2-10 裏の理想

「くそ!」

 特区ズー北部――周囲に人気のない場所まで車を回した野村のむらは、力任せにハンドルを殴った。

 そんなことをしたところで腹の奥で渦巻くような苛立ちは解消されないし、非力な自分では寧ろ手を痛めて憤りを倍加させるのみだとわかっている。が、やらずにはいられなかった。それが、力でねじ伏せられた弱者の感情に他ならないために。


 後部座席で鈴本すずもとが身じろぎし、ごそごそと音を立てる。

 ルームミラーで確認すると、相棒は片手を鼻に当てたまま尻をドアに寄せているところだった。逃走中に掃除する余裕もなくそのままにしていたガラス片を鳴らしながら、大男はグリップを引いてドアをスライドさせる。先刻の「ひともんちゃく」でフレームがゆがんだのか、甲高いしゅう動音が鳴り響いた。


「よっこいしょ……うぅ……あぁ……ちくしょう」鈴本すずもとが車外で体を伸しながら独り言を漏らす。獲物も散々暴れていたから、あちこちに傷でも負わされたのだろう。

 仲間の情けない姿に野村のむらはため息をつく。センチュリーのエンジンを切った。俺も早く気持ちを切り替えなければ――スーツの内ポケットからタバコの箱を取り出し、ドアを開ける。


 車外で風を浴びると、今までいた空間が陰鬱な空気に沈んでいたことに気づいた。

 汗をかいた体に涼しい風の気持ち良さを感じながら、一服に興じる。

 空には朱が差していた。腕時計を見、もうすぐ「定時」であることも知る。


 さて、これからどうするかな……。

 ターゲットを捕獲し損ね、仕事に使う車までオシャカにしてしまった。物理的な損失と精神的な消耗でリベンジも不可能。求められた役目を一つとして果たせなかった職員の処遇など想像に容易い。


 宙へ煙を吐き出した。有害物質を含む淡い白は、ただちにかき消される。

 その姿は後の自分達だろうか、それとも……。

 タバコを口にし、今の自分に足りない成分をゆっくり取り込む。


 政府は動物人アニマン――厚労省の用語で言うところの特別保護対象個体を集めるのに躍起になっていた。研究や実験に協力する個体が想定よりも著しく少ないためだ。その要因は複数あるが、その中でも「動物人アニマン自身が研究に非協力的である」という実態を打破する必要があった。

 そもそも日本にほん動物人アニマンの独占を許された理由は、安全で充実した保護環境だけではない。大役を任される栄誉と引き換えに、研究成果を世界へ還元することを約束したためである。それを反故にすれば、日ならずして大国の心変わりは訪れるだろう。更にこの失墜は、過去の栄華を取り戻さんとする日本にほんが、息を吹き返すチャンスを永遠に失う脅威にもなり得る。


 自分達が背負っているものは卑劣な悪事などではない。

 これは、日本にほんを守るための戦いなのだ。


 「裏」の動物人アニマンをさらう行為は、人間を誘拐することと同義ではない。

 異常を、あるべき姿に戻す矯正である。


 敵対する者は――

 研究に協力せず身勝手に振る舞う愚か者は――

 なんとしても、回収し、研究に貢献させなければならない。


「法は、特区ズーの使命に反する動物人アニマンをその対象としない。」

 重々しい課題を解決するべく法律に加えられた条文を、誓いのようにつぶやく。

 そして、思う。「その」という言葉は、とても日本にほん的な意図を込めた表現ではないか。この文言は、言うに及ばず動物人アニマンが喪失した事柄を指す。が、かの生物が奪い去られたものが何なのか――権利、義務、保護のいずれかを指すのか、あるいはすべてなのか、はたまた別のものなのか、曖昧にしている。


 この曖昧さこそが、自分達のための免罪符となっているのだ。

 自分達の「正しさ」を保証する、唯一無二のルールなのだ。

 国家と公共の福祉に基づく特区ズーの使命の名の下に、動物人アニマンを「あるべき姿」にする。

 手段に言及されていない権利を、我々は行使する。

 そして――


 空想巡る静ひつに、コツンと足音が響く。

 追手が来たか――野村のむらは寒気を覚えた。力自慢の相棒を見る。鈴本すずもとも瞬時に音のした方へ体を向けていた。


 彼の視線をなぞる形で顔を小路へ向けると、そこには見知った姿が。

 灰色のつなぎに身を包んだ一見細身の長身の男。身だしなみを放棄したようにのばした白髪を後頭部で結んだ彼は、一定のリズムで靴音を鳴らしながら、ズルズルという雑音をともなって近づいてくる。目元まである前髪越しに、細い目がこちらをにらむような形で固まっていた。


 我々の屈辱も疲弊にも気づかず、あるいは知ったところで意に介さないであろうどこまでも落ち着き払ったかの男は、ただ無意味に歩み寄ってきたのではない。合流したのだ。

 その片手には彼が「狩り」のために自作したエアライフル。

 もう片方の手には、彼に狩られたのであろう「獲物」。


 シャツの襟の背面をつかんで引きずられるままズルズルと音を立てる「小さな子供」は、後頭部だけでは性別のわからない短い黒髪と、前面に垂れた焦げ茶色の耳を揺らしている。力なく投げ出された両手両足はその命が既にないことを物語っていた。長い距離をされてきたのだろう、黒一色の半袖短パンも、そこからのびる白い肌も土に汚れていた。あるいは、その痛々しい傷の数々は無情な「狩り」によって――


「動くのか」


 野村のむらの洞察を阻止するかのように、男が低い声で短く問う。

 職員は一瞬、何を聞かれているのかわからなかった。が、相手の目線に気づいて「あぁ」と声を漏らす。

「足回りは問題ない。もう仕事では使えんだろうがな」

 野村のむらは答えながら、センチュリーのフロントピラーが描くなめらかなりょう線に手をあてがう。つなぎの男の質問は、「その車はまだ動くのか」であった。


「なら、これを運べ」男は命令口調と共に、引きずってきた子供を放り投げる。

 厚労省職員は息をのんだ。どうにか、言葉を絞り出す。「そうか」


 後頭部を地面に打ち付けた子供は、見開いたままのうつろな目で天を仰いだ。歯医者に歯を見せるみたいに大きく開けられた口の奥に、地面が見える。幼く中性的な顔立ちは絶望を張り付けたまま。頬に残る涙の跡が、その悲惨な最期を想像させた。


「コウモリだ。起き抜けだからか、動きが遅く、追い詰めるのは簡単だった」こちらがあ然として死体を見詰めているのを「興味を持っている」と勘違いしたのか、男は淡々と説明する。その言葉選びが自慢と謙虚のどちらに起因しているのかは推し量ることができない。

 視界の中では、ヒトと同じ構造の口の奥で、薄暗い地面が段々と赤黒く染まっていく。コウモリの動物人アニマン……夜行性の習性に則り夕方に活動を始めたところを狙われてしまったということか……野村のむらは返事もできないまま、目の前に横たわっているモノが死体であることをゆっくりと認識した。


 やがて男がライフルを肩に担ぎ、ため息をひとつ。「早くしろ。だろう」

 辛辣な言葉は、だが厚生労働省の職員を我に返らせた。自分達の有り様は、標的誘拐を試みた結果の報告を必要としないほどズタボロらしい。

 結局、野村のむらは「そうか」とだけ返事してから、子供の肩と膝に手を回し抱え上げた。見た目以上に軽い。ガクリと頭が下がってさらされた白い首に喉仏はなかった。


 動物人アニマンの検体は、死体であっても研究に寄与する。過去の検査結果や同年代の人間の健康診断結果と比較することで動物人アニマンの成長特性を見出すことができるのだ。また死体であれば徹底的に解剖もできるため、解剖例の少ない種族の研究においては好都合である場合もある。例えば、動物人アニマンはヒトと異なる形質をもって生まれてくる点から、メスの解剖を通じて子宮の発達過程や特徴を明らかにすることが望まれていた。


 つまり、目の前にいる男は、人類の役に立った訳だ。

 「年端もいかない児童を射殺する」という、

 おおよそ紛争地でしか起こらないような行為を、

 この国でおいて。


 失敗した俺達に代わって、

 「『裏』の住民の是正をせよ」という指示に従えぬ哀れな動物人アニマンの市長に代わって、

 この男は成し遂げたのだ。

 工場でライン作業をこなすような服装で。

 ただ冷徹に。どこまでも酷薄に。


 名誉あるその男の名は阿久津あくつ 雅人まさと

 日本にほんをヒトの理想へと導く、「裏」の狩人である。

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