7-9.未だ赤き縁は切れず

 王都を一瞬にして覆った、エランのタウンロアーは崩壊した。


 それはどこへともなく消え、二度と現れることはなかった。


 王都の人々は一時魂だけを抜き取られていたらしく、タウンロアーの崩壊とともに皆、息を吹き返した。


 最初の犠牲者・王弟スタールもまた、意識を取り戻している。


 事情を調べた王妹レン曰く、スタールはエランに、実験的に魂を抜かれたのではなかろうか、とのこと。


 そのレンの導きにより、エランに囚われていた亡霊たちは、すべてが死出の旅路へと向かった。


 その魂の中に――――エランだけが、いなかったという。



 それから。


 革命軍の少年、ドラール。


 エランを殺した、彼は。


 再び、行方をくらませた。





「どうです? サクラ」


「いやめっちゃきもちい……なんでこんなにうまいの、ミモザ」



 王城に一室を与えられ、二人はただひたすらに持て成された。


 仕事するでもなく飲み食いし、落ち着かない気分にされた後。


 身綺麗にされて……二人、同じ寝室に押し込まれた。


 そして何か話の流れで。サクラはミモザに、背中をマッサージされていた。


 事件を見事解決した弟子をねぎらうとかなんとか、そんな話だったような気がする。


 サクラは師のあまりの妙技にリラックスしきっており、だいぶ頭が緩んでいて細かいことが思い出せない。



「ん。まずはこのくらいで。揉み過ぎると痛みますし。

 しかし」



 ミモザがそっと、サクラの肩甲骨の間あたりを撫でる。



「なんでまた見えなくなってしまったんです? 〝縁の糸〟」


「……これが戻ったからじゃないですかねぇ」



 サクラは左手小指を差し出して見せた。


 エランに連れ去られた後、一度は色の抜けたはずの糸は。


 また赤く、まるで本物の糸のような質感を見せていた。



「……どうして戻してしまったんですか」


「んんー? ミモザがあんまりにもかっこよかったからじゃないですかねぇ?

 王子様なんて、目じゃなかったよぉ?」



 サクラは糸が赤く染まった瞬間を思い出し、顔がだらしなくにやけるのを止められなくなっていた。



「……魔女として、そこは冷静であってほしかったですね」


「ミモザは。これがあるのは、嫌なの?」



 サクラは少し意地の悪い聞き方をした。


 縁は相互。糸が赤くなるのは……サクラだけに原因があるわけでは、ない。



「…………嫌ではないから、ダメだと言っているのです」



 拗ねてそっぽを向かれたのを感じ。



「ねぇ、ミモザ」



 サクラはごろりと寝返りを打って、仰向けになった。


 だらしなく、無防備な己を晒す。


 ミモザの目の端が、自分を向いて……離れなくなったのを見て。



「私のこと――――」



 サクラは。



「……………………これ、また今度にしよっか」



 左手小指から、怯えのような揺れを感じ。


 言葉を飲み込んだ。


 赤い糸が、重ねられる。ミモザの左手が、サクラの左手を握り込んだ。



「はい。今度、必ず」



 黄金の瞳が、強く決意を秘めた目でサクラを見る。


 そして糸が……とても強い想いを伝えてくる。


 思った以上の反応に、サクラはまた顔がにやつき始めた。



「……でもその反応は嫌です。気に食わない」


「はっきり言うねぇ。ごめんて。嬉しいんだよ」


「わかっていますとも。……一緒に喜べないのが、悔しいのです」



 サクラは嬉しさが限界を迎え、寝返りを打ってうつ伏せになり、布団に顔を擦り付けて悶えだした。



「……なるほど。こういう反応は、楽しいですね」



 再び左手が、重ねられる。その「楽しい」という感情が、サクラにもふわりと伝わる。


 サクラはそれが心地よくて。少し目を閉じ。



「そういえば冷静にとは言うけど……ミモザも最近、ずいぶん感情を見せてくれる、わね?」



 ここしばらくを振り返って、そんな言葉が出た。



「…………」



 押し黙った上に、手を離された。サクラが顔を横に向けて上を見ると、視線も逸らされた。



「どうした先生。ブロッサムの魔女は、優雅を是とするんでしょー?」


「…………魔女同士での間なら、特に問題ないでしょう」


「いや私、他の魔女の方と会ったらこんな砕けないわよ? その理屈はどうなの」


「ふぐ。意地の悪い聞き方をしますね、サクラ」



 サクラは横を向き、ミモザの左手をとる。逃がさないように、両の手で包み込んだ。



「あなたも少しずつ変わっているみたいで、それが嬉しくてつい。ごめんて。

 今回のことを振り返ろうと思ったら、なーんも出てこなかったからさ」


「何もって……いろいろあったではないですか。

 あなたに限っても、占いもできて、因縁を断ち切って。

 縁も……一度は戻って」



 褒められたものの、サクラは弱く首を振った。


 サクラとしては、できることをやっただけ……という印象なのだ。


 オプテス枢機卿との語らいは得るものがあったが。


 エランたちとの関係を、きちんと清算できたのも大きいが。


 サクラにとって一番大事なのは。



(今回のことは、ミモザのためにはならないしなぁ)



 それがミモザとの関係に、役立つかどうか、である。


 彼女に信頼を寄せ、対等であろうとし、知り、幸福を理解し、分かち合うことをこれまで学んできた。


 今回はそれの結実を、確認したようなもの……というのがサクラの理解だった。



「縁、ねぇ。戻るんだってわかったから、焦ることはなさそう。それは収穫かな?

 その代わり、後何が必要なのか、ちょっと考えないといけないけど。

 ――――ミモザ?」



 手の中の赤い糸が、また震えたような気がして。サクラは顔をミモザの方に向ける。


 視線は合わない。黄金の瞳は、垂れ下がる黄金の髪に隠されていた。



「ん。そう、ですね。まずは、形から」


「はい? 形?」


「…………何でもありません。できるだけ早く済ませたいですし、落ち着いたら王都を発ちましょう」


「はい先生? おごっ、だめそこ撫でられるときもちい寝ちゃう……」



 滝のように流れる、滑らかな黄金の向こうに。


 楽しげに笑う口元と。


 寂しげに細められる目元が、見えた気がして。


 サクラは急速に与えられる癒しに、瞼が降りるのを止められなくなった。



「おやすみなさい、サクラ。またあした」


「んぅ、おやすみ、なさい」





 彼女はその因縁から一度は目を逸らし、師の手によって悪意を払ってもらった。


 だが彼女は奮い立ち、自らその悪縁を、乗り越えたのだ。


 多くの人の助けを借りようとも。それは間違いなく、魔女サクラ・ブロッサムの力であった。


 穏やかに眠りにつく弟子の背を。


 師の手が柔らかく、いつまでも撫でていた。

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