6.赤い縁~愛される女としては誠に遺憾だが、妄執深き悲恋は最期まで見届けさせていただく~
6-1.東方辺境へ
狭い天を見上げたサクラは、袖口で雑に目元を拭いてから深く息をした。
泣いている場合ではない。自分がしっかりしなければ――――
「……ミモザ、がんばって。もう少し」
――――自分をかばって転落の衝撃を一手に引き受けたミモザが、助からないのだから。
顔に脂汗を浮かべ、もうろうとした様子のミモザの腹部に、サクラは両の手を添える。
魔力を練り上げて。
魔法のための〝
(イメージが、掴みづらい! これだから、回復魔法は……!)
魔法の発動に、失敗した。
対象及び、負傷や病気の状況によって千変万化するのが回復魔法に必要な「イメージ」なのだ。
症状の数だけ印や詠唱があるとすら言われ、難度が高い。
加えて繊細な魔力制御を要求されるので、元々魔力が大きなサクラは、非常に苦手としていた。
「――――っ、――――。」
「ミモザ、しっかり!」
意識のほとんどないミモザが呻きながら、左手を上げる。
サクラは彼女の手を、左手でとって握り締めた。
(どう、する)
時間はない。
(考えろ…………考えろサクラ! サクラ・ブロッサム!)
彼女たちの小指を結ぶ、赤が。
静かにその輝きを、失いつつあった。
◇ ◇ ◇
始まりは、それより幾日も前に遡る。
サクラが王都を満喫し、ミモザが仕事を終え、宝玉工場の稼働を無事見届けてから。
革命軍からは逃げ出したらしいドラールのことに、少々の不穏を覚えつつも。
二人は東方の屋敷……ではなく。アカシア伯爵本邸を訪れていた。
応接に迎え入れられた二人。サクラは、〝ブロッサムの魔女〟見習いとして、紹介を受けた。
だが。
「フンッ。やはり怪しげなことをしておった。薄汚い女を、魔女に仕立て上げただと?」
サクラとミモザが並んで座ったソファーの正面、部屋の奥に堂々と座っている男が、遠慮の欠片もなく悪態を吐く。
「その発言、外ではお控えくださいませ。お父さま。
黒髪黒目の人間を『薄汚い』と称するのは、品位のない人間だと揶揄されますので。
特に中央貴族のお歴々は、その色を『珍しい』と思っていらっしゃるので、恥をさらしますよ?」
ミモザが冷ややかな笑みと共に反論すると。
「酔狂な法衣貴族どもにおもねる気はない。無知をさらしているだけではないか」
アカシア伯爵はばっさりと切って、吐き捨てた。
そのまま、二人の応酬が続く。
「それを酔狂というなら、聖教団で洗礼を受けているお父さまもでしょう。
教団の掲げる聖人・序列一位の聖女様は黒髪黒目とされていますが?」
「無知を晒しおって馬鹿め。所説あり、この国では金髪碧眼が主流よ」
「明らかにセラサイト王権に寄った見解で、教団本部では異端審問にすらかけられているでしょう?」
「ぐむ。審理中だ。一信徒が見解を述べる段階にはない」
(相変わらず、遠慮なくやり合うわねこの親子……)
慣れたものなのかサクラはもちろん、他の親族たちも止める様子はない。
当主アンティモ・カスケードの隣に座るイデス夫人は、静かにお茶を飲んでいる。
向かって右のソファーにはミモザの兄・ギンヨゥ子爵ローダン・カスケード。隣は妻のリプテル。
二人は顔を引きつらせてはいるもの、静観の構えだ。
そして左。二人ともサクラの知己。一人は革命軍幹部のアラルド。もう一人、彼の隣に座っている女性は、トライラ。
彼女は――――
「そろそろ本題に入りたいのですが、ご当主様。東方辺境伯の一件は、一帯の貴族全体に関わります」
この度革命軍から派遣され、アカシア領、および東方全体の精査を行っている監査・調査隊のリーダーである。
「む。監査官殿の言う通りか。娘が恥をさらしたようで、申し訳ない」
(いや恥をハゲ散らかしてんのはあんたやで……?)
サクラは、ツッコミと半眼と半笑いが出そうになるのをぐっとこらえた。
一度そう思って見ると、伯爵とミモザのやりとりは、ある種の信頼関係にある二人が仲良く喧嘩してるだけにしか見えない。
ずっと見せられていると寸劇のようで、油断を誘う。
「いえ。では単刀直入に申し上げます。〝ブロッサムの魔女〟への依頼です。
東方辺境伯に調査を申し入れるのですが、あなたたちにも同行願いたいのです」
「ご意図が見えません。ご解説願いますか?」
「はい。事の次第としましては――――」
トライラが説明し、ミモザが頷きながら聞いている。
革命軍は新政府樹立に向け、各地方貴族と連携を強めている。
その最中、アカシア領に査察に来ていたトライラは、東方行政の実情を目の当たりにして、手を広げることにしたそうな。
結果は惨憺たるもので、どうも東方の領地経営は他と比べてずさんらしく、帳簿が出てくるところすらもほとんどないらしい。
アカシアはかろうじて記録がそろっていたが、これも根拠値が怪しいところがあり、今後中央から人を入れて指導を受けるとのこと。
そして東方で有数の貴族・ペント辺境伯スネイルのところは……連絡がとれないのだそうだ。
かの辺境伯はいわば東の顔役であり、ここを通すか通さないかで他の貴族たちとの連絡に大きく差が出る。
だが当の伯爵からは手紙に応答がないため、直接出向くしかないとなったとのこと。
とはいえ革命軍がいきなり訪れても問題があるため、アカシア伯爵の紹介で向かうことになったのだが。
「案内する適切な人員がおらん。私が直接向かうのは角が立つ。かといって他の者は面識がない。
ミモザ、スネイルとは知己であったな?」
「……………………はい」
(ん? なんでミモザ言い淀んだんだろう?)
父親の言葉を受けるミモザの表情は変わらない。
だがサクラには、ミモザが浮かない顔をしているように見えた。
「というわけで、ミモザ様にご同行いただきたいのです。
税収、ひいては統治にも影響が出ますので、中央政府としては早急にこの問題を解決したい意向です」
「なるほど。そちらからの直々のお話ということであれば、快く引き受けましょう。
大変世話になりましたので」
トライラの要請に、ミモザが応諾した。
(話の流れ的に、行って事務仕事なんかもするかな?
それなら私も、役に立てるかねぇ)
この間の王都では、専門的な話が多く、サクラではあまりミモザの役には立てなかった。
サクラは密かに息を吐き、気合いを入れる。
彼女の視線が、自身の左手小指からでる赤い輝きと。
右のソファーに座っているミモザの兄夫妻の小指を繋ぐ、同じ輝きの糸を捉えた。
(……赤い〝縁の糸〟。まさか、ミモザの親族に発現した人がいたなんて。
というか私、〝縁の糸〟は見えないけど、赤ければ他人のでも見えるのね)
人と人との縁を繋ぐ不可視の魔力線〝縁の糸〟。
赤いものは、互いが唯一の縁であるという、特別な糸である。
サクラとミモザも、この糸で結ばれている。
サクラは〝縁の糸〟を見る魔女の技を教わっているが、赤い糸が出てからはこれが見えなくなっていた。
(私は、ミモザの役に立ちたい。その信頼を深めたい。
それを果たすことがきっと、私に〝信じる心〟を取り戻させてくれる。
ひいては〝縁の糸〟の復帰、魔女の力を取り戻す道に繋がる)
サクラが赤い糸を発現させた原因は、ミモザ以外への他者への不信であると見られる。
彼女はその克服のため、これまで様々なことを学んできた。
ミモザに娼館巡りに連れ出された際は、コリネという少女が見せる「不信」を通じ、「信じる心」とは何かを学んだ。
信頼とは「対等であろうとする意思」だと気づいたサクラは、動く町の魔物タウンロアーに関わったとき、ミモザの友や父を通じ、「対等とはどんなことか」を知った。
対等であるためには「相手を知る」ことが大事だと理解したサクラは、王都で侯爵マリンやドラールと対峙し、「知るには考える必要がある」と胸に刻んだ。
そして今回。彼女は新たな局面を迎える。
サクラは初めて、赤い糸で結ばれている自分たち以外の組に出会った。
ミモザの兄ローダン・カスケードと妻のリプテルは、赤い糸で結ばれていた。
(すぐは難しいかもしれないけど、機会を見てお話させてもらおう)
彼らを知れば自身が信じる心を取り戻すための、大きなきっかけになるに違いない。サクラはそう期待した。
彼らもまた他の縁は「切れている」ということである。それでどう生きているのか。
お互い以外の他人を信用していない、ということでもある。それでどう他人と付き合っているのか。
きっと大きな学びがあるであろう。
(あとはそう。この糸が切れるかもという問題に、二人でどう向き合って――――あれ?)
サクラは、じっと見すぎないようにローダンとリプテルに視線を向け、内心小首をかしげる。
(この場合、赤い糸が切れたら亡くなるのは、どっちなんだろう?)
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます