2-15 芽生える勇気
他の子供なら怒るようなことをされても、イヌは彼女を敬遠するどころか嫌う気にもならなかった。あの日見た、今にも死んでしまいそうな泣き顔を思い出しては、ネズミが二度とあんな思いをせずに済むにはどうしたらよいのかという意識が首をもたげるのだ。
無論、常にネズミを第一に行動することはできないし、ネズミ自身もそんなことを望んでいないのはわかっていた。こちらだって、ひとりぼっちの少女に同情して気持ち良くなっている訳ではないのだ……多分。
時には揺らぐ思いを抱えながらも、仲の良い友達と「裏」へ行った時は無自覚に丸い耳を探した。たまに、あちらから声を掛けてくることもあった。大抵は「遊ぶ声がうるさい」とか「目障りだチュー」というひどい文句だけど……。
そんなやり取りでも、少しずつ、わかり合えてきた気がしていた。
そんな気がしたのに……。
ネズミが警察へ不信感を抱いていることを失念し、不用意な発言をしてしまった。
彼女を傷つけてしまっただろうか?
ほんの一瞬の、しかし深い回想から戻ってきた
「ごめんね。警察を信じられないの、仕方ないよね」木製のテーブルの木目を見詰めながら、続ける。「僕は、ネズミを怒らせてばっかりだ」
目の前の
「別に、そういうことを言いたいんじゃないッチ」ネズミはため息まじりに言うと、テーブルを挟んで
「オイラが勝手に警察を嫌っているだけだ。気にするな」
慰めの言葉を掛けられても、顔を上げる気にはなれない。
どう返したらよいのか考え込んだ刹那、左右のイヌ耳を小さな手でなでられる。
「ひゃん!?」
ゾクゾクとした気持ちで声を張る。「何するんだ!」心臓が一気にドキドキした。
「意地悪なオイラに、弱点なんか見せるからだ」
少女はイタズラっぽい笑みを浮かべ、ピンク色の粒を1つつまんでポイッと口に放り込む。さっきまでツンツンしていた顔が「むふふ」と幸せそうになった。
「勘違いだ」相手は横を向き、ゆっくり、言い聞かせるように否定した。「オイラは、嫌われ者だッチ」
「普段はね」イヌもソッポを向いて否定する。相手がムスッとした気がしたが、構わず続けた。「でも、とっさに助けてくれる。僕やオコジョがしてほしいこと、誰よりも早く気づいて、やってくれた」
視界の端で尻尾がユラリと動く。持ち主は自覚がないのだろうが、少女のとっさの感情を読み取らせてくれる部位だ。
「オコジョが誘拐された時、本当に恐かった。僕なんかじゃ、どれだけ頑張っても追いつけなかったし……もう駄目だと思った。そんな時に、君は力になってくれたんだ」
イヌは頼れる
相手は恥ずかしそうに視線をそらし、一度だけ瞳をこちらへ返すも、コンマ2秒ももたずに目をつぶって頭を横にフリフリした。
「そんなんじゃないって……」と絞り出した少女の顔は、結局、膝へと行き着いてしまう。
そして、とても小さな声で付け加えた。「ただの、罪滅ぼしだ」
「罪滅ぼし?」イヌ耳は聞き逃さない。「ネズミは、何か悪いことしたの?」
「……」
数秒の沈黙。
それから、
「とにかく、そうしなきゃ、駄目なんだ。オイラは」
説明を拒絶するような、いじけた風にも聞こえる、諦めの言葉。
「わかんないよ、それじゃ」
自分の家に忍び込んできた時の会話が思い出された。
どうしてネズミは、こちらの気を引くようなことを言っておきながら、肝心な部分を隠すのだろう。
当時は、そうやって相手をもてあそんでいるのだと思っていたが、今となっては違う気もする――普段はひた隠しにしていることをつい口走って、慌ててごまかしているような、そんな感じ。
つまり、今のネズミはまともに受け答えをしてくれない状態にある訳だ。
ただ、見方を変えれば、断片的でもネズミの本心を聞き出すチャンスとも言える。
気づいたからには、もう踏み込むしかなくなった。
ここへ来た真の理由に。
イヌは深呼吸した。
「オコジョとの間にも、何かあるでしょう」
今日、本当に聞きたかったことは、これだ。
ネズミが「裏」の子供たちに嫌われている理由。その中心には、オコジョがいるような気がした。オコジョとネズミの関係が、ネズミの孤立を引き起こしているのではないか、と。
オコジョに同調する形でネズミの悪口を言うキツネらを見て、
ネズミに助けられた事実を受け入れようとしなかったオコジョを見て、
彼の態度を不思議がらない「裏」の住民を見て、
「そうなんだ」と思った。
そして、「こんなの嫌だ」と思った。
友達を助けるために頑張る子を、
素直にほめてあげない世界なんて、嫌だ。
本当のことを知りたい。
なんとかしたい。
だから――
「教えてよ。僕、君のこと、もっと知りたいんだ」
精一杯に思いを伝えた。
「……話したくない」
ところが、認めてはもらえなかった。
「……」
「……」
次いで湧いてきたのは、怒りでも不満でもない。
「……」
何もしてやれないむなしさと、申し訳ない気持ちだった。
「……僕のこと、嫌い?」
ネズミは首を横に振る。髪を振り乱すほど、大きく。
こちらを見た顔は、今にも泣きそうになっていた。
手はシャツの裾をギュッと握り締めている。
なんだよ、泣きたいのはこっちなのに……。
本当に、話したくないだけ?
本当はしゃべりたいけど、しゃべれないの?
どうして、君は――
わからない。
こんな時、どうすれば――
「頭、なでろ」
「え?」
「お前、お礼を渡しに来たって、言ったよな。……お、オイラはあんなに頑張ったんだ、金平糖だけで足りる訳ないだろうが!」
「ええ~!」
また突拍子もないことを言い出したではないか。
イヌの困惑など意に介さず、ネズミは興奮気味にまくし立てる。「な、ナデナデが好きなんじゃないぞ! いつもだったら、お前にクッキーを請求しているところだが」小さな手がこちらをビシッと指差した。「あいにく、オイラは今、お菓子は間に合ってるんだ! だから、お前にできることなんて、な、ナデナデぐらいしかないから、そんなところで、許してやるって言ってるんだ! あ、ありがたく思え! チチィ!」
説明文を語り終えると共に少女は腕を組み、「ん」と言って丸い頭を差し出す。不機嫌そうに口をへの字にしたまま目を閉じ、「それ」を促した。
もう問い質すことはできない。
しぶしぶと(そして、予期せぬ理由で怒りを買わないよう慎重に)片手を頭にのせる。ウサギがやっていたように、ゆっくりと、前から後ろへ、繰り返し優しくなでてやった。
間もなく膨れっ面が「えへへ」とうれしそうな顔になる。と、更に少し口を大きく開けた。
発声したようだが、
なんだ、ナデナデが好きなんじゃないか――
言えば機嫌を損ねるであろうことを心の中でつぶやき、微笑む。
友達と幸せを共有できないのは少し寂しいが、笑顔を見せてもらえてうれしい気持ちの方がはるかに勝っていた。
また何かの機会になでてあげたら、喜ぶだろうか?
他者と仲良くなることを避けるネズミと、心の底から理解し合えたら、どんなに幸せだろうか。
いつか、本音を語ってほしい――
いつかなうとも知れない願いを描いた時、ネズミが首から下げているネックレスが目についた。
なでられるリズムで左右に揺れる小振りなクロスが、目の前の
この地で初めて、イヌが
苦難を乗り越える勇気と、その素晴らしさを教えてくれたヒト。
彼女とは、もうずっと会っていない。
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