2

 ギターが曲の最後の音を鳴らした瞬間、沢山の拍手が湧き起こる。男が歌っている間、興奮でずっと胸が痛かった。頭がクラクラして現実感がない。乱れた呼吸を繰り返し、必死に息を整える。


 周りを取り囲んでいた人たちがぼちぼちと去っていくのを、ふらつく足取りで避けながら平田は演奏していた男の元へ近寄る。

 スッと男が顔を上げた。強い意思に満ちた真っ黒な瞳が瞬きを繰り返す。そこには自分に対する絶対的な自信が見てとれる。その強い眼差しに射抜かれて、心臓が再び早鐘を打つ。平田は思わず胸の辺りに手をやるとはぁ、と大きく一呼吸いれる。


「もっと演奏聴かせてください」


 普段であれば見知らぬ人に自分から話かけることなんて絶対にしない。だから、どうかしていたのだ。平田は一気にそう告げるとお尻のポケットに突っ込んでいた財布を取り出し、中に入っていたお金をすべて男が開けっ放しにしていたギターケースに入れる。

 中にはすでに他の観客が入れていったのであろうお金がいくらか入っていた。

 これまで黙って平田のことを見ていた男は、ニヤリと笑ってギターケースを閉じた。


「飽きるまで聴いてってくれな」


 ギターをしっかりと抱え直し、流れるような動作でギターの弦に指を滑らせる。最初に演奏していた曲だ。けれど、男の歌声は先ほどよりも幾分か柔らかく優しく聞こえた。

 決して気持ちを押しつけるような歌詞ではないからか、スッと入ってきてずっと奥に隠していたものをすくい上げられたようだった。静かに一粒ずつ瞳をから零れ落ちた涙が頬を伝って落ちていく。男が言葉を紡ぐたびに星になって平田の目の前を照らす。

 ひと際大きくギターを振り上げたと思うと、まるで切ない叫びのように高い音が響き渡る。少しだけ長い男の前髪がしたたる汗で額にくっついている。あたりに静寂が訪れてなお演奏が終わったということが認識出来ないほどに平田は男の演奏に取り込まれていた。


「どうだった?」


 男から声をかけられ、平田はハッと意識を戻す。そして口を開きかけるが思い直し静かな拍手を送る。男は満足したように微笑み、

「もっと聞く?」

と手を振る。男の問いに平田は無意識に頷いていたらしい。男はもう一度、ギターに手を掛けた。

 知っている曲だ、と思った。 

 次に男が弾いた曲に平田は覚えがあった。驚いて男の顔を見ると、いたずらが成功した子どものような笑みを浮かべていた。偶然なのかと思ったが、男の顔を見るにどうもそうではないらしい。跳ねるように指が弦を弾く。


 男が弾いた曲は平田が初舞台で歌ったものだった。曲調はアレンジがされていたが、何回も練習して飽きるほど聴いた曲だったから間違いようがない。

 平田の頭の中は「何故」という言葉で支配される。喋るなというように男は人差し指を口に当てている。そう言えば、先程の演奏前も同じポーズをしていたので癖なのかもしれない。

 男の演奏に気がついた人たちが立ち止まりはじめ、平田の周りに人が増えていく。演奏が終わった瞬間、どこからともなく歓声が上がる。湧き上がる拍手につられるように平田も拍手をする。

 ぐるりと辺りを見渡すと、皆思い思いの表情を浮かべて男のことを見つめていた。中でも子どものように目を輝かせて、大きな声で賞賛を送っている女性の存在が目についた。

 見た目も良いし、実力もあるとくればあんなに応援してくれるファンがいるのも頷ける。こちらがじっと見ていたことが気づいたのか、ふいに女性がこちらに顔を向ける。不思議そうにパチパチと瞬きを繰り返していたが、すぐに興味を失くしたように演奏をしている男の元へ視線が移された。

(あの人、どこかであったかな)

 何となくその女性に見覚えがあるような気がして平田は首を捻るが、すぐには思い出せなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

I'LL 結城あさのり @asanori

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ