1-2 表の友達

「イヌ! 居眠りするな!」

「わん!」明海あけみ 晴人はるとはつんざく怒号によって回想の淵から引き起こされた。


 覚醒したばかりの視界に広がるは、見慣れた教室の風景。クラスメートの視線が自分に集まっている。

 自分の前に座るネコとリスの小さな頭の先からは、教卓に両手をついたゾウ先生がこちらをにらんでいた。ゾウの目は小さいが、その感情はありありと示されている。


 明海あけみは「自分が授業中に居眠りをしていた」という状況を理解した。が、どうしようもなかった。

 生徒本人が事態を把握するのを待っていたかのように、

「授業に集中せんかぁ!」ゾウが長い鼻をビリビリと震わせながら怒りの声をとどろかせる。「ぱおおぉん!」


 両手で耳を塞いだ明海あけみは、衝撃をともなう大声に吹き飛ばされそうになった。


 その後、先生は「次やったら承知せんぞ!」という警告を残すと、「おっほん!」と一区切りのせき払いを入れてから、普段のしゃがれ声で国語の授業を続ける。そして授業が終わった頃には、自分が怒鳴ったことなど忘れてしまったようにノシノシと巨体を揺らして教室を出て行った。

 これ以上は怒られずに済むと悟り、明海あけみはホッとする。ゾウは賢いが、老人だから物忘れが激しいのかも知れない。


 そんな洞察をした時、

「お前ぇ!」前の席のネコが振り返り、泣きそうな顔で机をたたく。「なに、ゾウの授業で寝てんだ! 死にたいのかよぉ!」

 彼女は耳を後ろに反らせ、もせわしなく振っていた。怒り心頭に発する様子だ。


「ごめんごめん」明海あけみは素直に謝る。「話が長いと眠くなっちゃって。あと、給食も美味しかったし」

 今日は給食メニューの主食がビーフペッパーライスだったため、たくさん「おかわり」をした。昼休みも目一杯ドッジボールを楽しんだ。午後の授業で眠くなるのは仕方ない。


「美味しかったけどぉ!」目の前の少女が共感を示す。彼女も他ならぬ「おかわり」争奪戦に加わった一人だ。しかしつぶらな瞳から糾弾の色は消えない。「でも、ゾウを怒らせたらヤバいだろぉ! さらわれるより恐いんだぞ!」


「いや、さらわれるより恐いかはわからないけど……うん、気をつけるよ」明海あけみは反省する。過去の記憶が呼び起こされたためだ。

 先日、宿題の漢字ドリルをやり忘れたサルが、皆の前でゾウに投げ飛ばされた。彼は何度も宿題を忘れては毎回「漢字ドリルを忘れました」でやり過ごしていたが、授業中に引き出しからはみ出した漢字ドリルが見つかってしまい、今までの分も宿題をまったくやっていなかった「サボり」であることがバレてしまったのだ。

 ゾウは聡明で落ち着きのある性格だが、力が強く短気でもある。気分を害すことがあると、一触即発で衝撃的な目に遭う羽目になる危険な動物人アニマンだった。


「僕も、あの大声はキツいから」

 明海あけみは言いながら、片手で自分の頭にある耳に触れる。

 明海あけみは、食肉目イヌ科イヌ属の耳ときゅう覚を持つ動物人アニマンであった。体は人間であるためイヌのように速く走れないが、人間の比にならない範囲の音と匂いを感知・区別できる。相手の表情から感情や思考を読み取るのも得意だ。しかしながら、聴覚が優れているがゆえに、大声を聞くと耳が痛くなるという悩みも抱えていた。ゾウの怒鳴り声も苦手だ。


「頼んだぞ、イヌ~」

 ネコは機嫌を直したようで、机を叩いていた手でこちらの頭をなでる。

 その掌に肉球はないが、彼女も食肉目ネコ科ネコ属の耳と尻尾を持つ動物人アニマンであった。しなやかですばしっこい身のこなしと、素直で愛嬌のある性格が特徴だ。右耳は怪我で少し欠けている。


 耳をつまむようになでられた際、ネコの指先に優しく内側をなぞられ、明海あけみはゾクゾクとした気持ちになった。

「んあっ……そ、そんなに触るなよ!」思わずこぼれた声をかき消すため、明海あけみはネコの手を払い、いかくする。「がるるっ!」

 対するネコはイタズラっぽい笑顔になった。「ふふん、ごめんにゃさぁい♪」


 こいつ、僕が耳弱いの知ってて――

 憎たらしいネコ娘に文句を言ってやろうと思ったが、


「おい、お前ら」横からの呼び掛けに妨げられた。


 ネコと揃ってそちらを向くと、いつの間にか明海あけみの机の傍らに背の高い男子が立っている。脚が長く、細い腰も位置が高い。視界を更に上げれば、たくましい胸板の上の小顔から精かんな顔つきがこちらを見下ろしていた。

 ――チーターの動物人アニマンだ。一目で食肉目ネコ科チーター属を連想させる長い手脚に優れた瞬発力、そして誰にも負けない俊足が特徴である。細長い尻尾は腰に巻いた、動物人アニマンであることに強い誇りを持った動物人アニマンの中の動物人アニマンである。


 彼はふき出すように短く笑ってから話す。「じゃれ合ってるとこ悪いな」

 明海あけみは、両手で必死に耳をかばう自分の姿を笑われたのだとすぐに気づいた。

「じゃれ合ってないよ!」


「どうしたんだ? チーター」ネコが平然と問う。

 チーターは一度、周囲をうかがった。それから、二人の顔の高さまでかがむ。

 それから小声で用件を口にした。「今日、特区ズーにツバメじいさんが来るんだ」


「マジで!?」ネコがうれしそうに立ち上がる。

「しーっ!」すかさずチーターが片手をネコの口にやった。「ここだけの話だ」


 明海あけみはすぐ、友人が入念に話を広めまいとしている理由に思い至る。

 ツバメじいさんは動物人アニマンだからだ。


 子供は、特区ズーの外に出てはいけない。

 学校の先生以外から、特区ズーの外のことを教わってはいけない。

 理由は教えてもらえないが、大人の決めたルールだ。


 ここは、日本にほんのとある都市の一角にある特区ズー。人類が動物人アニマンを保護・管理するべく設置した地域であると同時に、動物人アニマンたちが共同生活する街だ。

 今、自分たちがいるこの建物は、特区ズーに住む子供が通う動物人アニマンの小学校。生徒も教師も皆 動物人アニマンである。学年は日本の小学校と同じく六学年あり、生徒の人数規模は一学年につき一クラス十名足らず。


 五歳の頃に特区ズーへ来た明海あけみは、今年で十一歳になる五年生の生徒だ。

 当然、小学校生活も五年目になる明海あけみには、他の生徒や共同生活を送る「表」の友達がいる。「表」というのは「ゾウ先生などの大人にも知られて良い」という意味であり、ネコやチーターが表の友達にあたる。

 そして、ではない「裏」の友達もいる。ツバメは、その一人だ。


 チーターが周りを見回してから、また声を潜める。「お前ら、また会いたいって言ってたろ? だから、一緒に行こうと思って声を掛けたんだ」

 ネコが満面の笑みで何度もうなずいた。口は閉じているが目を輝かせて「うん! うん!」と声を漏らしている。


 明海あけみも一度、大きくうなずいた。

「ありがとう。僕も行くよ」


 学校の先生ではないツバメから特区ズーの外の話を聞くのは、ルール違反だ。バレたら怒られてしまう。

 しかし「特区ズーは、外の人間に支えられているのです」としか教えてくれない学校と違って、ツバメは人間たちの生活や変化を語ってくれる。彼は、暇を持て余す子供の好奇心を何よりも刺激する、リスクを冒してでも会いたい相手であった。

 明海あけみにとっても重要な存在だ。


「そうか! じゃあ、放課後に噴水広場で集合だ」

 チーターは指示は手短に教室を出て行く。彼は明海あけみらより一学年上の六年生であるため、違うクラスだった。

 時間割も異なり、五年生がこの後のホームルームで下校となるのに対して六年生は次の授業が残っている。


 明海あけみとネコは自宅にランドセルを置いてから噴水広場へ行くことにした。


 また、自分の世界が広がる。

 心は楽しみで一杯だった。

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