第5話 隙間
「あ、そこの戸閉めないで」
僕がトイレから出て、テレビのあるリビングに戻ってきた時、ゲームをしていた友達のユウトがそう言った。
小学四年生になって初めて同じクラスのユウトの家にきた。ユウトの家は僕の家より新しくて綺麗で、階段なんか天井も高くて、僕は「すげーキレー」ってバカみたいに大口開けて言ってばかりいた。
ユウトの家は新しいゲームもいっぱいあって、家も建てたばっかりで、そんな事は言わないけれど多分お金持ちなんだと思う。ユウトが得意げに出してくる真新しいゲーム機を前に僕は興奮しっぱなしだった。
「え? なんで?」
僕が高い声でそう言うと、ユウトはテレビから目線を外さずに何でもないみたいな顔で「何でも」と言った。多分、ユウトも理由を知らないんだろうなと、すぐに思った。
他のドアはドアノブもある木でできた内開きのドアなのに、廊下からリビングに入るそのドアだけは古い僕の家みたいな、紙の貼ってある引き戸だった。それが絶妙に家に合っていなくて、初めて見た時から気持ち悪く感じていた。
「そのドアだけはちょっとだけ開けといて。“指三本分くらい”。」
その言い方が余りにも言い慣れていなくて、如何にも「親からいつもそう言われています」って感じに聞こえた。
僕はしっかり閉めた引き戸を見て、逆らう意味もないので大人しく言われた通りに少しだけ引き戸を開けた。
「……何でここ開けとくの」
「知らね。母さんがいつもそこ開けとけって言う」
ユウトはそう言うと、突然甲高い声で「あー!」と叫んでゲームのコントローラーを放り投げた。どうやら、ゲームの敵に負けたみたいだった。
順番にプレイしているので、今度は僕の番だ。僕は跳ねるように急いでユウトの所へ行った。
ユウトが放り投げたコントローラーを奪い取って、画面を見詰める。このボスにはもう二十分くらい負けっぱなしで、ユウトと僕どっちが勝つか、交互にチャレンジしている相手だった。
「ちょっとオレ、トイレ!」
ユウトが勢いをつけて立ち上がって、そのままさっきの僕みたいに急いで部屋を出て行った。多分、敵に負けそうだから我慢してたんだ。僕は画面を見たまま「んー」と適当に返事をした。
「あー……負けた」
大きな舌打ちをして、ユウトの真似をしてコントローラーを投げる。人の物だから、投げる時少しヒヤッとした。次はユウトの番だけど、中々帰って来ないからもう一度くらいやってしまおうか。
そう思って、トイレの方を伺うように後ろを見た。
引き戸が閉まっていた。
ユウトが、“指三本分くらい開けておけ“と言っていたあの引き戸だ。どうやら、ユウトがトイレに行く時に勢いで閉めたみたいだった。
僕は、「自分で言ったのに」と思って少し詰まらない気持ちになった。帰ってきたら必ず揶揄ってやろう。
「閉まってます」
突然、引き戸の向こうから声がした。
若い女の声だった。僕がビクリとしてそこから目が離せないでいる間に、声は続けて言った。
「閉まってます」
さっきと同じ声だった。ユウトってお姉ちゃんいるんだっけ。開けに行ったほうが良いだろうか。
「閉まってます」
声は静かで一定で、怒りも何も感じない。小さな声なのに嫌にハッキリ聞こえる。
何だか背筋がゾワゾワして、嫌な気分になった。緊張した体はカチカチになっていて、指先一本動かない。
ユウトを呼ぼうか。
そう思った時。
「おーい、勝ったか?」
そう言って、ユウトが引き戸を開けて入ってきた。僕はあんなにガチガチになっていた体が一瞬で緩んで、ついでに涙も出た。
「おい、何泣いてんだよ!」
ユウトが駆け寄ってきて、揶揄いの声を上げたけど、僕は引き戸のほうばっかり見ていた。今度は引き戸はちゃんと開いていて、ユウトは無意識にそうしたみたいだった。
「ユウト、お前姉ちゃんいる?」
「オレ一人っこだよ」
言ってなかったっけ?と言われて、僕はふとある考えに思い至った。
ぶるっと震えて、次の瞬間ゲームの事も全部忘れて帰る準備を始めた。
「急にどうしたんだよ!」
ユウトは気分が悪そうに何度もそう言ったけれど、僕は一秒でも早く家に帰りたくて、全部無視した。
それから、ユウトの家には二度と行かなかった。
引き戸の話もしなかったし、結局あれが誰の声なのかわからない。
でも、あの声の持ち主は、きっとあの隙間から入ってくるんだろう。
雨夜怪談 水飴 くすり @synr1741
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