好きな人に庇われるなんて。

 久美さんが俺のことを好きでいてくれるなんて本当なら飛び上がるほど嬉しかった。だけどすぐに申し訳ない気持ちになった。こんな俺でごめんなさい。貴方が思ってるほど俺は優れた人間ではないんです。

 「はあ……」

 思わず逃げてしまったが、どうしようか。

 久美さんのことだ。きっと失望とかはしないでくれるだろうけど、背を向けて逃げてしまったことはとても無礼なことだ。LINEでメッセージくらい送るべきだろう。

 しかし、怖くてスマホを手にすることができない。

 こういう時に限って満天の星空だ。その綺麗な景色すら今は恨めしい。

 「帰るか」

 一旦帰って頭を冷やそう。

 そう思って屋上から出ようと踵を返そうとした瞬間、

 「あぶなーーーーーーーーいッ!」

 「え……!? ……ぶべらッ!!」

 突然飛んできた久美さんはアメフト選手のようなタックルを俺にお見舞い。急なことに全く反応ができなかった俺はものの見事にそれを喰らい、地面に倒れ込む。

 「ダメだよ綿太郎君! いくらなんでもそれはダメ! 絶対!」

 いきなり麻薬撲滅の標語のようなことを必死の形相で言う久美さんに俺は起き上がれないまま目を白黒させる。今俺は久美さんにマウントポジションを取られているような格好だ。普段なら興奮でどうにかなりそうな絵だが今はただひたすら混乱している。

 「……えーと、久美さんこれは……?」

 打ちのめされて鬱々としていた気持ちはすっかり引っ込んでしまった。良いことではあるが、正直混乱している。

 「だって今自殺しようとしてたでしょ!?」

 「え、してないよ」

 「え」

 「あ、いや。死んだら楽になるかなあとは思ったけど……あべしッ!」

 固まる久美さん見たら申し訳なくなったので補足情報を付け加えたらビンタされた。さっきのタックルもそうだが、

 「綿太郎君が死んだら……悲しむ人はいっぱいいるんだよ!」

 久美さんはその端正な顔をクシャクシャにしてボロボロと涙を溢していた。

 「さっき言ったでしょ! 他の人がなんて言おうが私は綿太郎君のこと好きだし、ご両親や親友の小田切君だってすごく悲しむよ!」

 「……」

 両親や小田切の顔が頭に浮かぶ。久美さんの言う通り、仮に俺が死んだりしたらきっとすごく悲しむだろう。

 しかしその後すぐに桑原や三春の顔が頭に浮かぶ。仮に奴らは俺が死んだとしても何事もなかったかのように面白おかしく人生を謳歌するだろう。仮に俺が遺書を遺して名指しで奴らを糾弾したとしても口八丁で乗り切るだろうし、そして飲み会の場でこう言って笑い話にするに違いない。「アイツは冗談も通じない」のだと。

 その場があまりにリアルに想像できてまた表情が暗くなるのが自分でも分かる。いつだってそうだ。弱い奴の立場はどんな時だって弱い。そして強い奴はいつだって強い。だから弱い奴はどんなに正当性のあることを言っても強い奴の意向次第でそれはあっさりと過ちになる。だから自分の心身を守る為にも最初から高く望まない方が良いのだ。

 「……って、え、ちょ、久美さん……!」

 久美さんは両手で俺の顔を包み込むようにすると自身と俺の目を合わせる。そして俺の弱気に溢れた瞳を見据える。

 「今綿太郎君が考えてること、大体だけど分かる気がする。……自分は弱い。だから自分は間違えてる。他の人が言ってることが正しい。自分は望んではいけない」

 「……なんで……」

 「なんで分かるかって? 私も同じだからだよ」

 「同じ? 久美さんが……?」

 こんなにキラキラしてるのに?

 「私、最初からこういう感じじゃないんだよ。落ちこぼれだったし」

 俺の心情を読み取ったかのような言葉。その内容はとても信じられなかった。

 「いやいや、それは嘘でしょ。久美さんはこんなに――」

 「さっきの見たでしょ」

 「あ」

 そういえば打ちのめされていてすっかり忘れていたが、さっき桑原達に対して怒鳴っていたっけ。

 「もしかして久美さんって……そのヤン……じゃなくってその昔グレてた?」

 危うくヤンクミという色々な意味でアウトな異名で呼ぶところをすんでで回避。俺の問いかけに久美さんは恥ずかしげに顔を逸らすと小さくコクリと頷く。

 「うん。その……小学校高学年から……中学……いや、高校……。ううん、大学……ごめん嘘。社会人3年目くらいまではずっとヤンキーでした。はい、すいません」

 「いや長いな」

 ヤンキー15年以上のベテラン選手じゃん。謝ることないけどなんか萎れてるし。

 「ヤンクミって聞いたことあるでしょ」

 「あ、うん……」

 やっぱりそうだった。

 泣く子も黙る最強ヤンキーこと、ヤンクミ。弱きを助け、強気を挫くその姿に俺は密かに憧れを抱いていたのだ。噂でしか聞いたことなかったからどんな人なのか知らなかったが、まさかその人が目の前に現れるとは。どうりで迫力がサマになっていたし、タックルも強烈だったわけだ。

 「あることがあってこのままじゃダメだと思って一念発起して、髪を染め直して就活してなんとか今の会社に入れたの。ずっと黙っててごめんなさい」

 「あ、いや……そんな。別に過去にヤンキーだろうと今が大事だと思うのでそこは気にしないで良いと思う……? あ、ごめん俺がこんな偉そうに言えることでもないんだけど。過去に人を殺してたとかいじめてたとかじゃないんだしそこはあまり気にしないで良いんじゃないかな……」

 我ながら自信なさげになってしまった。だが、俺のそんな言葉でも微力ながら効果はあったらしい。久美さんは少し安心したような表情を浮かべた。

 「うん、まあその殺したりいじめたりはなかったよ。……再起不能にしかけたことはあったけど」

 「……え、なんて?」

 なんか恐ろしく物騒な言葉を最後にぼそっと付け加えてなかったか?

 「ううん、何でもない! うん! 大丈夫! 結果オーライ!」

 久美さんは水を浴びた犬のように激しく首を横に振る。

 「そ、そうなのか……。まあ、それなら良いんだけど」

 何が結果オーライだったのかとかは気になるが、そこには何となく触れない方が良い気がする。それにもっと気になることがある。

 「あることをきっかけにって言ってたけど、それって一体何があったの?」

 「……」

 俺の何でもない問い掛けに久美さんは首を止める。え、さっきのこと以上に聞いちゃまずいことってあったか。

 「……それは内緒♡」

 久美さんは天才的なアイドル様のように可愛らしく人差し指を口元にあててそう言う。そう言われてしまってはそれ以上の追及は野暮というものだ。

 「それはさておき、自分で言うのもなんだけど、今言ったように私はどうしようもない跳ねっ返りだったの。それでも今は他の人と同じように働けてる。それは私がかつて望んだことなの。だから綿太郎君が望んじゃいけないってことはないよ」

 「……」

 これを否定しては久美さんの努力自体を否定することになる。それだけはしてはいけない。黙って頷く。

 「綿太郎君が変わりたいというなら私は協力するよ。……どんなことでも」

 「え?」

 どんなことでもって……。面食らう俺に久美さんは不満そうに唇を尖らせる。

 「綿太郎君さ、キミ分かってる? 私、キミのこと好きだって何回か言ってるけどそれについてなんかないの?」

 「……」

 忘れるはずない。だけど色々な感情に飲み込まれて処理できなかったのだ。当の本人に言われて自分の顔がどんどん熱くなるのが分かる。

 「それについて、なんかないの……?」

 同じ質問を再度ぶつけられる。よく見ると久美さんの顔も赤く、不安そうに少し上目遣いになっている。流石にこれに応えなくてはならないことは俺でも分かる。

 「久美さん……」

 「うん、なに?」

 久美さんが俺のことを好きだと言ってくれたのにも関わらず緊張する。体が火照って喉が渇く。考えてみると人に対して自分の剥き出しの感情を向けるというのは俺にとって人生初の経験だ。そして、きっとこれから俺は久美さんと色々な初めての経験をすることになる。それらへの期待や不安を噛み締めて、

 「久美さん。俺も……俺も久美さんが好きだ。だから付き合いたい。久美さんと一緒に変わっていきたい」

 「……ん、私も綿太郎君が好き。大好きだよ」

 そう言うと久美さんは俺の首の後ろに両手を回して、そのまま顔を近づけて――初めてのキスは身体の中心が痺れるような、それでいて脳がフワフワするような不思議な多幸感に溢れていた。

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