1-7 イヌの裏

 ツバメの話が、明海あけみの記憶を呼び起こした。

 授業中の居眠りの時に見た、夢の続きだ。






 動物人アニマンは皆、特区ここで安全に暮らし、健全に育つことができる。

 動物人アニマン歴史をひとしきり説明した女性は、優しく微笑んで述べた。


「そう、この場所こそが、特区ズーなのです。

 あなたは、これから安全に暮らすことができます。もちろん、自由ですよ。

 あ、でも、まだ子供だから学校でお勉強はしますよ?

 あと、たまにお医者さんに体を診てもらいましょうね。大丈夫、病気がないか調べるだけです」


 特区ここに来たばかりの自分は、思わず質問した。

「パパと、ママは?」


 女性は、一瞬だけ間を置いて答える。

「パパとママは、一緒にはいられません」


 相手の顔に気まずい感情が差したのを見逃さなかった。

 「帰りたい」

 そう言おうとしたが、相手の言葉が早かった。


「あなたの名前も、今日から『イヌ』です」

「え?」


 女性は優しい顔なのに、寂しさも不安もわかってはくれなかった。

 この日を境に、明海あけみ 晴人はるとはイヌになった。


 大人の決めた安全と引き換えに、ヒトではなくなった。






 特区ズーの生活様式を教わり、困った時の相談役に挨拶をしてからは、アパートでの一人暮らしが始まった。

 朝は一人で起きて、アパートの管理人から配給の食事をもらって、学校へ行く。昼食は学校の給食だ。午後に帰宅し、夜の配給をもらうまでは自由時間。学校の宿題をしたり、遊んだり、お散歩したりするが、夜に出歩くと「動物人アニマンの子供はさらわれる」と脅された。


 両親に会えないのは寂しかったし、どうしようもない気持ちになることもあった。それでも、ここで生きるしかなかったから、色々なことを頑張って覚えて、どうにか生きていた。

 やがて友達ができると、「この生活も悪くない」と思えるようになった。


 しかし、そんな一筋の光を奪い去るかのように、学校の友達が一人

 学校の先生が「一人で行動しないように」と注意喚起し、しばらくの間、大人が昼夜パトロールするようになった。


 結局、友達が見つかることはなかった。

 「動物人アニマンの子供はさらわれる」というウワサが本当だったことを、明海あけみは思い知った。


 さらわれたら、どうなるの?

 ――知らない。とにかく、もう帰ってこないんだよ。


 怖い。さらわれたくない。友達にだって、さらわれてほしくない。

 どうして、大人は守ってくれないの?


 特区ズーで一番偉いオオカミ区長は?

 困りごとやケンカを止める警察署のオオワシ署長は?

 ゾウ先生も、保健室のウシ先生も……。


 「大人の誰にも子供を守れなかった」という現実が、とても怖くなった。


 自分は、いつか大人になって、元の世界に戻れると信じていた。

 なのに、本当は、いつもおかしくなかったのだ。


 その絶望感が、いつまでも明海あけみの心をむしばむようになった。

 自分は動物人アニマンだが、動物人アニマンでありたくないと、願うようになった。


 僕は、明海あけみ 晴人はるとだ。

 イヌではなく、明海あけみなのだ。


 僕の住む世界は、ここではない。

 外のことを知りたい。

 絶対に、帰りたい。


 あこがれは、行動を起こす勇気になった。

 リスクを覚悟してツバメの話を聞く理由になった。

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