6-4.大師たる蛇の選択
「妊娠すると大変だと言いますし。何か、夫人といさかいがあったのでしょうか……」
伯爵の赤い糸が、揺れている原因。それに出産が絡む、というのはサクラとしてもミモザと同意見だ。
だが、考え方は違った。
「違うわよミモザ。たぶん
「かわ……もしかして、生まれてくる赤子に、ですか?」
サクラは確信をもって頷く。
もう一組の赤い糸の持ち主たちが、ヒントをくれていた。
「そ。ミモザのお兄さんたち、いい年みたいだけど子どもは」
「ぁ。そういえば作らないと言っていました。父たちもなぜか納得している様子で。
そういう、ことだったのですね……」
ミモザの兄は、子爵位を授かっている。いずれは、アカシア伯爵も継ぐはずである。
だが子どもがいない。しかしそれが許されている。
赤い〝縁の糸〟は、特定の誰かとの強い信頼関係を示している。
そしてその信頼が損なわれると糸が切れ……死を迎えるという。
(もしも自分たち以上に、信じなければならない対象ができたら。
信頼する一番が、変わってしまったら。
この糸は当然に、一度切れるはず。
これが単純に別の人との繋ぎ直しなら、まだしも。
赤ちゃんって、人を信じるとかしないでしょ。できるわけがない。
つまり、親は子を信じるけど、子は信じないから縁が結ばれず……縁がない状態となる。
結果、赤い糸の持ち主は、死ぬ)
その危険性が考えられるから、ミモザの兄夫婦は子どもを作る選択をしておらず。
それを理解しているから、伯爵たちも無理にとは言わない。
次々代の前に、次代がいなくなっては元も子もあるまい。
(あれ? けど)
サクラは気になったことが思い浮かび、そのまま口に上らせた。
「そういえばこういう事例って、魔女の資産には載ってないの?」
「いえ、ありませんでした。ひょっとすると兄たちのように、子どもを作らないという選択をする方が多いのでは。
赤い糸が出ている以上、大事なのはまずお互いですから。
それが当然で……事例そのものや考察が、存在しないのかもしれません」
「ん? じゃあなんで、伯爵たちは出産に踏み切ろうとしてるの?
死んじゃうって、わかんないのかな」
「いえ、そんなことは……互いの信頼を損なうと糸が切れ、死んでしまうとは昔説明しています。
不意の妊娠の場合、堕胎はできる。負担はかかりますが、大きくはありません。
いったい……いえ。続きは後にしましょうか」
話しながら、二人は屋敷の外壁近くまでやってきた。
(今の話は……ちょっと大事かも。覚えておこう。
互いの縁を乗り越えてでも、赤ちゃんを産もうとする理由、か)
考えながら壁を見上げるサクラを置いて、ミモザは壁伝いに門とは反対の方に歩いていく。
サクラも慌てて、師の背中を追いかけた。
「こちらの端は崖になっているのです。そこを伝って、中に入ることができます」
「……もしかしてミモザ、子どもの頃にそうやって侵入したり」
「はい。私、少々おてんばだったので」
ついてみれば、屋敷外壁の隣の地面には、深く広い裂け目ができて、崖になっていた。
崖には多少の足場が見えるため、壁の脇からそこに一度降りて奥に向かって登れば、壁の内側に入れそう……ではある。
(いやでも、落ちると普通に死ねる高さでしょ。ダメでしょ子どもミモザ。これはおてんばのレベルを超えて……)
「サクラ、行きますよー」
すでにミモザは足場に降りていた。
(なにー!?)
サクラも後を追いかけた。いくつかの出っ張りを手掛かり足掛かりにして、慎重に足場まで降りる。
サクラが辿り着くころにはすでにミモザは崖を登り切っていて、外壁の内側に出たようだった。
(降りるのは正直怖かったけど、登るのは楽ね……とっかかりがしっかりしてて、崩れる様子もない)
サクラもするすると登ると、最後はミモザが引っ張り上げてくれた。
「ティーネ様がいるのは、あちらの奥の……別棟でしょう。
庭から回って入れますから、行きましょうか」
「いくらミモザでも、ティーネはそっとしておいてほしいね」
――――出迎えたのは、ミモザだけではなかった。
夕焼けの中、その別棟のある方角から……蛇のような目をした男が、歩いてくる。
(なんでバレたの!? 魔法の結界とか警報、門のとこにしかなかったわよ……?)
サクラはミモザを見るが、彼女も予想外だったのかたじろいでいる。
「スネイル様、ティーネ様は危険な状態で……!」
ミモザは懸命に説得を試みようとするが。
「知っているとも。これは私たち夫婦が長年試み、辿り着いた結末だ。
君であっても、邪魔はさせない」
伯爵は問答を打ち切って、腰の鞘から剣を抜いた。
(長年試みて、辿り着いた……? ひょっとして、この夫婦)
サクラは、伯爵の言葉をもう少し考えていたかったが。
彼が細身の刃を構えるのを見て、前に出て腰の後ろの鞘から山刀二本を抜き放つ。
「こちらも余裕がない。命の保証はできかねる。
だが……強引にでも、お帰りいただこう」
ペント伯爵が、滑空するように地面を滑る。
あっという間に距離を詰められたサクラは、右の山刀を振るが、剣で弾かれた。
(速い! それに見た目よりずっと力が強い!)
身をかわし、回りながら左の山刀を横に振るうも、これは体をくねらせるように避けられた。
右の刀で突き込むも、これも剣で跳ね上げられて届かない。
サクラの体が僅かに流れ、隙ができる。
「ぐっ!?」
声が肺から吐き出された後に、サクラは蹴られたのだと気が付いた。
浮いて飛ばされる体に渾身の力を込めて回し、両の山刀を必死で地面に突き立てる。
刃が零れそうになりながらも、サクラの体は崖に至る前に止まった。
「サクラ! 【
ミモザが大地を踏み鳴らす。魔法の雷光が伯爵に迫った。
彼の剣を凍らせ、動きを封じられれば場はおさめられる。
だが。
「それは私が昔、教えた技だね? 【
伯爵が右足のつま先を上げ、降ろすと、大きく円を描くように雷光が走り、冷気に熱気が衝突した。
爆発するように、魔法の中心点から蒸気が広がり。
身を起こす途中だった、サクラは。
「ぁ」
体がふわりと浮くのを、感じた。
山刀からも、手が離れ。
足元に――――――――地面は、ない。
「サクラ!!」
ちょうど、西日が落ち。
闇の訪れと共に、サクラは意識が浮遊感に巻き込まれて身を離れていくのを、感じた。
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