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『今日の舞台見に来てよ。席取ってるから』


 スマートフォンに届いたメッセージに平田勝吾は気分が重くなった。

 一体どういう気持ちでこのメッセージを送ってきたというのか。平田にとって無神経とも言えるそのメッセージは佐藤という男からのものだった。

 今の平田にとって舞台を――正確には佐藤恭介という男の演技を見に行けるような気分ではなかったのだ。けれど、気になるのも事実だった。

 何故、自分ではダメだったのか――。


 舞台を見に行けば分かるかもしれない。佐藤からのメッセージには返信せず、平田はベッドに横たわる。いつからこんなに差が開いたのだろうか。いや、最初からだ。

 平田の役者としてのデビュー作は、人気漫画が原作のいわゆる二・五次元舞台といわれるものだった。舞台としてもシリーズ化されているかなり根強い人気の作品だった。


 佐藤ともそこで知り合った。彼も平田と同じで舞台に出るのは、初めてだと言っていた。切れ長の目がクールな印象を与えるが、笑うと眉が下がり可愛く見える。

 明るい派手な髪色もあり、とにかく目立っていた彼はその頃から上手かった。演技も、人から好かれる術も。

 今日、彼が見に来て欲しいと言っていた舞台は、実は平田もオーディションを受けていた。どうやら同じ役でオーディションを受けていたようなのだが、結果はご覧の通りだ。

 今は彼の演技ときちんと向き合えるだけの勇気がないのだ。自分ではもう彼に追い付けないと思い知るのは怖い。

 またスマートフォンが振動したのを感じ、画面に目をやる。


『待ってる』


 見たくもない名前から届いた、たった一言のメッセージに平田は立ち上がった。


 キラキラと窓ガラスから零れる光。軽快な音楽が流れる中、平田は重たい足取りで歩いていく。町中から零れる光が眩しくて、平田は足元へ視線を落とす。

 ザワザワと色んな音が交じり合い、容赦なく平田に襲いかかる。実態のないそれに押しつぶされそうになりながら、ただただ流されるように歩いていた。

 十二月の外はすっかり冷え切っており、吐いた息が白く空へ揺らめいて消えていく。首元に流れ込む空気に思わずマフラーに顔をうずめた。

 ノロノロと歩いていると後ろから肩を強く押され、たたらを踏む。ツイていない時はとことんダメらしい。

 電車を乗り継ぎ、劇場に着いた時には開演時間が過ぎていたためか人がまばらだった。時々劇場からもれる声が僅かに聞こえるだけだ。ふと髪に何かが触れる感触に平田は顔を上げる。


――雪だ。


 はらり、はらりと白い塊が舞い落ちていく。ふと掲示板に公演のポスターが貼られているのが目に入る。ポスターの目立つ位置に写っているのは佐藤だった。

 彼は今一体どんな演技をしているのだろう。見たくないはずなのに、気になるのも事実で矛盾する感情に頭がおかしくなりそうだった。

 ポスターの中で笑顔を浮かべている佐藤をしばらく眺めていると、パラパラと拍手の音が聞こえてくる。

 平田は静かに目を閉じた。次第に大きくなる拍手の音が平田に降り注ぐ。客席は暗いが沢山の観客の顔がよく見えた。自分を照らすスポットライト。頬に流れる汗を感じながら、深々と頭を下げた。拍手が段々と小さくなり、ゆっくりと顔を上げる。

 ポスターの佐藤と目が合い、その横に大きくクリスマス公演という文字が躍っている。もしかしたら、そこには自分が写っていたのかもしれないポスター。

 けれど、いくら見てもそこに自分の顔も、名前も載っていない。当たり前だ、平田は選ばれなかったのだから。

 しんと冷えた空気の中で、拍手の音が聞こえた気がした。もう一度だけ目を閉じると、息をいっぱいに吸い込む。


 ツンと鼻の奥が痛むが平田はそれに気がつかないふりをした。何のためにこんな所まで来たというのか。自分が惨めな思いをしただけではないか。これまで耐えてきた感情が一気に湧き上がってくる。


 限界を超えてあふれ出した感情を止めることは出来なくて、どうして、という思いが浮かんでは消えていく。叫びたくともまだ理性が働いているからそれは叶わない。

 吐き出せずに溜め込まれた思いが自分を責め立てる。瞳にうっすらと水の膜が張り、あぁ、零れると思った瞬間それは自然と流れ落ちた。

 一度流れ出したそれはドンドンと溢れだし、平田は天を仰ぐ。声にならない思いに責め立てられ、平田は嗚咽を漏らした。


 しばらくそうしていると次第に周りがガヤガヤと賑やかな音に溢れだした。休憩時間になったのか閉演したのか。平田はその音にハッとしたように涙に濡れた頬を拭った。

 もう帰ろうと踵を返す際に、もう一度だけ劇場に視線を送る。静かに降り積もる雪の中で佇む建物はまるで別の世界のようだった。

 元来た道を、一人で歩く。劇場の最寄り駅まで来た時に、ギャインと大きな音が空気を割り響いた。それは一瞬にして周りの人々を引き込むような神聖さがあり、誰もがその音の中心へ目を向けた。例外なく平田もその音のする方へと目線を向ける。

 見た目は普通の特徴のない男だった。こういう路上ライブをするような人物は、もっと派手な出で立ちをしているような印象があったがどうもそうではないらしい。小柄で端正な顔立ちからは想像が出来ないような力強い声だった。

 沸き立つ観衆に向かい、男はしぃと人差し指を口元に当てる。それだけで、辺りは耳が痛いほどにしんと静まり返ってこの場を完全に支配していた。次々と立ち止まる人が増えていき、惹かれるように平田は演奏の中心に近づいていく。もっと良く見たいと思ったからだ。

 マイクを口元へ近づけたかと思うと囁くように男は曲名を言う。瞬間、ギターの音が鳴り響き、歌が始まる。お腹の奥にズンと響くようなそういう声だ。凄く、楽しそうだと平田は思った。この人は心から歌うことを楽しんでいるのだ。その姿は、平田の心に真っ直ぐに映った。初めて舞台を見た時のような高揚感と役者として拍手を浴びた時の感動を思い出す。


 観衆に囲まれた男が煽るようにひらりとギターを一度大きく閃かせた時、平田は、あっと思った。目が合った。瞬間、男がにやりと笑ったような気がしてドクンと心臓が大きく高鳴る。


 その時確かに見えた流星のような煌めきを、もっと近くで見てみたいとそう思った。

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