2-3 ネコの理想
家へのネズミ侵入から一週間が経過した週末。
それだけであれば
ネコらとは違い、
ところがいざ語られた内容は、「
ツバメがいつまで
そんな確信から「彼と会ってしまうのではないか」と考える内に、
しかし距離を置く期間を設けたことで、ある程度は落ち込んだ気分も解消してきている。鬼ごっこに興じるのも、気分転換になるかも知れない……。
ようやく芽生えた前向きな思考を後押しするように、ネコから要請を受けた形だ。断る理由はなかった。
噴水広場から「裏」へ続く路地を歩きながら、
学校では同じクラスで席も前後のため毎日会話はしているが、「裏」については一切話していなかった。「裏」の住民自体は違法な存在ではないとは言え、
「行ってるぞー」ネコは何てことない風に返した。顔は前を向いたままだ。「行ってやらないと、アイツらが暇になっちゃうからな!」
ネコ耳の向きをせわしなく動かしている。子供たちの気配を探っているのだろう。上下えんじ色の作務衣の腰からのびる尻尾がフワリと
手をのばせば、つかめそうな距離だ――茶トラの毛並みとテイルリングの入った細い尻尾が、イヌの衝動をどうしようもなく呼び起こす。
触っちゃ駄目かな、怒られるだろうか……。理性的なしゅんじゅんは心の中だけのものだった。体は野性的な情欲に従い、思案よりも先に片手を操って無防備な尻尾を捕獲する。
はずだった。紙一重で尻尾が退き、
でも一瞬、掌を毛でなでられる幸せな感触が――
「こら!」
「わん!?」
刹那の快感が叱責で吹き飛ばされる。ネコは
「尻尾を触っちゃ駄目だぞ! しゃー!」
「う……ごめん。目の前にあったから、つい……」
言い逃れできない状況であったため、どう目してイカクするネコに思わず「くぅん」と鳴いて平謝りする。気をつけなければならない。頭では迷っていたはずなのに、自然と手が出てしまっていた。
動物としての本能と呼ばれるものなのだろうか?
「まったく、イヌはエッチな奴だな!」
「え!」ネコの発言で再び思考が粉砕される。「エッチってことはないだろう!」
「いいや、イヌはエッチだ! 学校でもウシ先生のおっぱい、ジッと見てるし!」
「見てないよ!」いいや、実は見ている。いいや、そんなことより。「って言うか、それとこれとは関係ないだろ!」
「ねーちゃん! にーちゃん!」
甲高い声が応酬を止めた。声の主は「裏」の子供であるオコジョの
「お! いたいた! 探してたんだぞ!」ネコが両手を腰に当てて返事する。今までのやり取りなどなかったかのような心変わりだ。
「
「してないぞ! イヌがエッチだから、怒ってただけだ!」
「え、ちょっと――」
ケンカではなかったのは確かだが、その説明は人聞きが悪い。
「そーなんだ! フクロウは?」しかしオコジョはあっさりと受け入れて話を変えてしまう。
ネコが相変わらずの調子で答える。「今は朝だから、フクロウは寝てるぞ!」
「そーなんだ。フクロウ、空が飛べて鬼ごっこ強いから、勝負したかったのに!」
「フクロウはまた今度だな!」
「チーターとクマのにーちゃんは?」
「二人は、今日は部活だね」
ネコが続く。「だから、今日はアタシとイヌだけだぞ!」少女は子供を慰めるように頭をなでた。
ひとなで、ふたなでしたところで相手は恥ずかしそうに身を引いてネコの手から逃れる。と、頬を膨らませて腕を組んだ。
「良いもん! チーターのにーちゃんはすぐに疲れて捕まえるの簡単だし、クマのにーちゃんはトロくてザコだし!」
どう猛なオコジョの意地っ張りな主張が、
「ネズミとは鬼ごっこしないの? すばしっこそうだけど」
ネズミは「裏」の住民である。先日
「ネズミぃ?」対して、子供は声と顔に嫌悪感を示した。「遊ばないよ、あんな奴となんか。今も寝てるんじゃない? 夜行性なんでしょ」
意外な反応だった。
まさか、イジメられてるとか……。先日の会話の中で垣間見えた、どこか不器用な優しさや乱暴な気づかいが思い出される。本音の見えない態度が勘違いされ、嫌われることもあるだろう。
「ツバメはいるのか?」ネコがやぶから棒な質問をした。
少年の思考は唐突な緊張によって寸断される。今日はネコの一言で考えごとを邪魔されてばかりだ。
「ツバメじいさん?」オコジョは目を丸くして首をかしげた。「管理局の方面に歩いて行くのを見たけど、それきり戻ってないよ」
管理局。
出張所は
「そうか、いないのか」ネコはあっけらかんとしていた。
急に質問したクセに、詳しく知ろうとしないの?
相手の顔は、まさにこちらを向いていた。
朗らかな笑顔が告げる。
「良かったな!」
それから、理解する。
――あぁ。
心の中で、ため息をついた。
自分が「ツバメに会いたくない」と考えていることを、ネコはお見通しだったのだ。恐らく、その原因がツバメの話にショックを受けたためであることまで。
鬼ごっこに誘ってくれたのも、落ち込んでいる僕を慰めるためとか? ……考え過ぎか。
「うん、ありがとう」
ネコが望んでくれたように、自分は心を空っぽにして遊ぶべきなのだ。それを許してくれる時間と仲間が、自分にはいる。
「鬼ごっこ、しようか」
「おう! アタシが逃げるからな! お前らなんかに負けないぞー!」
「え、二対一!?」
「違うぞ! オコジョの友達もみんな連れてこい! お前ら全員が鬼だ! まとめて相手してやる!」
「ウソー!」
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