第三話 ウルクへの帰り道

 ナブリアは目を疑った。先ほどまで暴れ狂っていた大蛇の姿が、まるで霧だったかのように消えていくのだ。やがてその巨躯きょくは完全に消失し、ただ草が生い茂るだけの場所が残された。


 呆然ぼうぜんと立ち尽くすナブリアとラビアの前に、筋骨隆々とした体格の青年が現れた。


「突然の事態に驚かれたことでしょう。私はウバル、衛兵団第二分隊の隊長を務めております」


 ウバルと名乗るその男は、堂々とした物腰で自己紹介すると、大蛇が倒れた場所を指さした。


「かの大蛇は紛れもなく魔物の類でしょう。これまでウルクとその周辺では、こうした魔物の目撃例は皆無に等しかったのですが……」


「ナブリア様、ラビア様。これより街への護衛を拝命します」


 ウバルに促され、あしの群生を抜けていくと、景色が開けてきた。


 目の前には、日に焼けて淡い茶色に変色した、踏み固められた土の街道が真っすぐに伸びていた。


 ナブリアが街道へ足を踏み出すと、乾いた土の感触が伝わってきた。歩くたびに細かな土ぼこりが舞い上がる。道の脇には鮮やかな緑の草が生い茂り、時折吹く風にそよそよと揺れている。


 ナブリアは道を進みながら、周囲の景色へ目を向けた。道の両側には、日差しを浴びて輝くナツメヤシの木々が見渡す限り続いている。


 ナツメヤシの木々の間には、りんごやいちじくなどの果樹園が点在している。そこかしこで、真っ白い花を咲かせた果樹が、甘い香りを辺りに放っている。中には、もう実をつけ始めた木々もあり、つやつやと輝く実が枝を飾っている。ラビアが果実への想いをはせて目を輝かせると、ナブリアも柔らかな笑みを浮かべずにはいられなかった。


 果樹園には、ユーフラテス川から引かれた用水路が巡らされ、豊かな水が大地を潤している。麦畑が、黄金色に波打っているのが遠くに見える。


 足を前へと運ぶにつれ、道の先にそびえるウルクの街が少しずつ近づいてくる。遠くにぼんやりとしか見えなかった城壁の輪郭が、次第にくっきりと形を現してくる。日差しに照らされたレンガの一枚一枚が、鮮やかな色合いを放っていた。


 幾重もの日干しレンガを丹念に積み上げてできたその壁は、この街が誇る堅固な守りの象徴だ。その高さは人の背丈の十倍はあるだろう。


 近くまでやってくると、城壁の上を歩き回る衛兵たちの姿が目に入ってきた。長いやりを構えている者もいれば、大きな盾を手にした者もいる。身にまとう青銅のよろいは、太陽に照らされてギラギラとまぶしい光を放っていた。


 見上げると、城壁のてっぺんに掲げられた旗がはためいているのが見えた。ウルクの旗印が大きくあしらわれたその旗は、力強く青い空へと向かって伸びているようだった。


 亜麻布の生成りを基調とした旗の中央には、茶色の円が配されている。その円の中に、くさび形文字で「ウルク」と刻まれていた。


 円の周囲には、小麦の穂と、葦の葉が、黄金と緑のコントラストをなして描かれている。そして旗の縁は濃い茶色の飾り縁で囲われ、階段状の模様が織り込まれていた。


 城壁の中央には、堂々としたたたずまいの城門が設けられていた。厚い木材で作られた重厚な扉は、青銅の飾り金具できらびやかに装飾されている。扉の前には、衛兵たちが立っていた。


 衛兵たちの視線がナブリアたちに注がれる。彼らは、手に持った槍の構えを引き締めながら、油断のない面持ちで見据えていた。


 先頭に立つウバルが、衛兵たちに歩み寄った。


「門を開けよ!」


 ウバルの号令に、城門の上で身を乗り出した衛兵が応じた。


「了解! ただいま門を開きます!」


 しばらくすると、きしむ音を立てる中、城門がゆっくりと開いていく。


「ナブリア様、ラビア様。ここでお別れとなります」


 ウバルは、たくましい腕を組みながら言った。


 ナブリアは彼に歩み寄ると、しっかりと目を見てこう告げた。


「ウバル隊長、あなたの勇気と忠義に感謝します。どうかご無事で」


 ウバルは感銘したように目を閉じ、胸に手を当てた。そしてくるりときびすを返し、街道に戻っていった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る