8.魔女の縁~あなたを愛する女としては誠に遺憾だが、どうか縁がなくてもその愛を信じさせて~
8-1.師の兄嫁来る
泣いている。声も上げず、俯いて、涙を零し続けている。
(ミモザ……)
サクラの腕に。そして無数の糸に抱かれる師が。
幼子のように、嫌がるように首を小さく振りながら。
サクラの左手を握り締め。その小指に、額を擦り付けるようにして。
失われた赤い糸を想い、涙している。
「私は。いや。でした。この。結末を。迎えたくは。なかった」
ミモザが零す言葉は。サクラの歩んできた道の、否定。
彼女が導いたはずの結末の、拒絶。
「ミモザ、どうして……」
もう赤い糸はない。
想いは、伝わらない。
「私は――――」
ミモザは。
そして、サクラは。
◇ ◇ ◇
その日。師は早朝に屋敷を出て、留守にしていた。
さて窓でも拭くかと意気込んでいたサクラは……急な来客の応対をすることとなった。
「よろしければ、お召し上がりください」
皿とカップを、客の前に出す。
そうしてサクラは自分もまた、テーブルの反対側に回り、椅子に腰を下ろした。
「ありがとう。サクラ、でよかったかしら?」
「はい。リプテル様」
訪れたのは、サクラの師・ミモザの兄の……嫁。
ギンヨゥ子爵夫人リプテル・カスケード。
サクラが彼女と会うのは、以前アカシア伯爵本邸に呼び出されて以来、二度目である。
「いい香りね。良い葉を使っている」
「はい。方々にご縁があるせいか、良いものを贈っていただくことが多くて」
「ふふ。優雅な生活。なのに領地領民の面倒を見る必要もない。魔女の暮らし。憧れるわ」
(そんなことを申されましても! き、気まずい……!)
サクラは、訪問の目的も見えない初めて話す相手に、かなり緊張していた。
(けど相手はミモザのお義姉様! ここは良好な関係を……今私、嫌み言われなかった?)
「ああ、ごめんなさい。かつて自分が望んで、手に入らなかったものだから、そう思うだけなの。
あなたたちに他意はないわ」
リプテルはサクラを見て言葉をつけたし……そして、左手でカップを持った。
「いえ。こちらこそ、失礼いたしました」
顔に出ていたかと、サクラは軽く頭を下げる。
その視線が、リプテルの手元に吸い寄せられた。
リプテルはカップの中身を、香りを楽しみながら味わっている。
彼女の小指から、下がるのは。
(赤い〝縁の糸〟……)
人と人の縁を示す不可視の魔力線〝縁の糸〟。
〝ブロッサムの魔女〟のみが見えるものではあるが。
縁が集約し、ある特定個人との縁のみが強まった証である赤い〝縁の糸〟は事情が違った。
サクラはそっと、膝においた自身の左手に、視線を落とす。
その小指に結び付いた糸は……ミモザとの間に結ばれた、赤い糸。
(やっぱり、赤い糸の持ち主は、他の赤い糸が普通に見えるのね。
向こうからも、私たちのことは見えているはず)
サクラが以前会った、ペント東方辺境伯のスネイルと、その妻ティーネの間にも、赤い糸が結ばれていた。
リプテルの赤い糸の先は、彼女の夫。ギンヨゥ子爵ローダンだった。
(そして先のお言葉。望んだけど手に入らなかった、ということは。ひょっとして)
「リプテル様。お聞きしたいことがあるのですが」
「いいわよ。どうぞ」
意外に軽く許され、拍子抜けしたものの、サクラは丁寧に言葉を紡いだ。
「はい。ミモザの姉弟子というのは、ひょっとして」
「ああ……やっぱりあの子、話してないのね。私で合ってるわよ」
(ミモザは何も話してくれない。私はもう慣れました)
半笑いをぐっと抑え込んで、サクラはにこやかに笑みを浮かべる。
師・ミモザに姉弟子がいると点は、話の流れで聞いていた。名前も、また。
よもや、彼女の兄の嫁がそうだとは思わなかったが。
「でも、その。ローダン様とのご縁を、選ばれた、と」
「ええ。最初は戻そうとも、したんだけどね。ミモザや師にも言われて。
でも……できなかったわ」
サクラは。同じように赤い糸のままとすることを選んだ、スネイル・ティーネ夫妻を思い出す。
彼らは互いを想い合い、その幸福を何よりも望み、最期に魔物にまでなって……子を遺し、死んだ。
二人の望みを、叶え切って。サクラたちに、未来を託して逝った。
その邂逅の折、ミモザが言っていた。縁を戻そうとしたが、最後にティーネがそれを拒絶した、と。
赤い糸のままとし、二人で生きていくことを選択した、と。
サクラはどうしても――――その選択の理由が、わからなかった。
「その。できない、というのは」
つい、胸から上った言葉を、サクラはそのまま口から零した。
カップを置いたリプテルが目を見開き、ついで眉根を寄せ、サクラを見る。
「そんなに濃い縁を結んでいるなら、あなたもわかるでしょう?
この糸は、相手の想いを伝えてくれる。愛を、報せてくれる。
当然に……糸がなくなれば、想いは伝わらなくなるわ」
「はぁ。でも別に愛が減ったり無くなったりは、しないではないですか」
すらりと答えたサクラに、また驚愕の視線が向く。
サクラは僅かに小首を傾げながら、リプテルから視線を外し、考えながら言葉をさらに紡いだ。
「切れたのなら別ですが。私は、糸が赤くなる以前からの、ミモザが私にしてくれたことを全部覚えています。
その心づくしを、丁寧な導きを、何一つ忘れていません。
糸が赤かろうと、他の色だろうと、それが無くなることは決してない。
赤い糸になってからの思い出も、もちろんですし。
それに」
サクラは少しだけ瞠目し。瞼の裏に……かつて予知した、未来を見た。
それは、ミモザの笑顔。幸福と愛に満ち溢れた、サクラと結ばれた彼女の姿。
サクラの魂の寄る辺。
「私は、ミモザとの未来を見ました。
ただ魔女の技の見せる未来ですから……変わることも、失われることもあります。
若輩ながらも、私は。一人の魔女として」
サクラは左手を、掲げて見せる。
その小指から出る赤い糸は、魔力の光がまったくなく、ただの糸のようであった。
対してリプテルの小指にあるそれは、仄かに赤い魔力の輝きを発している。
これは揺れ。信頼の揺れの差が、光となって表れているのである。
「ミモザとの未来を、決して諦めません。必ず、紡ぎ出して見せます」
決然とした、サクラの回答を聞き。
果たして、魔女の先達は。
「ぷっ」
噴いて、それから盛大に笑い出した。
肩を震わせ、おなかを抱えて笑い続けている。
(笑いすぎでしょ……。なんこれ。どうしたらいいの私)
あまりに続くので、サクラはお茶を一口飲んで、望洋とした視線をリプテルに向けて待った。
「あー……面白い。最高。来た甲斐があったわ。ごめんなさいね? ちゃんとネタはばらすから」
「はぁ」
サクラが気のない返事をすると、リプテルはもうひとしきり笑ってから、深く息をし、茶を一口飲んだ。
「ふぅ。悪かったわね。単刀直入に言うと、ミモザに頼まれたのよ」
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