1-4 裏の街

 一行は噴水広場から裏路地に入ると、細い路をしばらく進む。

 ここは「表」ではなく「裏」の地域。「表」と「裏」との間には、同じ部分と異なる部分があった。


「イヌのにーちゃん! 良いとこに来た!」

 間もなく、子供たちが掛け寄ってくる。皆フクロウよりも幼い子であり、明海あけみとは知り合いだ。

「どうした?」

「クレヨンが、どっか行っちゃったんだ! さっきまで持ってたのに! 匂いで探してよ!」

 子供の一人が「ほら!」と両手を広げてこちらへ差し出す。指先と、小指、薬指の根元が緑色に染まっていた。どの程度の長さのクレヨンをどのように持っていたのか何となくわかる汚れ方だ。


「そこら辺に転がってるんじゃね?」ネコが投げやりに提言する。「踏んづけてるとか」

「ちゃんと探したもん!」子供は言い返しながらも靴の裏を見た。

 フクロウも目を皿のようにして周囲を見めぐらしている。なお、首は後ろまでは回らない。


「んー」明海あけみは子供の手を取り、掌に鼻を押し付けるようにして匂いをかぐ。

 石油の匂いと、汗の匂いがした。チョコレートの匂いもするが、それは「おやつ」にでも食べたのだろう。


「ふん、ふん」

 明海あけみはイヌのきゅう覚を頼りに匂いを区別し、クレヨンの匂いを探し求め繰り返し息を吸った。

 微かに感じるクレヨンの匂いをたどり、別の子供の体の肩、腰、太ももへと標的を移していく。


 子供がくすぐったそうにしたところで、

「ここだ」明海あけみは結論を述べた。


「え!」指差された子供はズボンのポケットを探る。「わ! 本当だ!」

 すると、そこから引き抜かれた小さな手にはクレヨンが握られていた。何かに気を取られた拍子に、無意識の内にそこへ仕舞ったのだろう。

「ポッケの中かよ! ちゃんと探せよー!」

「にーちゃん、ありがとー! 学校、がんばってね!」

 別の子供たちが口々に言うのを聞きながら、一行はその場を後にした。


 距離が離れたところでネコがつぶやく。「今日は、もう学校は終わったけどな~」

 明海あけみは相づちを打った。「それ聞かれたら、『じゃあ、遊ぼう』って言われちゃうね」

「だよな! 言わなくて良かったよ」


 ここに住む子供たちは、学校に通っていない。

 この地域も確かに特区ズーの中であり、居住しているのが動物人アニマンである点と、管理局と呼ばれる特区ズーの中心から食事や日用品を配給されて暮らしている点も相違ない。しかしこの地域に暮らす人々は「裏」の住民であった。

 「裏」とは、「表にはいられなくなった」という意味だ。自ら「裏」で生きることを選んだ大人もいれば、「裏」に移った親に連れられた子供もいる。


 「表」の住民と「裏」の住民の大きな違いは、特区ズーの法の対象にならない点にある。

 日本において国民が日本国憲法に従い義務と権利を有するように、特区ズーにおいては動物人アニマンを対象とした法に従い保護と教育を受ける。


 ただし例外があった。特区ズーが守る対象は「特区ズーの使命に同意する動物人アニマン」だけなのだ。

 特区ズーの使命は、大きく2つ。動物人アニマンの保護と、動物人アニマンの研究である。すなわち特区ズーによる動物人アニマンの保護と教育は、特区ズーが担う研究に協力することが前提とされていた。


 「表」の住民は、法の下で保護され教育を受ける代わりに、身辺調査、監視、実験その他、研究にあたり実施される行為をすべて受け入れなければならない。

 そのルールに異議を唱え反対した者が、「裏」の住民となるのだ。「裏」に移る理由は、それぞれである。具体的な内容も、ウワサでしか聞いたことがない。


 前方から別の子供たちが近づいてきた。

「あ! ネコのねーちゃん! 鬼ごっこしよー!」

「えー? 今は、用事があるから駄目だぞぅ!」

「ちぇー! 俺、走る練習したから、ねーちゃんのこと捕まえられるのに!」

「それは楽しみだな! また今度なぁ!」


 「裏」の住民となること自体は、法に反しない。ただ単純に、憲法の原文に「法は、特区ズーの使命に反する動物人アニマンをその対象としない」とする文言が明記されているだけだ。

 このことから、「裏」の街には義務教育の対象とならず学校にも行けない子供たちがいる。本人たちは「学校に行かなくていいなんてラッキー」と考えているし、明海あけみ自身も特区ズーに来たばかりの頃は「裏」の方が自由で楽しそうだと考えていた。


 だがルールから解放されると同時に、彼らは常に「保護の対象にならない」というリスクにさらされている。その意味を明海あけみが知ったのは、特区ズーでの生活が始まってから間もなくのことだ。

 その時の絶望感を、明海あけみは今も忘れられずにいる。


「ホント、アイツらは遊ぶことしか頭にねぇな!」

 あきれたように笑うネコの言葉が、回想に沈みかけていたの意識を引き上げた。

「仕方ないんじゃない? ここじゃ、遊んでないと暇になっちゃうよ」明海あけみは悪気なく付け加える。「ネコも、遊んでもらうの楽しそうじゃん」

「アタシが遊んでやってるんだぞ!」対してネコはイカ耳になった。「アタシの尻尾は、誰にもつかませないからな!」


 ネコは前へ歩き出すと、ハーフパンツの腰側から出した尻尾を立ててフリフリする。怪我のために途中で途切れたままの、半端な長さだ。

 すばしっこい上に高いジャンプも低い姿勢での疾走もこなすネコは、誰よりも「鬼ごっこ」が得意だった。彼女は、動物のネコがそうであるように体重に対する指の力まで人間離れしているため、建物の壁を難なくよじ登ることができる。街中でどこにでも入り込み、またどこへでも逃げていく自由自在な彼女に追いつけるものはいない。


 今、目の前でどこか扇情的な雰囲気をまとって揺れる尻尾が原因で、明海あけみも痛い目を見た経験がある。

 かつて明海あけみは、まさにネコとの鬼ごっこの最中、物陰で待ち伏せすることでネコへの接近に成功した。至近距離まで引き寄せてから飛び出したカイあって、俊敏なネコと言えども回避は間に合わなかった。

 明海あけみは勝利を確信したが、そこで悲劇は起こった。ネコがとっさに高く跳躍したため、明海あけみは必死に手をのばして尻尾をつかんだのだが、引っ張った勢いで少女のボトムスがずり落ち、ひともんちゃくの末に思い切り引っかかれる羽目になった。

 結局、ネコを捕まえた伝説的な瞬間はうやむやにされ、ネコが鬼ごっこの達人として神格化されたまま現在に至る。


 ツバメだったら、ネコを出し抜く方法を知っているだろうか?

 ネコの弱点――自分の知る限りでは、「腰をトントンすると変な声を上げてヘナチョコになる」ぐらいだ。そもそも接触のかなわない鬼ごっこでは活用できそうにない。


 陽気なライバルをにらんでいると、その後方を歩くフクロウがモジモジしているのに気づいた。

「フクロウ、トイレ?」

 すかさず尋ねると、最年少の少女は振り向いてコクリとうなずいた。


「ちょっと、行ってくる」フクロウは余計に静かな声で気まずそうに伝え、一行から離脱する。「追いつくから、先に行ってて」

「わかった。この道をまっすぐ進んだ場所だから、飛べばすぐだ」とチーター。

 フクロウは返事もせず小さな歩幅で物陰へと消えていった。


 猛きん類を含む鳥類の特徴として、フクロウはトイレが近く、我慢も苦手である。

 飛行能力という優れた力を持つ彼女の弱点であった。

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