2-4 ネコの現実

 改めて「裏」の子供を集めた結果、タヌキ、キツネ、カワウソにモモンガまで鬼ごっこに参加することとなった。

 鬼は、明海あけみとオコジョを含めて総勢六名。一人を追うには過剰なまでの人数だ。


「ねーちゃん、覚悟しろー!」

 鬼ごっこが始まるや、オコジョが正面からネコに飛び掛かる。

 ネコは回れ右、真っ直ぐ走って逃げ出した。その走力にオコジョは追いつけない。


 更にネコの歩幅は足を踏み出す度に広がった。民家の壁に衝突しそうな勢いで、だが速度を緩めることなく加速する。その顔がこちらへ振り返った。

「ネコ、危ないぞ!」その背を追いながら明海あけみは声を張る。


 と、少女は得意げに笑った。その足が壁を、一歩、二歩と駆け上がる。

 そして壁を蹴って跳躍した。

 真後ろに迫っていたオコジョがジャンプしながら両手をのばすが、彼女の足には遠く及ばない。


 まんまと「裏」の子供の中で最速の少年を出し抜いた。しかしまだ終わりではない。その着地点にキツネが先回りしていた。頭の回る子だ。

「ねーちゃん、捕まえた!」子供はキバを見せて笑った。

 ただし、笑っているのはネコも同じ。「甘いぞ!」


 彼女は体と尻尾を丸め宙で回ると、運動方向を真下に変えた。

 一体、どのような力学が働いたのか――明海あけみもキツネも何が起こったのか理解できない間にネコは両手両足を地面につき、地をはうほどの低姿勢でキツネの足元を駆け抜けた。慌てて捕まえようとした子供は、ターゲットの通過よりもだいぶ遅れて地面に掌をつけるだけに終わる。自分の横をすり抜ける標的にイヌも飛びついたが、のばした指先はかすりもしない。


「止まれー!」

「おりゃー!」

 カワウソとタヌキが挟み打ちを試みた。対してネコは得意のジャンプでカワウソを飛び越える。

「もらったー!」

 上空からモモンガが飛来した。


 明海あけみは「勝った」と思った。ネコと言えど空中で回避はできまい。

 確信した刹那、ネコの片手がモモンガの小さな頭をつかんだ。狭いおでこを指先で押す。それだけの動きで、身軽で力の強い少女は更に上方へ飛び上がった。また宙で身をひるがえし屋根の上に着地する。


 一方、モモンガは両手を広げた体勢のまま地面に直滑降。「ぐえ!」と顔面から地面にぶつかった。

「モモンガがねーちゃんに触った! ねーちゃんの負け!」

「ばーか!」ネコは立ち上がり、腕を組んで言い放つ。「鬼が手で『タッチ』しなきゃ、触ったことにならないんだぞ!」


 勝ち誇った「王者」は下民を見下していた。悔しいが、誰もネコの身体能力には敵わない。

「にーちゃん! なんとかしてよ!」


「え?」

 今まさに諦めたというのに、急に頼られた明海あけみは困った。

「クレヨン見つけてくれたじゃん! あんな風に、なんとかしてよ!」オコジョが涙目で訴える。


 「あんな風ってどんなだよ」という反論は、子供の必死な顔を前に飲み込むしかなかった。

「イヌー! お前は、勝負から逃げる負けイヌかー!」上からもひどい挑発。

 明海あけみもムキになった。「わかったよ! 捕まえてやるぞ!」


 しっかり助走をつけて、ネコと同じように壁を蹴る。思い切り上へ跳んだ。ギリギリで指先が屋根に掛かるも、つかむことはできない。


 落ちる――と思った瞬間、手首をネコにつかまれた。

「これは、『タッチ』じゃないからな!」少女は力強く笑い、片手で明海あけみを引き上げる。

 「手助けされた」と言うより「持ち上げてもらった」の方が正しいほど、ネコの腕力は圧倒的だった。少年は悔しくなる。軒に明海あけみは、こちらに背を向けて棟へと登るネコの尻尾をにらんだ。


「この前みたく、尻尾をつかんでやるからな!」いつぞやの惜敗がよみがえり、宣言する。

「ん? いつの話だ?」振り返ったネコはいぶかしげな顔をした。


 欠片も覚えていないようだ。

 悔しい! 思い知らせたい感情が体を突き動かす。

「このー!」


「お、やるかー」ネコが狩人の目をして身構えた。「あっ!」

 その瞬間、屋根を踏みしめようとした片足を滑らせる。


 チャンスだ。今しかない!

「うおおぉ!」

 イヌとしての筋力に恵まれなかった自分でも、勝つことができる! ――全力で加速した。

 バランスを立て直した少女に正面から飛び込み、腰にしがみつく。


「にゃん!」ネコが鳴いた。「やめろ、イヌ! 危ないぞ!」

 腰に抱きつかれて「ヘナチョコ」になった友人がフニャフニャな声で警告する。

 それでも明海あけみは、おいそれと従う訳にはいかなかった。「捕まえた! タッチしたぞ!」

 きゅう敵を絶対に離すまいと、両腕に力を込めて細い腰を締め付ける。


「あぅ。やめろってぇ! あっ――!」

 すると、ネコの腰から力が抜け、倒れ込んできた。

「うわっ!」

 明海あけみを巻き添えに、2人はスレート屋根の斜面に倒れ込む。

 勢いそのままに転がり、宙へ投げ出された。


 いつしか夢で見たような、屋根から地面に向かって自然落下する景色。


「にーちゃん! ねーちゃん!」オコジョの声が聞こえた。


 地面はあっという間に近づいてきた。

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