2-6 ネズミの理想

「って、まぁたお前らか!」ネズミは眉間にシワを寄せて身を乗り出した。「いつも、いつも! 睡眠の妨げだッチ!」

 数メートル頭上で口が目一杯に開かれる。前歯がよく見えた。

 彼女との再会は自宅に侵入されて以来になる。明海あけみは「元気そうで良かった」と場違いなことを考えた。


 ネズミが窓から飛び降り、宙返りして軽やかに着地する。

 不意に披露された身のこなしに「凄い」と感想がイヌの口を衝いて出た。


 ネズミは一瞬たじろいでから、「ふん」と口をとがらせソッポを向く。

 彼女は尻尾を横なぎに振って一同をにらみつけた。

「揃いもそろって、今、何時だと思ってる!」一人ずつ、顔を指差しながら話す。


 すぐに、

「もうすぐ夕方なのに……」モモンガがつぶやいた。

「お前こそ、いつまで寝てんだよ……」オコジョも共鳴。


 ネズミは年下の子供らの文句を視線だけで黙らせる。

 と、今度は明海あけみの前に来た。

 短い指が鼻先に突きつけられる。

「人んの上でワンワン叫びやがって! 暴れるなら、よそでやれ!」


「……ごめん」イヌは指先を見ながら謝罪した。

 グウの音も出ない。屋根の上で人が二人も走れば、確かに睡眠妨害にもなるだろう。無論「ワンワン」とは言っていないが。


「ネコも謝れ」クマが低い声を響かせた。

 ネコは何か言いたげに頬を膨らませたが、渋面をなすに留めて頭を下げる。「……悪かったぞ」


 それを見届けてからクマが一歩前へ出た。「ネズミ、本当にすまなかった」彼は誰よりも深々と頭を下げる。「俺は今ここへ来たところだが、監督すべき最年長者として謝るよ。遊びに夢中になって他の人に迷惑をかけないよう、他の生徒にもよく言っておく」

 自分達よりも年上の中学生である友優ゆうやの対応に、明海あけみは尊敬の念を抱いた。「なるほど、これが大人の対応というやつか」と思った。


 言われてはネズミもこれ以上のクレームは付けられないようで、腕を組んで顔を背ける。「お前が言うなら、今回のところは許してやる」

 クマはカワラみたいに四角い顔で柔和に笑った。「ありがとう。恩に着るよ」


 大柄で強面の彼は、だが意外と屈託のない顔で笑う。その一方、普段は礼儀正しく、先ほどもネコを促したように口うるさいほどマナーとモラルに厳しい(でも、一緒に「裏」でツバメの話を聞こうとする、ちょっとだけ悪いところもある)。そして、以前ツバメのためにイスを借りてきたように気遣いを忘れない性格だ。

 皆が彼を慕い従うのは、力が強いからではなく、筋の通った気持ちの良い信念の持ち主だからだ。


 頼れるリーダーの采配によって事態が見事に収束した。

 かに思えた。


 バサリと音が鳴る。

「ぎゃー!!」ネズミが悲鳴を上げた。

 明海あけみの目の前にあった小さな体が瞬時に消える。


 直前まで大きな丸耳のあった位置で、白い髪の毛が揺れた。

 少し遅れて、イヌの視界の中で一枚の白い羽がフワリとただよう。


 ぼう然とそれを目で追う内に、

 今まさにこちらに背を向けて降り立った少女が、

 立ち上がり、振り返った。


 明海あけみはその名を呼ぶ。「フクロウ!」

「うん」

「え? あぁ、うん……」無表情で冷静な返事をされ、動揺してしまった。「どうしたの?」


「さっき起きて、日向ぼっこしてたら、屋根の上にイヌとネコがいるのが見えたの」フクロウは説明しながら、体をひねり、背中から二の腕辺りにかけて生えた真っ白な羽を示す。


 明海あけみは上空へ視線を移した。背の低い民家ばかりの「裏」の景色の奥に、茜色に染まり始めた空を突くかの如くそびえる高層マンションが見える。

 特区ズーの「表」には、幾つか高い建物があり、その屋上はトリの動物人アニマンが羽のメンテナンスを行う場所として使われていた。昼行性のスズメやインコは昼間に、夜行性のフクロウやシギは夕陽を浴び、スペース内にある水場や砂場も利用しているらしい。


「にーちゃん達を見つけて、鬼ごっこしに来てくれたの!?」オコジョが目を輝かせる。

 思い返せば、彼はフクロウと遊びたがっていた。

「違う」少女は非情に即答する。

 オコジョは「え」と言ったきり言葉を見つけられないようで固まった。


 代わりに明海あけみが話す。「じゃあ、どうしてここへ?」


 フクロウは真っ直ぐにイヌの目を見詰めながら、首をかしげた。「眺めるだけで良かったんだけど、みんな集まってきてたから、行こうかなって思ったの」

「へぇ、そうなんだ」

 とどのつまり、気紛れということだ。マイペースな彼女らしい。「転落する場面を見て助けに来た」とかでもなかった点は、少し残念な気もする。


 男子が勝手に落ち込んだところで、

「だからって」下から声。「なんで、着地点が、オイラの、上なんだ、よ!」


 言葉を切る度にネズミが体を持ち上げ、フクロウの体と、ミミズクみたいなはねっ毛が上下した。

 「よ!」のタイミングで遂にネズミが立ち上がると、フクロウは飛び立ちバサバサと明海あけみの隣に着地する。お日様の匂いがした。


「ん……」黄色味の強いつぶらな瞳がネズミを見上げる。「なんとなく、美味しそうだったから」

「おぉ~!」歓声を上げるネコ。

「その流れはもういい!」地団駄を踏むネズミ。


「で、どうするんだ? もう暗くなるし、鬼ごっこは『おひらき』か」

 そこでチーターが割って入った。しびれを切らしたようだ。


「え~! 折角みんな集まったのに!」オコジョが駄々をこねる。「あと一回だけ! フクロウも!」

 指名を受けた少女は無表情のまま明海あけみを見上げた。

 反対しているのだろうか、はたまた助けを求めているのか――声も表情もなしでは、流石のイヌでも意図は読み取れない。


 そうだ。

 明海あけみはひらめいた。傍らの少女へ振り向く。

「ネズミも一緒にやろうよ。一緒にネコを捕まえよう!」

「え? ど、どうしてそうなるんだ!」面食らった顔は、すぐ仏頂面になった。「お前らと遊ぶ理由なんかないッチ!」


 オコジョらにも視線をやると、発声こそないものの口と顔のすべてが「え~」と言っている。

 やはり、仲は良くないみたいだ……。お節介かも知れないが「同じ場所で暮らしている者同士、良好な関係を築いてほしい」と明海あけみは思った。ネズミも、頭ごなしに拒絶することないだろう。どうしてなのだろうか。


「みんなでやるのか。良いなぁ、それ!」

 イヌの苦悩をよそに、ネコが大声で賛成を示した。

 一人ひとり品定めするように、狩人の目を皆へ送りながら。


 本能的に危険を察知したのか、ウサギはチーターの後ろへ身を引き、フクロウは明海あけみの背後に隠れ、オコジョらは引きつった顔で身を寄せ合った。

 最近、イヌにはネコが怖いと感じることがある。今回は露骨な言動だが、他にも、やけに大人しいと思った時には大概、彼女は小動物の動物人アニマンを物欲しそうな目で見詰めていた。


「ネコ」不安に駆り立てられるまま明海あけみは同級生を呼ぶ。

 相手は尻尾をピクリ。イカ耳にもなった。「あ! べ、別に、『食べたい』なんて思ってないぞ!」

「まだ何も言ってないよ! 食べちゃ駄目だからな!」

「だから違うってー!」


 両手を上下に振って否定した少女は、「ん~」と低い声をこぼした後、「なぁ~」といかく音を鳴らす。

 そして、

「今度はアタシが鬼だ! 捕まった奴は、お耳ハムハムだー!」

 考え得る最も恐ろしい発案をした。

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