2-13 ネズミの現実

 夜が深まる少し前。門限直前ギリギリに、明海あけみはこっそり「裏」へ行き、とあるアパートの一室のインターホンを押した。

 二度、三度とボタンを押した頃にようやく家主は姿を現す。急にドアが開いたため、明海あけみは鼻をぶたれそうになった。


 身を引いたイヌを出迎えたのは、しかめっ面の上で丸っこい耳を揺らす少女。明海あけみは先に挨拶する。「ネズミ、こんばんは」

「……何の用だッチ」つっけんどんな態度は、もはや平常運転だ。

 用件を言ってもすぐドアを閉められてしまうのは目に見えている。だから、イヌは付き合ってもらうための秘策を用意してきた。


「これを渡しに来たんだ」片手で胸に抱えていた紙袋を差し出す。「今日、一緒にオコジョを助けてくれたお礼」

 と、相手は疑り深い目つきで紙袋とイヌとを交互に見た上で、乱暴に紙袋を手に取った。中を見る前に袋の外から鼻をスンスンさせて、またこちらをにらんでから、ようやく紙袋の封を開く。

「……金平糖?」仏頂面が驚いた顔に変わった。

「うん」明海あけみは確信を持って尋ねる。「大好きでしょ?」


 ネズミは目を丸くした。「なっ……なんで、そう思うんだ。大好きなんかじゃ、ないッチ!」

「そうなんだ」イヌは耳を下げて見せる。「いらないなら、捨てちゃおっかな」

「す、捨てる?」ネズミは慌てて紙袋を抱き締めた。「いらないとは、言ってないッチ!」

「もらってくれるの?」少年は笑顔で耳を立てる。

 少女は「乗せられた」と察したようで眉をつり上げるも、今更どうすることもできないとも悟ったようだ。「……仕方ないから、もらってやるか。そうしてやるッチ」と言ってから、ソッポを向いて口をへの字にする。


 明海あけみは「ぶきっちょだなぁ」という感想は飲み込んだ。1つ目のプレゼント作戦は成功。ネズミが金平糖を好物としていることは、口の中で転がしていたホクホク顔から議論するまでもなかった。話術も功を奏した。経験的にネズミは「ああ言えばこう言う」タイプだから、問答するよりも極端な主張をした方が効果的かも知れない――そんな発想から編み出したものだ。


 ただ、これで終わりではない。本当の目的はここからだ。ドアの内側に手を掛け、提案する。「ねぇ、一緒に食べない?」

「はぁ!?」ネズミは再びびっくりした顔をし、尻尾もピンと立たせた。「いきなり、何を言うんだ、お前! お断りだチュー!」


「えー! 前は、勝手に僕の家に入ったクセに! 僕にだって、ネズミと話したいことがあるんだ。金平糖をあげるから、話をさせてよ」

「話すぐらい、ここでできるだろう!」

「もう『表』の門限が過ぎちゃったんだよ。オコジョが誘拐されかけたばかりなのに、夜中に、しかも『ここ』に来たのがバレたら怒られちゃう」


「なっ……お前って奴は、もう!」ネズミは素早く周囲をうかがってから玄関に身を引き、「さっさと入れ!」と大きく手招きする。

 2つ目の作戦も成功だ。彼女を追うと、シャンプーの匂いが鼻くうをくすぐった。


 玄関正面に続く5メートルもない廊下の左手側にキッチンとシンク、小さな冷蔵庫があり、右手側にはトイレと思われる窓付ドアと、洗濯機のスペースが並ぶ。洗濯機の近くに、浴室とわかる中折れドアも。当然だが、自分の部屋とは構造がまるで違う――明海あけみの住んでいる部屋は玄関からすぐリビングで、そこから浴室や寝室など各部屋へ行く作りだった。初めて入る家は、なんだか冒険気分になる。

 廊下の奥はリビングで、ベッドと、膝ぐらいの高さのテーブルがある。ネズミは入室と同時にバタバタとベッドの上にある何かをかき集めて、部屋の片隅に置かれたチェストの一段に乱暴に突っ込んだ。


 「着替えだろうか」と考えた時、数秒前の髪の香りが連想を加速させる。浴室の前を通った時、ほのかに温かさを感じた。明るい天井照明の下にあるネズミの小さな背中を見ると、ワンピースみたいに膝まであるロングシャツが肌に張り付き、灰色がかった髪もぬれていることに気づく。

 明海あけみは申し訳ない思いを抱いた。「ごめんね、お風呂あがりだったんだ」

 丁度、引き出しを閉めたタイミングだったネズミは、振り返りざまにこちらをキッとにらむ。「い、いちいち言うな! デリカシーのない奴だな!」

 服を着ているのに友人は体を手で隠した。明海あけみは不思議に思う。お風呂に入ったことぐらい、別に知られてもいいじゃないか……。


 「そこ座れ!」という粗暴な指示に男子が大人しく従いカーペット敷きの床に座ったところで、女子は食器棚から小皿とコップを取り出しながら要求を加える。「で、話ってなんだ」

 イヌは一瞬、何か手伝うべきだろうかと思ったが怒られそうなのでやめ、背中に質問を投げ掛ける。「オコジョが警察に連れてかれる時、何か言おうとしてたでしょう。何か、あったの?」

 ネズミは小皿をテーブルに置くと、コップ片手に廊下へ向かった。キッチンでコップにお茶を注ぎ始めて、やっと答える。「別に……オコジョはどうなるのかなって思ったんだ」


「どうなるって……」明海あけみには回答の意味をはかりかねた。「誘拐された時のこと、聞かれるだけじゃないの?」

 それ以外の問を見つけられなかったイヌに、ネズミはまた、ペットボトルを冷蔵庫にしまうまで口を閉ざした。「オイラは、お前みたいに、警察を信じてる訳じゃないッチ」


「そうなの?」

 やはり他の反応が思いつかずにそう答えて、

 イヌは後悔する。

 「どうして」と続けようとしたその時に、ネズミとの出会いを思い出したためだ。


 警察のトップであるオオワシ署長は、オオカミと並んで特区ズー最古参の世代にあたる。学校で習ったところによると、当時 動物人アニマンはヒトの管理下で今よりも「少し不自由」な暮らしをしていたそうだ。オオカミとオオワシが中心となって「自立化」というものを進めたことで、ヒトの手を極力借りずに自分たちでできることを増やし、物事を自由に決められるようになったらしい。そのためヒトや動物人アニマンの大人からの信頼が厚く、2人の指揮命令に背く者はいない。


 だが、すべての動物人アニマンが彼らの統制を快く思っている訳ではなかった。

 特区ズーという場所で動物人アニマンの生き方を管理することの難しさ、そして、閉ざされたこの土地で管理されることの怖さとむなしさを、明海あけみは目の当たりにしていた。

 その経験こそが、明海あけみとネズミとの出会いなのであった。

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