第八話 イシュタルへの祈り

前回のあらすじ

 ナブリアが心を込めてイシュタルに感謝の祈りをささげたいと神官に伝えると、神官はナブリアに加護があることを祈った。そして香炉に乳香を乗せ、かぐわしい香りを立ち上らせた。



「ナブリア様、どうぞこちらへ」


 もう一人の神官に案内されて、ナブリアは祭壇の前へと進んだ。姿勢を正して、静かに目を閉じ、ゆっくりと深呼吸をする。


 ナブリアは心を込めて、祈りの言葉を唱えた。


「心を清めたまえ。すべてを女神の御許みもとにささげん」


 ナブリアは静かに目を閉じ、深い瞑想めいそうに入った。神殿の大広間の景色が次第に遠のいていくのを感じながら、意識を内なる世界へと向けていった。


 ふと、葦原あしはらで遭遇した大蛇の凶悪な姿が脳裏によみがえった。一体なぜ、ネルガルの使徒は自分たちを襲ったのだろう。だが、その疑問よりも強く心に残ったのは、あの危機の中で女神イシュタルが己に力と勇気を授けてくださったことだ。そのことを思い出すと、ナブリアの胸は感謝の思いで満たされていった。


 自分は神官見習いの少女に過ぎない。到底、魔物と戦うだけの力も技術も備えてはいない。それでも女神は、自分を見捨てることなく、優しく導いてくださったのだ。


 ナブリアは心の中で誓った。たとえどんな困難に直面しようと、勇気を持ち続けよう。そして何より、人を慈しむ心を大切にしていこう。


 ただ、もう一つの疑問が心の片隅に引っかかっていた。イシュタルはなぜ、自分のような未熟な少女を選んでくださったのだろう。ウルクにはもっと力強く勇敢な戦士たちが大勢いるというのに。自分にどんな取り柄があるというのだろう。


 ナブリアは瞑想を深め、イシュタルに問いかけた。どうか、女神よ、あなたのお導きを賜りたい。私は何をすべきなのでしょうか。


 精神を研ぎ澄ませ、深い静寂の中で女神からの啓示を待つ。まるで時が止まったかのように、ナブリアの心は不思議な平安に包まれていた。


 自分の役目が何なのか、まだわからない。だが、ナブリアは決意した。これからも女神の御心に適うよう、精一杯生きていこうと。


 やがて、ナブリアは静かに立ち上がり、祭壇へと歩みを進めた。イシュタルの御前おんまえにひざまずくと、優雅な所作で両手を組み、祈りのいんを結ぶ。他の神官たちもナブリアにならい、イシュタルへの祈りの言葉を唱え始めた。


「慈悲と愛に満ちた女神イシュタルよ、どうかお力添えください」


「お導きください。この身をささげ、女神の御心に適いますよう生きんと願います」


「平和と豊穣ほうじょうが永きにわたり約束されますように」


 祈りの言葉は次第に熱を帯び、神殿内に響き渡った。離れた場所で祈りを見守るラビアも、ナブリアたちと心を一つにして祈りをささげている。


 祈りの時間が終わると、ナブリアは深く息をつく。不思議な高揚感に包まれていた。


 祭壇から離れると、ラビアが小走りでナブリアのもとへ駆け寄ってきた。


「ナブリア、お祈りはどうだった?」


 ラビアは期待に満ちた表情でナブリアを見つめる。


「心が晴れたような気分よ。イシュタルの御心に適うよう、これからも頑張ろうって思えたの」


「よかった! 私も祈ったのよ。ナブリアが使命を全うできますように、ってね」


 ラビアの言葉に、ナブリアは胸が熱くなるのを感じた。自分のことを想ってくれる友の存在に、改めて感謝の念がこみ上げてくる。


「ラビア……ありがとう。あなたが一緒に祈ってくれたおかげで、イシュタルはきっと私たちの想いを聞き届けてくださったでしょう」


「そうだといいわね。どんなことがあっても、私はずっとナブリアの味方だから」


 ラビアはナブリアの手を握りしめた。ナブリアは友の手の暖かさに笑顔を深め、強く握り返した。

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