1-8 それぞれの裏

 ツバメの話を聞いた帰り道は、少し気が重かった。


 明海あけみ特区ここへ来た時、この場所は動物人アニマンが安全に輝く場所と説明された。

 しかしその実、ここは、人として暮らせなくなった者らが危険にさらされながら生き抜く「掃きだめ」であった。


 特区ズーという「動物人アニマンの世界」に何かしらの夢を見て移住した者もいるだろう。例えば、チーターがだ。彼は過去に、自身がチーターの動物人アニマンだと判明した瞬間からチーターになり切り、大喜びで特区ここへ来たのだと自慢げに語っていた。

 だが実態として、移住者の多くはやむを得ず特区ズーに移り住んでいた。


 明海あけみ特区ここではイヌだが、人間としての自分を捨てきれず、明海あけみ 晴人はるとという氏名を大事にしている。いつか元の世界に戻れると、今も信じて。

 そして特区ここで出会った動物人アニマンには、初対面の頃に「人間だった頃」の名前と思い出を聞いていた。それと、「どちらの名前で呼んで欲しいか」も。

 答えてくれない者もいた。当たり前のことだった。


 動物人アニマンは、自身がだと発覚するまでは人間として暮らす。日々の暮らしや教育を通じて「動物人アニマンという奇形」の存在を学ぶ。ツバメが語ったような危険を認識していたかは環境や年代にもよるのかも知れないが、動物人アニマンに対する無責任で感覚的な嫌悪感は明海あけみも持っていた。

 そんな中、自身がであると知った時、どのような行動を取るか?


 動物人アニマンの多くは、人間であることを否定されても尚、人間であり続けようとした。

 ツバメの話の通り、両親だって同じ気持ちだったろう。

 が、世間はそれを許さなかった。


 フクロウは人間だった頃の名前が山辺やまのべ 静香しずかであることを教えてくれた。

 彼女は羽が目立たなかったため、人間として暮らすことができた。両親も「隠し通せる」と希望を持っていたようで、夏も着られる薄手の長袖を着させたり、羽で蒸れないよう羽のメンテナンスも丁寧にしてくれた。

 しかし小学校へ通い始めてから間もなく、希望は打ち砕かれてしまう。段々と強まってくる鳥の習性によってトイレが近くなり、学校で度々「おもらし」をして怒られるようになった。夜行性が顕著になることで朝は寝坊し、どれほど意識を保とうとしたところで、授業中も眠気に勝てない。人間としての常識を守れない彼女が集団生活について行けなくなるまではあっという間だった。

 登校拒否をしばらく続けて無口になった彼女は、ある日、か細くなった声で親に「もう嫌だ」と告げた。彼女にとってそれは「死にたい」という意味だったが、親の選択はフクロウを特区ズーに送ることだった。


 明海あけみはフクロウの過去を知ってから「フクロウは今、幸せなのだろうか」と考えるようになった。

 彼女の目に親の選択はどのように映り、親の願いをどうして受け入れたのだろうか。「その時」は両親の選択に従うしかなかった少女は、今、何を糧に生きているのだろうか。


 ネコは人間だった頃の名前を「忘れた」と言う。

 幼少期の彼女は耳が髪に隠れる程度に小さく、尻尾も下着に隠せるほどの長さだった。しかし年齢を重ねるにつれ耳は帽子に収まらなくなり、尻尾もロングスカートやジーンズにも浮き出るようになった。

 いよいよ親が耳を切除しようと提案し本人も「家族で暮らすためだ」と決心したが、ハサミの切れ味が悪く、右耳を半ばまで切られたところで痛みに耐えられず逃げ出した。父親に押さえつけられたが、ケモノとしての力に目覚めていた彼女の腕力は、人間の大人のそれを上回っていた。両親は逃げる娘に包丁やビンを投げつけ、明確な攻撃性をもって追い立てた。顔も手足を傷つけられ、血まみれで家の中を駆け回る間に尻尾も半ばから切断された。

 親にためらいなく刃を突きつけられた時、ネコは、「この人たちは娘を守りたいのではなくて、動物人アニマンを育てていると周囲にバレたくないだけなのだ」と理解してしまった。ネコとしての能力を使って命からがら家を飛び出し、警察へ駆け込み、自ら特区ズーでの暮らしを選んだ。


 ネコは恐らく、名前を覚えていないのではなく、捨てたのだ。自分を追い詰めた恐ろしい親に、何度も呼ばれたであろう、呪いのようなその言葉を――。

 そう察してから、明海あけみは彼女に名前を聞くのをやめた。自分にとって大切なものが、誰にとっても大切とは限らなかった。


 クマは、元の名前を教えてくれた。小林こばやし 友優ゆうやという名前で、両親は「いつも友達に優しくあってほしい」という願いを込めたそうだ。

 だが彼は、友達と下校中に見知らぬ大人の男に襲われた際に、無我夢中でつかんだで大人の腕をもぎ取ってしまった。その場でもんどり打つ悪い人から、友達と一緒に逃げようとした。しかし友達は、逃げてしまった。

 「もう、俺は駄目なんだ」と悟り、親に言われるまま知らない大人に引き渡され、特区ズーへ来た。


 彼が傍に居てくれるだけで安心できる理由を、明海あけみは知っている。

 しかし彼の元いた世界では、それを理解できる者がいなかったのだ。

 クマ自身は家族に見放されて以降、友優ゆうやと呼ばれることを諦めている。それでも、彼は確かに、その名にふさわしい思いやりを持っていた。明海あけみが人間だった頃を大事にしていると知ってから、その名で呼んでくれるのだ。

 正義を押し付け都合の悪いことから目を背けるような人間ばかりの環境は、本当に不幸である。


 特区ここはそもそも、希望を胸に来る場所ではなかったのだ。

 特区ここに来る者のほとんどが、人生に絶望し、人間としての自分を諦め、特区ここに、最後の居場所を求めていた。


 ここで駄目になったら、本当に――


「おい、イヌ!」

「わん!」

 暗闇に落ち込んでいく思考が、甲高い声に強制的に引き上げられた。


 駆け寄ってきたネズミが、鼻先に指を突きつけてくる。

「何を悲しそうな顔してるんだッチ。ツバメの話を聞かされて、しょんぼりしてるのか」ネコよりも背の低い彼女は、上目遣いに怒りの感情をありありと乗せていた。


 何に怒っているのだろうか。ツバメ? 僕?

「……うん、ちょっとだけ、ね」


「そんな場合じゃないッチ!」ネズミは急に激高した。「オイラは睡眠妨害されて、つまんない話まで聞かされて、とっても怒ってるッチ!」

 明海あけみは戸惑う。「話を聞いたのはネズミの勝手じゃ――」

「うるさい! お耳かむぞ! チチィ!」

「え、耳は駄目!」

 メチャクチャな主張だ。


「じゃあ、お菓子を寄越せッチィ!」

「お菓子?」

「お前の隣にいたら、クッキーの匂いがしたッチ! 持ってるのはわかってるッチィ!」

 今度はメチャクチャな要求だ。それに、もうポケットにクッキーは残っていない。


「持ってないよ。みんなで食べちゃったんだ」

「チュウゥ! どうせ家にあるだろう!」ネズミがいよいよ髪の毛を逆立て、前歯を出す。「寄越せ! じゃなきゃ、お前らが『裏』に来たこと、先生にチクるッチ!」

「え! やめてよ! 怒られちゃう!」

「もう、どうしようもないッチ! 家に連れてって、クッキーくれなきゃ嫌だッチ! チィチィ!」


 ツバメの話で、将来が不安になるほど気持ちが潰れかけていたが、

 それどころではなくなってしまった。

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