動かし難い人としての自覚――見える世界を彩るために

最後、白本英波が自身と向き合っても墨華が消えなかったことで、本当に安心しました。もし墨華が消えていたなら、作者は英波を、そしてこの物語を理解できていないことになったでしょう。この小説で描かれていることは、「多感な時期」だとか「モラトリアム」だとか、そういった言葉で安易に片付けられるものではなく、ある種の人間の人生全般です。英波の肌や眼の色が人と違って生まれたことと同じくらい、動かし難い人格なのです。英波がこのような人間になったのは、いじめを受けたからという理由に限定できるものではありません。
英波は自分の世界に生きる人であり、それは深夕の家の火事という、ニュースにもなったほどの出来事を本人から聞かされるまで知らなかったことを見ても明らかです。図らずも超然とした態度でいる英波は、とにかく解釈される人として物語に登場します。「優しすぎる」「哀しみに対する防波堤」「臆病」「敏感」「怠惰」「気取っている」など、あらゆる言葉を受け取って、英波は他者と、そして自分自身と対峙しています。
この小説で描かれたことを通して、英波は自身が他者の波に身を投じて解釈する側になるための修練を積んだのではないでしょうか。英波は「数奇」な巡り合いによって、出会った人が抱える物語を知ってゆきます。英波は見事なまでに他者でいて、仲介者の域をなかなか出ません。しかしおそらく、今後もこの態度でいることは難しいでしょう。いくら気遣いの人である英波といえど、冬木や七夜に接近しすぎました。この小説にはあえて描かれていない空白があり、それは未来のことです。
もしかすると語り手である英波は、この先のことを経験しているのかもしれません。物語の最後、舞台の背景を描いた男子について、「名前はこの際関係ないから伏せておく」と英波は語ります。この編集者的態度を見ると、物語冒頭で冬木が大事にしていた砂時計が落ちて割れた様を「白い花火」と形容していることを思い出します。「白い花火」を見た時点の英波は、砂時計の由来を知るはずがありません。小説で幾度か示されている「時系列が変」ということが最初から起きているのです。確かに墨華という存在が、これから重要になるものに直感を与えているのだと考えれば、素敵なことです。しかし、この物語を語る英波自身は既に解釈する人になっているのだと考えると、さらに興味深いです。