天使行
切売
天使行
僕だけに見える天使に会った。彼は疲れた感じに笑うお兄さん。歳は父さんより下で、僕よりずっと上。背も高い。でも、あんまり声は低くない。初めて会ったとき、彼は空を見ていて、僕は帰りたがっているのだと思った。だから、天使ということにした。
天使は手を繋がないと他の人に見えない。僕が触ると、部屋の電気がつくみたいにパッと世界に現れるらしい。近所のじいちゃんが言ってたし、そのときは適当に誤魔化した。
僕は天使と手を繋いで歩く。別に、他の人に見えるようにしなくていいかもしれないけれど、繋ぐ。そうした方が、良いと思う。周りの人は、いったい何を見ているのだろう。こんなにもここにいるのに、どうして分からないのか不思議だ。天使はここにいる。いないことになっているだけだ。僕は他の人にも天使を見て欲しかった。
僕たちは道路を歩き、決して互いの掌が離れないように注意したままコンビニに入る。そうして、お菓子の棚やマガジンラックについて調査する。見逃さないよう注意深く観察し、この前に来たときはなかったチョコレートの箱を取りあげる。
「冬なのに名前にサマーがついてる」
「サマーってなに?」
「夏。暑いやつ。辛いのかな」
「涼しくなる感じかも」
「今食べたら寒くない?」
「こたつでアイス的な」
「なるほど」
漫画や小説は、表紙と題名を貴重な手がかりにして内容を推理する。僕は時々、本物よりずっと面白い物語ができたと確信していた。僕たちにとっては本物よりも本物で、本物はきっと人の数だけたくさんあるはずだった。
困ったのは大人になってから。僕は歳をとるが、天使は違う。いつまでも眉のあたりが困っているお兄さんだった。そのせいで、僕は天使と手を繋ぐことが難しくなってしまった。子どもと大人ではおかしくないけれど、大人同士だと変になってしまう。大勢から向けられる、粘着剤みたいにべたべたとくっつく視線が嫌だった。
それとはまた別に困ったこともある。僕は歳をとって、まるでいないように扱われることが次第に増えた。僕が話したあとだけ静かになる。僕だけ飛ばして物事が進められる。ここにいるのに、僕の存在が他人の目を通して失われる。天使なんてものが見えているからだろうか。それとも、僕自身も天使になりつつあるのか。いや、馬鹿げている。僕は人間だ。誰の目にも見える。ここにいるのに、いないことにされていると、感じているだけなのだった。
感じている。僕が、天使がいると感じているだけ? 現実逃避。なぜかぼんやりとよぎる言葉。僕たちは逃避行をしていた。最寄りのコンビニに。通学路の側溝沿いに。
僕は天使の顔を見つめる。ずっと見上げてきた顔は、もうほとんど同じ高さにある。揺らめく瞳。天使は僕を見つめ返す。お兄さんでなくなった、学生時代の同級生だと紹介してもおかしくない姿。風に吹かれて木の葉のように前髪や服の端が揺れる。子どもの頃から思いこんでいただけで、もしかしたら天使じゃないのかもなあ、と思う。
人とは違うものを見ている。見るのをやめたら、僕は見てもらえるのかもしれない。繋いだ手が緩む。指が一本ずつ、剥がれていく。人差し指、中指、薬指。僕と天使のあいだに隙間ができていく。
人の目を通すと僕はいない。天使もいない。誰かに見てもらわないと生きていけない。誰にも見てもらえなくても生きていけるほど、僕は強くない。ずっとひとりは嫌だ。誰かには見ていて欲しいし。でも、人に見られていない自分も自分だし、かすかに触れる残り物の小指は力強くて温かい。
人の目はスポットライト。僕は、その光のなかに出たり入ったりを繰り返している。時折、透明人間になりながら生きてたい。水面から息継ぎに、ひょっこり顔を出す生き物みたいに。気持ち悪がられたり、かわいがられたりしながら。
天使行 切売 @kirikiriuri
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