2-3 ネコの理想

 家へのネズミ侵入から一週間が経過した週末。

 明海あけみはネコに連れられ「裏」の街に来た。ネコが子供たちの鬼ごっこにそうだ。

 それだけであれば明海あけみが来る理由はなかったのだが、昨日、学校で出会い頭に行われた説明には「アイツらのおりを一人でずっとやるのは疲れるから、お前も来い!」という命令が加えられてしまった。


 明海あけみはツバメの話を聞いて以来「裏」へ行くことを避けており、ネズミの言った通り、かれこれ二週間、一度も行っていなかった。その理由は、ツバメに会いたくなかったからだ。


 ネコらとは違い、明海あけみ特区ズーの外に対して恐怖心や嫌悪感を抱いていない。そんな子供は、特区ズーでの生活が長くなるにつれ、元いた外の世界に対するあこがれと希望を膨らませるものだった。だから、ツバメの話を楽しみにしていた。

 ところがいざ語られた内容は、「動物人アニマンが人間に拒絶され、脅かされている」という現実であった。「いつか外に帰る」という夢を砕かれた気分だった。


 ツバメがいつまで特区ズーに滞在しているのかは知らない。ただ、またツバメの顔を見てしまうと、嫌な気持ちがよみがえり、悪い態度を取ってしまいそうな気がした。語り部として話をしてくれたに過ぎないツバメに、辛い思いをさせてしまう。

 そんな確信から「彼と会ってしまうのではないか」と考える内に、明海あけみの足は「裏」から遠のいていったのだった。


 しかし距離を置く期間を設けたことで、ある程度は落ち込んだ気分も解消してきている。鬼ごっこに興じるのも、気分転換になるかも知れない……。

 ようやく芽生えた前向きな思考を後押しするように、ネコから要請を受けた形だ。断る理由はなかった。


 噴水広場から「裏」へ続く路地を歩きながら、明海あけみは前を歩くネコに尋ねる。「ネコは、最近も『裏』に行ってるの?」

 学校では同じクラスで席も前後のため毎日会話はしているが、「裏」については一切話していなかった。「裏」の住民自体は違法な存在ではないとは言え、特区ズーの考えに反する「裏」の住民と関わっていることをおおっぴらに話すのは敬遠される行為である。


「行ってるぞー」ネコは何てことない風に返した。顔は前を向いたままだ。「行ってやらないと、アイツらが暇になっちゃうからな!」

 ネコ耳の向きをせわしなく動かしている。子供たちの気配を探っているのだろう。上下えんじ色の作務衣の腰からのびる尻尾がフワリと明海あけみの前で立った。


 手をのばせば、つかめそうな距離だ――茶トラの毛並みとテイルリングの入った細い尻尾が、イヌの衝動をどうしようもなく呼び起こす。

 触っちゃ駄目かな、怒られるだろうか……。理性的なしゅんじゅんは。体は野性的な情欲に従い、思案よりも先に片手を操って無防備な尻尾を捕獲する。


 はずだった。紙一重で尻尾が退き、明海あけみの手をすり抜けた。

 でも一瞬、掌を毛でなでられる幸せな感触が――

「こら!」

「わん!?」

 刹那の快感が叱責で吹き飛ばされる。ネコは明海あけみのいたずらに気づいたようで、ギリギリで体ごとこちらへ振り向いていた。


「尻尾を触っちゃ駄目だぞ! しゃー!」

「う……ごめん。目の前にあったから、つい……」

 言い逃れできない状況であったため、どう目してイカクするネコに思わず「くぅん」と鳴いて平謝りする。気をつけなければならない。頭では迷っていたはずなのに、自然と手が出てしまっていた。

 動物としての本能と呼ばれるものなのだろうか?


「まったく、イヌはエッチな奴だな!」

「え!」ネコの発言で再び思考が粉砕される。「エッチってことはないだろう!」

「いいや、イヌはエッチだ! 学校でもウシ先生のおっぱい、ジッと見てるし!」

「見てないよ!」いいや、実は見ている。いいや、そんなことより。「って言うか、それとこれとは関係ないだろ!」


「ねーちゃん! にーちゃん!」

 甲高い声が応酬を止めた。声の主は「裏」の子供であるオコジョの動物人アニマンだ。先日、クレヨンをポケットに仕舞ったまま忘れていた人物その人である。

「お! いたいた! 探してたんだぞ!」ネコが両手を腰に当てて返事する。今までのやり取りなどなかったかのような心変わりだ。


本当ほんとに? 今、ケンカしてなかった?」

「してないぞ! イヌがエッチだから、怒ってただけだ!」

「え、ちょっと――」

 ケンカではなかったのは確かだが、その説明は人聞きが悪い。


「そーなんだ! フクロウは?」しかしオコジョはあっさりと受け入れて話を変えてしまう。

 明海あけみは悔しいが話題を戻す気にもなれなかった。

 ネコが相変わらずの調子で答える。「今は朝だから、フクロウは寝てるぞ!」

「そーなんだ。フクロウ、空が飛べて鬼ごっこ強いから、勝負したかったのに!」

「フクロウはまた今度だな!」


「チーターとクマのにーちゃんは?」

「二人は、今日は部活だね」明海あけみが答えた。

 ネコが続く。「だから、今日はアタシとイヌだけだぞ!」少女は子供を慰めるように頭をなでた。


 ひとなで、ふたなでしたところで相手は恥ずかしそうに身を引いてネコの手から逃れる。と、頬を膨らませて腕を組んだ。

「良いもん! チーターのにーちゃんはすぐに疲れて捕まえるの簡単だし、クマのにーちゃんはトロくてザコだし!」


 どう猛なオコジョの意地っ張りな主張が、明海あけみに素朴な疑問を抱かせる。

「ネズミとは鬼ごっこしないの? すばしっこそうだけど」

 ネズミは「裏」の住民である。先日 明海あけみの部屋に忍び込んだなりの運動神経も知能もあるはずだ。意地悪が好きな性格からも、他者を出し抜くのがうまそうに思う。鬼ごっこの相手としてはうってつけではないか。


「ネズミぃ?」対して、子供は声と顔に嫌悪感を示した。「遊ばないよ、あんな奴となんか。今も寝てるんじゃない? 夜行性なんでしょ」

 意外な反応だった。明海あけみ自身、ネズミやオコジョと会話したことはあっても、その交友関係を把握している訳ではない。いつも子供同士で遊んでいてお互い見知った仲なのだろうと想像していた。

 まさか、イジメられてるとか……。先日の会話の中で垣間見えた、どこか不器用な優しさや乱暴な気づかいが思い出される。本音の見えない態度が勘違いされ、嫌われることもあるだろう。


 明海あけみが勝手な妄想を成長させたその時、

「ツバメはいるのか?」ネコがやぶから棒な質問をした。

 少年の思考は唐突な緊張によって寸断される。今日はネコの一言で考えごとを邪魔されてばかりだ。


「ツバメじいさん?」オコジョは目を丸くして首をかしげた。「管理局の方面に歩いて行くのを見たけど、それきり戻ってないよ」

 管理局。特区ズーの住民の生活や環境整備を一手に管理する組織のことだ。正式名称はもっと長く、特区ズーが設置されている地区の区役所の組織構造の一つであると習った。その出張所が特区ズーの中にあり、人間と動物人アニマンの代表者が協働で運営しているらしい。

 出張所は特区ズーの北側にあり、その近辺も管理局の建物ばかりだ。何故、ツバメがそこへ行く必要があるのだろうか。


 明海あけみが疑問を持つ傍らで、

「そうか、いないのか」ネコはあっけらかんとしていた。

 急に質問したクセに、詳しく知ろうとしないの? 明海あけみはいまいち読めない言動をする友人を見た。

 相手の顔は、まさにこちらを向いていた。


 朗らかな笑顔が告げる。

「良かったな!」


 明海あけみは一瞬、固まった。

 それから、理解する。


 ――あぁ。

 心の中で、ため息をついた。


 自分が「ツバメに会いたくない」と考えていることを、ネコはお見通しだったのだ。恐らく、その原因がツバメの話にショックを受けたためであることまで。

 鬼ごっこに誘ってくれたのも、落ち込んでいる僕を慰めるためとか? ……考え過ぎか。

「うん、ありがとう」明海あけみはネコに感謝した。


 、自分は心を空っぽにして遊ぶべきなのだ。それを許してくれる時間と仲間が、自分にはいる。

「鬼ごっこ、しようか」

「おう! アタシが逃げるからな! お前らなんかに負けないぞー!」

「え、二対一!?」


「違うぞ! オコジョの友達もみんな連れてこい! お前ら全員が鬼だ! まとめて相手してやる!」

「ウソー!」

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