2-6.我が愛弟子よ。どうか幸福に生きて。

 そして、深夜の書庫。


 気づいたら右手も強く握りしめていた、ミモザ。


 記憶の底から意識を戻した彼女は、両の手を開いた。


 右手の中では、今日のことが記されたメモがくしゃりと潰されていた。



「…………昨日から、私は失態続きですね」



 少し前の赤い糸発現時の反省から、ミモザは息と共に言葉を漏らす。


 ミモザは衝撃から混乱し、ついサクラに対して危険性から説明を始めてしまった。


 そのせいか、話の続きを聞くサクラはどこか上の空で。


 ミモザは彼女に早めに休むよう言い渡し、自らは書庫に引きこもった。


 彼女は左手小指を、改めて見て。



(魅入られそうな、赤い光。前に見た時も思いましたが……綺麗なものですね)



 再び、息を吐く。


 赤い〝縁の糸〟。ミモザとサクラの左手小指を結ぶ、魔力の赤い線。


 赤い糸に結ばれ者か、ブロッサムの魔女にしか見えない、不可視の糸である。



(サクラの故郷では、運命の赤い糸、というらしいですが。

 確かにこれも……そう呼んで然るべきもの、ではあるでしょうね)



 ミモザは弱く、首を振る。


 そして読んでいた書を閉じた。


 ブロッサムの魔女団カヴンが抱える、様々な資産。


 その一つである、叡智の数々を記した書物たち。


 そこに載っている赤い糸に関する記述を当たったが……ミモザに一切の記憶違いは、なかった。


 すなわち。


 赤い糸が発現する原因は不明で。


 それが切れたとき、当人は死亡する。



 ミモザは天井を、仰ぎ見る。


 選択を、せねばならない。


 なんとか方法を見つけ、サクラの〝縁の糸〟を取り戻し、彼女の身命を守るか。


 あるいは、赤い糸をそのままとし、彼女の愛を一身に受けるか。



(一人で考えても――――選べそうに、ありません)



「…………まだ起きてた」



 声がし、次いでミモザの背後から明かりが差した。


 ミモザが振り返ると、寝巻姿のサクラが明かりを持って扉の内側に立っていた。



「こんな時間まで、ノックに気づかないくらい集中してるなんて。そろそろ休みませんか? 先生」


「…………一応、資料は調べ切りました。あと一仕事したら休みます」



 ミモザは席を立ち、上着を脱ぎにかかる。


 そしてサクラの背後に回り、彼女に上着をかけ、背中を押した。



「かけてください、サクラ。話があります」



 考えはまとまっていないが、ミモザは己が選択すべき未来を、サクラと共に話したいと結論付けた。



「ん……ミモザはいいの? 寒くないの?」


「私は十分温まりました。あなたの方が寒そうです」



 ひんやりとするサクラの肩を抱くようにし、ミモザは彼女を椅子に座らせた。


 改めてちゃんと上着を羽織らせ、自分はサイドテーブルへ。


 用意してあるお茶のセットから、手早く準備を始める。


 お湯については加工魔石を利用した湯沸かしポットがあるため、準備済みだ。


 西方にはよくある品だそうだが、東方の隅であるアカシア伯爵領では、まだあまり馴染みがない文明の品である。



「ミモザ。私……あなたのそばで死ねるなら、本望だよ」



 茶をカップに注ぐミモザの背中に、静かな声がかかる。


 ミモザの動きが、止まる。


 確かにサクラならばそう言うだろうと、ミモザは己の左手小指を見ながら納得する。


 だが。



「ゲーム気分で調子に乗って、全員攻略!って思ったらアレで。

 人間扱いされて生きてる今はもう、幸せ絶頂だよ。

 その上で、好きな人のそばにいられて、死ねるのなら」


「なら、ダメですね」



 続くサクラの発言に、ミモザは弱く首を振って応えた。


 カップを二つ持ってテーブルに戻りながら、彼女は続ける。



「それは赤くても、あくまで〝縁の糸〟ですよ。サクラ」


「あ。切れるってことは、縁がない……そうかぁ。そばで死ぬのは無理だねぇ」



 カップを両手で持つ弟子が、寂しそうに笑うのを見て。ミモザは少し、言葉に詰まる。


 だが、飲み込んでしまうには。その言葉はミモザにとって、とても大切で。


 とても重く、大きかった。


 それは選択のための……大切な、想い。


 苦心しつつも無理やり口の端から零すように、サクラに気持ちを投げかける。



「私は。あなたに死んでほしくはありません。もっと幸せに、なってほしい」



 静かにサクラの右隣に座りながら、ミモザは想いを言葉にして紡ぎ続けた。



「とはいえ、私も幸福などあまり知っている方ではありません。

 だから自分の知る、もっとも幸せを感じられるものを……あなたに教えたのです」



 サクラがカップをテーブルに置き、手をそっと握り込む。


 見えない糸の束を、優しく包み込むように。



「出会いは必ず幸福を紡いでくれる。それが我らブロッサムの信念です。

 一時の悪縁良縁ではなく、その先があるのだと信じています。

 私にとって、エランたちとの出会いは総じてみれば悪縁でした。

 ですが」



 ミモザは左手を掲げ、小指を立ててサクラに見せた。



「彼らはあなたとの出会いを、導いてくれました」


「ぁ」



 サクラもまた、左手を差し出し。


 小指だけを、絡める。


 魔法の糸が、二本の小指を赤く彩る。



「記録を紐解いても、赤い糸を発現した場合……もとに戻ったという例はありません。

 ですが私は」



 そこで一度切って。


 ミモザは。細い小指の伝える暖かさに、少しの勇気をもらって。



「あなたがまた縁を紡げるようになることを、望みます。

 力を貸してください、サクラ」



 迷いなく、選択を口にした。



「それは……私のセリフでしょう、ミモザ。

 うん。私も。先生の助けになりたくて、魔女になったんだもの。

 でも、どうすればいいの?」



 快く応諾してくれたサクラに、少しほっとしながら。


 ミモザは視線をそっと落とし、代わりに小指を握り込んだ。



「確かではありませんが……。

 事例を細かく読み込むと、赤い糸発現の兆候はつかめました。

 きっかけとなるのは、糸で結ばれた互い以外に対する、強い不信です」


「ふ、しん……」


「はい。縁とはそもそも、信じる心によって成り立つのです。これは良悪問わず同じです。

 ゆえに直接の知り合い以外と結ばれることはなく、信頼を裏切られると切れます。

 あなたが、私以外のすべてを信じられなくなったから、この糸は出ている。

 私はそう、解釈しています」



 サクラもまた、小指を握り込んだ。


 その力が、少し強い。



「それで合っているなら、他者への信じる心を取り戻すことで、〝縁の糸〟は戻るはず。

 〝縁の糸〟が戻れば、この糸から赤が抜けるでしょう。

 どうですか? サクラ。私の見解は……合って、いますか?」



 サクラは俯き、左手を開いた。


 ミモザがその手に指を絡め、握り込むと。


 サクラは雫のように、言葉を零した。



「しんじ、られないの。こわい……人が、こわい」


「……はい」


「なにしてくるか、わからないの。ひどいことされるんじゃないかって、体がふるえるの!」


「はい」


「ぜったい好かれてたはずなのに! あんな風に裏切られて! もう、何考えてるのか、わかんないの」


「ええ」


「でも、ミモザだけはわかる。あなたで頭がいっぱいになるくらい、わかる」


「そう」


「だから私、この糸が切れるのが、なくなるのが、死ぬよりもこわい……!」


「そうですね」


「わたし、がんばる。あなたに、きらわれたく、ない。それがミモザの望みなら、もういちど、人を信じられる、ように」


「はい」



 言葉ではなく、涙を零すサクラの頭を右手で抱き寄せて。


 ミモザは彼女の耳に、そっと囁いた。



「私は、強く望みます。あなたの生存と幸福を、他の何よりも」





 ミモザはその心の奥で、静かにもう一つの選択をした。


 愛されるだけに甘んじては、ならないのだと。


 強く、その胸に決意を刻み込んだ。

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