2の下4「組紐屋ベル」

 組紐屋ベルの朝は早い。いや普段は警護団シェリフのベル・ディントンか。

 日の出前から起床し、朝の稽古だ

 ベルは広々としたディントン家の屋敷に住む。下級騎士の家系とは言え昔取った杵柄は未だ往時の勢力を思わせる。

 そのディントン家の中庭でベルは朝の型稽古だ。型で切るのは人間だけにあらず、先刻のサイクロプスのような大物を仕留める所作や、大サソリのような人外対策の型だって存在する。平時の警護団の職では人間や亜人いわゆる人の形をした者しか相手にすることはないが、周囲から無駄と言われようが有事に備えて日々鍛錬にいそしむのだ。

 父親仕込みの剣の太刀筋に迷いはない。振るう剣は普段帯刀する警護団支給の件ではない、50年前の魔道大戦時に彼女の曽祖父が手柄を挙げた業物の逸品だ。剣もそれを振るう技も鍛錬を怠れば錆てしまう。

 平時には使う事の少ない型を無用の長物とそしられようが、落ち目の下級騎士といえベルにも守るべき家名がある。ゆえにこうして毎日鍛錬を欠かさぬのだ。

 その甲斐あってベルは警護団指折りの腕を持つ騎士として周囲からは一目を置かれていた。


 警護団の日課はと言えば町の見回りと巡回である。捕り物で剣を振るうことなどごくごく稀であり、日々の鍛錬を怠れば剣の腕などすぐに訛ってしまう。

 まあ警護団の仕事などなく退屈なくらいが平和の証ではあるのだが。

 平和にうつつを抜かすのは爪楊枝のタツも同じである、いや表の暮らしでは無能のタツか。先日の事件をうけて子供食堂の職を失い、ただいま無職を満喫中である。裏稼業の報酬で懐には少しばかり余裕がある、出店の串焼きをほおばりながら呑気に街の往来を眺めていた。串焼きに使われているのはビーフのスジ肉である。噛めば噛むほど肉汁が滴る乙な味である。

 しかしタツとしてはガストさんと一緒に飼ったクマ肉を食べられなかったのがどうしても心残りである。クマ肉食べたかったなぁ・・・。そう思いながら食べ終えた串を使い葉の間に詰まった肉のスジをとりのぞく。爪楊枝は先日のサイクロプス討伐で失ってしまった。

 今日も平和で結構結構、歯に詰まったスジを取りながらタツは呑気に平和を貪っていた。


「こんなところにいたのね無職のタツ」

 警護団の少女はそんなトゲのあるあいさつと共にタツの隣に腰かける。

「警護団も巡回ご苦労な事で」

 はいはいどうせ今は無職ですよ。トゲのあるあいさつをタツはやんわり受け流す。

「あんたさえ良ければ、また警護団で使ってやってもいいわよ」

 使ってやっても・・・と言い方は高圧的だが、彼女なりにいろいろと手をまわしてくれたのだろう。

 女神オフィーリアの異世界転生の都合とはいえタツは数週間も警護団の職務を無断欠勤していたのだ。

「・・・そうかい。」

「あんた無能だけど、腕だけは立つようだからね」

「・・・考えておくよ」

 仕事は終えたんだ、今度この世界に来るのはいつになるか分からない。自分を気にかけてくれるベルには悪いが安請け合いは出来ない。

 答えを濁してタツは気になっていたことを質問する。

「事件の沙汰はどうなったんだ?」

 事件とは先日の大量食中毒事件の事だ。

「今日判決が出て懲役30年だそうよ、近日中に北方の国立刑務所へと移送されるらしいわ」

 事件の真犯人を殺したとはいえその真相を知る者はいない。世間ではあの食中毒事件の犯人は未だドラゴン・ガストレドのままである。長命のドラゴンにとって30年という年月がどのような重さなのかタツには想像もつかない。

「それで、ガストさんはどうしているんだい?」

「・・・おとなしく沙汰をうけいれるそうよ」

「そうかい・・・、ガストさんほどの腕っぷしがあれば脱獄なんて簡単だろうに」

 それは正当な権利だ、今回の事件は明らかに冤罪。ガストさんがその刑を受け入れる必要は無いのだ。

 ましてドラゴンを縛っておける牢や法律など存在しない。

 タツの思いを察したのかベルは言葉を付け加える。

「これはあたしの想像だけど。彼女は罪を償いたいんじゃない。」

「罪?」

「人間と平和に暮らしたかった優しいドラゴンが、大切な子供たちを殺されたとはいえ、その仇の殺しを依頼したんですもの」

「そうか、ガストさんはやっぱりガストさんだな」

 ガストの葛藤はタツには推し量りようもない。

 ただその決断にタツはガストさんらしさを感じた。


「おれはそろそろ行くぜ」

 歯に挟まったスジを取れたのだろう、タツは立ち上がる。

「行くってどこへ?」

「一仕事終えたんだ、お役御免てところさ」

 またタツは元の世界に戻るのだろう、再びこの異世界へ来るのはいつになるのやら。

「そう、寂しくなるわね」

「まあ生きてりゃまたそのうち会えるさ」

 そう言いながら歩き去るタツの背中をベルは見送る。






 白い世界にタツはいた。

 女神オフィーリアが支配する異世界へと大江戸の狭間にある空間だ。

 その幻想的な空間にあってさらに異彩を放つものがあった。

 蕎麦の屋台である。

 暖簾の奥からは美味そうな蕎麦の香りが漂ってくる。

 久々にかぐ蕎麦の香りに引き寄せられタツは暖簾をくぐると屋台特有のむわっとした熱気が出迎える。

「はーいいらっしゃーい♪」

 中にいたのは女神オフィーリアだ。そば屋店主のなりに身を包み、あぁ板前帽子をかぶったせいでチャームポイントのウサギの付け耳が折れてしまっている。

「さぁさ、座って座って。お客さん注文は何にします?蕎麦かヌードルか、はたまた蕎麦か?」

「月見をくれ、温かい所で頼む」

「あいよ月見一丁!!!」

 ごくごく自然に蕎麦を注文し席に着く。

 女神オフィーリアは慣れた手つきで調理を始める。といっても月見そばなどたいした手間も無いのだが・・・

「いやータツさん今回もお見事でしたね、世が世なら英雄ですよ、爪楊枝でサイクロプス討伐。わたしもまさか本当にやるとは思いませんでした」

 できるか分からないのに爪楊枝なんて持たせたのかこの女神は?

「しかし今回は骨が折れたぜ」

「骨は折れなかったでしょ?警護団の胸当てのおかげで」

「・・・」

 この女神にことわざや慣用句の類は通じないらしい。

「しかし仕事帰りに蕎麦を振舞ってくれるとはお前さんも粋なことするじゃねえか。こいつを食ったらとっとと元の世界に返してくれ」

「・・・」

 女神は不愛想になる。

 蕎麦がちょうど茹で上がりのタイミングだ。

 たかが屋台の蕎麦とは言え麺の茹で加減、出汁の濃さ、ネギの厚み・・・そのすべてに魂を込めるのが一流の職人というヤツだ。

 なるほどこの女神を少しは分かっているらしい。

 湯だった蕎麦をザルで掬い湯を切るとどんぶりの中へ。上から出汁をまわしかけ、生卵をのせる。そしてネギを振りかければ・・・

「あいよ月見そばいっちょお待ち」

「おっほ待ってました」

 タツは割りばしを割るとドンブリを手に取る。

 蕎麦を箸で救い上げ・・・

 フッフッフー・・・

 ズズズズズズズズズズズズズズ~~~~~~~~~~~~~~

 勢いよく蕎麦をすする。

「へっへっへ・・・」

 蕎麦の美味さを語るのに言葉は不要だ。麺をすする音こそが蕎麦の美味さの証なのだ。

 女神オフィーリアもそれを分かっているのか、タツが蕎麦を食うのを眺めて無言で頷く。

 ズズッ、ズズズズズズズズズ~~~~~~~~~

 チャッチャッチャ

 生卵を勢いよくかき混ぜよく蕎麦と絡まったところを

 ズズズズズズズズズ~~~~~~~~~

 生卵のとろりとした口触りと出汁の濃厚な味わい、そして小口のネギのさわやかな香りが蕎麦の風味を彩る。

 ズズッ、ズズズズズズズズズ~~~~~~~~~

 無心で麺を食い終えると、残った汁をゴクゴクと飲み乾す。

「ぷっはー、食った食った。美味かったぜー、お前さんなかなかいい蕎麦を作るじゃねえか?そば屋の才能あるんじゃねえか?」

「・・・・・・・・・・・・食べましたね」

「・・・?」

 蕎麦を食ってご満悦のタツはキョトンと呆けている。

「食べましたね」

「おう食ったぜ美味かった。だから早く元の世界に返してくれよ」

 女神オフィーリアは不敵に微笑みかける。

「えぇ、お蕎麦も食べられて満足されたことですし」

「・・・」

「返してあげますよ、さっきまでいた元の異世界へ」

「 !? 」

 タツの周りを光が包み込む。

「おい何言ってやがるとっとと江戸に返しやがれ!」

「ごめんなさいね、元の世界と往復するよりもこっちの方が手っ取り早いと思って」

 女神は聞く耳を持たない、光はさらにその濃さを増す。

「獲物は?獲物は?」

 タツが周囲を見回しても刀や武器の類は無い。卓上には蕎麦のどんぶりとさっきまで使っていた割りばし、そして爪楊枝があるだけだ。

 爪楊枝はイヤだ!使うなら割り箸の方がマシだ!

 タツは後生大事に割りばしを手にとる。

 まばゆい光はタツを覆いタツは再び元居た異世界へと送り返される。

「いってらっしゃーい」

 最後に女神オフィーリアが送り出す声が聞こえた気がした。



 割りばしの勇者 ふたたび異世界へ!!




 第二話 「ドラゴン 子供食堂をひらく」 【完】

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