エピローグ

エピローグ

 あれからあっという間に時が流れた。嵯峨市長が亡くなってから5年経つも、僕はあの時から何も変わっていない気がする。未だに市長の最期の呼吸を覚えている。「ごめんね」と誰に呟いたかもわからない最期の言葉が耳に呼応する。その記憶と共にただぼうっとしたまま時が過ぎ、周囲のものだけがただ前に進んで、僕はずっと立ち止まったままだ。「光陰矢の如し」と独り言つ。そしてテレビをつけた。画面には加見野市の地方番組が流れ、加見野市での出来事を伝えている。

 市長に頼まれたように、あれから毎日この番組を見て加見野市の動向を見ている。市長が突然死したと報道された時には、加見野市中が驚きと悲壮で溢れた。暫く市長の死を嘆く市民の様子がテレビに移された。また市民は今後の加見野市の行く末をひどく心配していた。「嵯峨市長なくして加見野市は成り立たない!」とテレビ局のリポーターに泣きついた市民もいた。

 しかし、時が経つとあっさりと次期市長選が開催され、次の市長が決まった。それから加見野市は落ち着き、大きな変化もなく人々は元の生活に戻った。僕はその流れをただただぼうっと眺めていた。今加見野市に生きる人の幸せが画面からわかるわけもなく、それでも何もせずにはいられず、ただ毎日テレビをつけることが日課になった。


 少しずつ体がいうことを聞かなくなってきた。元来体が強い方ではなく、年齢を重ねるごとにそれを体で感じない日は減っていった。一人で御先の仕事を続けることに不安を感じるようになった。子供はいない。親戚は金に目が眩んだ人ばかりだ。とてもこの仕事を任せられない。バイトでも雇おうかとぼんやり考えていると本がトクンと鼓動する。

「望も賛成しているのかい?」僕は本を撫でながら言う。

 本は再度鼓動する。

「そうしようか」と僕は答えた。


 御先になる人間は誰でも言い訳ではない。望に選ばれた人でなければいけない。僕の前任者は僕の祖父だった。家系図から辿って自動的に御先になれると信じて疑わなかった僕の父は、望が父ではなく僕を選んだために激昂し家を出ていった。僕はまだ若く、祖父が理由を伏せていた為に僕は父が家を出ていった理由を暫くの間知らなかった。やがて祖父から御先の仕事を教わるようになり、祖父が亡くなった時に僕は家督と御先の仕事を継いだ。

 家族の中で選ぶのならそこまで苦労はしないが、あいにく僕には御先の仕事を継がせる家族はいない。

 僕は本の最後のページを破った。そこに「バイト募集」の文字と僕の名前、事務所の住所、電話番号を書き留めた。その紙を持って僕はふらりと外に出た。貼る場所は望が示してくれる。

 ただぼうっと歩いているとやがて大学に着いた。公立大学でこの辺りでは一番大きな規模と生徒数を誇っている。大学の建物の中に入り、学生食堂の入り口を見つけ、中に入る。傷があちこちに見える古いテーブルと椅子が雑に並び、奥の厨房では調理員たちが忙しなく動き回っている。様々な料理の匂いと煙が立ち込めるそこに私は足を踏み入れた。まだ11時で食事を取る学生はほとんどいない。厨房の密集率とは打って変わり食堂はがらんとしている。

 ふと左側を見ると奥の方に大きなボードがあった。近づいてみると、そこにはサークルの勧誘や学生アパートのチラシなどが乱雑に貼られていた。

 ここにしようと思った。そして「バイト募集」の文字が書かれた紙は同意するようにトクンと鼓動する。僕はそのボードの隅に募集の紙を貼り付けた。

多くの人にはここに何が書いてあるかわからないだろう。しかし、望に選ばれた人にはわかるはずだ。後は誰かが来るまで待っていればいい。僕はそのまま踵を返し大学を後にした。


 2か月ほど音沙汰はなかった。こんなものかと思っていると、突然携帯が鳴った。知らない番号からの電話に僕はすぐに出た。

「あの、大学の学生食堂に貼られていたバイト募集の紙を見ました」

 声が少しだけ高く、緊張しているように一つひとつ言葉を繋ぐ子だった。

「見てくれたんだね。ありがとう。直接会って話をしたいんだが、今度の土曜日は空いているかな?」

 その子と面接の約束を取り付け、電話を切る。本を撫で「望が連れてきてくれたんだね」と話しかける。本はトクンと鼓動する。


 面接に来た男の子は境将さかいまさると名乗った。顔にまだ幼さが残る少年は緊張気味にソファに座っている。自分と同じ漢字を使った名前に少しだけ親近感を持つ。

 仕事内容と給料を説明すると、彼は訝し気な表情を見せる。しかし最終的には同意した。

「そういえば、君の出身はどこなの?」僕は何気なく聞いた。

「加見野市です」彼はさらりと答える。

 僕のコーヒーを飲む手が止まった。「ちなみにどこの高校出身なのかな?」僕は平静を装い聞いた。

「北高校です」と彼はまた答える。

 それは紛れもなく、嵯峨市長が机と椅子を贈呈した高校だった。僕は「そうか」とだけ答え、それ以降言葉を繋げられずにいた。

 加見野市出身、北高校卒業。檻の中にいる子だ。彼は大学時代という仮釈放期間に外の世界を堪能する。そしてその期間を終えた頃に加見野市という名の檻の中に戻る。それがすでに決まっていることだと知らずに。少なくとも彼は不幸ではなさそうだ。僕は少しだけ安堵する。

 そしてふと思い出した。市長は僕に加見野市の行く末を見届けてほしいと頼んだ。加見野市に住む人が幸せかどうかを確認してほしいと。そういえば市長と飲んだ時、知らない間に市長は支払いを済ませていた。あの時に使われた金は、もしかして。

 まさかこんな形で加見野市の行く末を見ることになるとは。僕は軽く頭を抱えた。結局僕も檻の中にいるのだ。望という無垢な神様が創った檻の中に。無邪気な神が編み出す運命の中に私達は飲み込まれる。

 嵯峨市長に反対していた僕は結局檻の中でもがいていたに過ぎない。市長から見ればまだまだ青くて滑稽だっただろう。そしてこれからも僕は檻の中に居続けるだろう。でもその中でこの子の幸せを見ることができたなら、僕はその時この檻の中にいるのも悪くないと思えるかもしれない。

 黙ったままでいる僕を幼顔の少年は訝し気に見つめる。

「悪いね、黙ってしまって。友人が同じ高校出身だったもので少しだけ思い出に耽ってしまった」適当に嘘をつき場を凌ぐ。

 彼は沈黙が途切れたことに安堵したように少しだけ笑顔を見せる。僕は握手を求めるため手を伸ばした。

「これからよろしく頼むよ。境くん」

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あなたの人生を買います 鈴美 @kasshaaan

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