姉の遺体を最初に発見したのは母だった。姉を起こすため部屋を開けると天井から姉の身体がぶら下がり、畳には姉の足から垂れた液体が溜まっていた。

 姉が亡くなってからはすべてが嵐のように過ぎた。結婚式は中止となり、相手方の家族にその旨を説明をした。「申し訳ありません」と相手の男に何度も頭を下げる母を私は心から軽蔑した。死んだのは姉の方なのに、なぜこちらが謝らなければいけないのか。

 父は「せっかくの縁談が」とぼやいていた。姉の死よりも縁談の失敗を嘆くその姿に私はもう我慢ならなかった。

「父さんと母さんが姉さんを殺したんだ!」

「一体何を言っているんだ、成浩」父は私の形相に驚く。

「そうよ。殺したなんて人聞きの悪い。あれは自殺じゃない」母が動揺しながら言う。

「そうだ。自殺だ。私達は何もやっていない」父はあっけからんと話す。

「何もやってないだって? 姉さんをあそこまで追い詰めたのは父さんたちだろう!」

「恵子は大学でいじめに遭ったんだ。追い詰めたのは大学の人達じゃないのか?」

「そうだ。あいつらがいじめた。でも医者にならない限り実家の敷居を跨ぐなと言ったのは父さんたちだ。あの条件のせいで姉さんは頼る先を失くしたんだ!」

「恵子が言うことを聞かなかったからだ。俺は女に医学は無理だと警告したはずだ。あれが俺の言うことを聞いていればこうはならなかった」

「姉さんがうまくいかなかったのは医学のせいじゃない。他の学生たちのせいだ! 父さんみたいに女の進学をよしとしない人達が姉さんを退学に追い込んだんだ」

「女は進学よりも結婚して子供を産むべきなの。それが女の役割なのよ?」母が言う。

「母さんに夢はなかったの? 結婚する以外にやりたことはなかったの?」

「確かに子供の頃は色々夢見てたわよ。でもね、社会には男には男の、女には女の役割があるの」

「夢も全部捨てて家に入るのが女の役割だって言うの?」

「そうよ。そして子供を産んで、男の人の面倒を見るの。それが女の幸せよ」

「だから姉さんには教育が必要ないって? あんなに賢い人だったのに。結婚以外にももっと多くの可能性があったはずだ!」

「そうやって独り身のまま死んでいくのか? 女が社会で男に張り合えるわけないだろう。どうせうまくやっていけないまま辞めていたさ。年を取れば嫁の貰い手だっていなくなる。子供だって産めなくなる。気づいた時にはもう遅いんだ」父は凄む。

「ちゃんと支援していればそうならなかったさ。父さんたちが姉さんの逃げ道を失くしたんだ」

「あいつに教育の支援をして一体何になる? 女の身でどの道うまくいかないし、結婚するだけなのに高い金をかけるだけ無駄だ! お前に金をかけたのは教育を受けてきちんと仕事を貰ってこの家を継がせる為だ。他の家にやる娘の為にかける金などない!」

「じゃあ、家を継がない男だったら金はかけなかったのか?」

「そうだ。お前に金をかけたのはお前が長男だからだ。当然だろう」

「父さんも母さんも少しでも子供の幸せを考えたことはないの? 子供は家のための道具なの?」

「道具とは言わんが、役に立たないものに金をかける気はない」

「姉さんは父さんにとって役に立たない道具だったんだ」

「あれが早々に結婚していれば役に立っていたんだがな。残念だ」

「もういい。話すだけ無駄だ」

 私は居間を出た。父の怒号が聞こえた気がしたが、もうどうでも良かった。荷物をまとめ、すぐに大学に戻った。

 大学卒業後、弁護士になった私は早々に両親と縁を切った。両親からは何度も手紙が送られてきたがすべて無視した。両親の顔すらもう見たくはなかった。結局私も両親の奴隷だったのだ。家を継ぐためだけに育てられ教育を与えられた奴隷。姉は他の家に嫁がせて子供を産むための奴隷。姉よりも自分の方がまだ自由だと思っていた私はただの馬鹿だった。私ですら『男』というしらがみに囚われているに過ぎない。『女』よりも少しだけ優遇され、少しだけ選択肢が多いだけだ。それでも仕事をせず家庭に入るという選択肢は『男』にはない。私はたまたま無意識のうちに『男』の役割に従うように生きてきただけだった。姉のように社会から与えられた役割に抗って生きようとはしなかった。もし私が『男』としてでなく別の生き方を選んでいたとしたら、首を吊っていたのは私の方だったかもしれない。

 

 姉はこの土地に生まれて不幸だっただろう。もっと都会に生まれていれば、姉の夢も受け入れられたかもしれない。でもそれでは意味がない。どれだけ都会が発展していこうとも地方に生まれてくる子供たちはいるのだ。地方が少子高齢化の憂き目に遭い停滞を続ける限り、ここに生まれてくる子供たちは古いしがらみに苦しむ。時代遅れの考え方は常に田舎に蔓延する。そのしがらみの前では賢さも志も役に立たない。憲法で認められた人権すら、人々の中に根付く偏見に勝てないのだ。

 なら、私にできることは何か。この地に若者を呼び戻ししがらみを減らすことだ。年齢で上下関係が決まってしまうこの国では、若者は常に不利だ。でも社会を変えられるのも若者だ。なら私は若者に力を与えよう。若者の数を増やそう。数はどんな場所でも力になる。若年層の人口が増えれば彼らにとって住みやすい街になる。そうすれば、新しい考えも受け入れられるようになる。姉のような道を辿る人も減るだろう。


 自分のやっていることが正しいかはわからない。それでも寿命売買の契約をした時から私は振り向かないことに決めた。これは加見野市の為であり、そして自分の贖罪の為でもあるからだ。

 両親にもっと強く当たっていれば、姉に優しくするようもっと説得していれば、姉は死なずに済んだかもしれない。たらればは常に私の胸に渦巻き、その後悔が私の中から消えたことはない。私はただ甘やかされた馬鹿者で、弱くて、厳格な父に逆らうのが怖かったのだ。私は両親の都合のいい奴隷だった。敬愛する姉が憔悴した時ですら、私は両親に姉をちゃんと支援するようきつく言わなかった。両親から助けを貰う為に、姉が頑として同意しなかった結婚に私が同意した。両親や見合い相手が女の進学を見下すような発言をした時ですら、私はじっと黙っていた。怖かった。両親に、社会に抗うのが恐ろしかった。私はただただ臆病だった。私の臆した心が姉を死に追いやった。皮肉にも、私にはない強さを持っていた姉は、社会に従う弱い両親や私に殺されたのだ。

 姉が死んだあの時から、私は一度たりとも自分を許したことはない。自分の罪を振り返り、同じ過ちを次世代に繰り返させないために私は寿命を売った。


姉さん、見てる? これが正しいかはわからないけど、姉さんのような死に方をする人が減ったらいいなと思うよ。


ごめんね、姉さん。あの時守ってあげられなくて、ごめんね。みんな弱かったんだ。どうしようもなく臆病だったんだ。社会の大きな波に逆らうことができなかったんだ。姉さんだけがその強さを持っていたんだ。


今天国で幸せでいる? そうだといいな。もし向こうに行ったら、会ってくれる? そうしたらちゃんと怒ってほしい。何もしなかったこと、姉さんを守れなかったことをちゃんと叱って。そしたら何度でも頭を下げて謝るよ。そしてきつく抱擁する。会いたかったって大声で言うよ。


ごめんね、姉さん。もし姉さんが生まれ変わって、また加見野市に生まれたら、きっと今度は医者になれるよ。今は昔よりもずっと多くの女性が大学に行っているよ。女性の医者だって沢山いる。まだまだ社会では男の方が強いけどね。でも加見野市は変わるよ。きっと姉さんにとって住みやすい街になる。


ごめんね、姉さん。ここまで時間がかかってしまった。でももう少し待って。人がたくさん戻ってくればきっと加見野市は大きく変わるから。


ごめんね、姉さん。でも今度はきっと幸せになれると思う。そうしたら、またあの太陽みたいな笑顔を見せてね。


ごめんね、姉さん。ごめんね。

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