賞味期限つきの本
もうすぐバレンタインデー。吉田も世の女性と同じく、そわそわしていた。何をプレゼントすれば、小田切くんは喜んでくれるだろうか。心優しい小田切くんなら、何でも喜んでくれるだろう。だからといって、その優しさに甘えるのは違う気がした。何か心に刺さる、いつまでも忘れないようなものを贈りたかった。
小田切くんの好物は何だろうか。そういえば、本の話以外をしたことがなかった。小田切くんとは本を通して繋がっていたのだ。他の話題をしたことはない。もちろん、水族館や遊園地に出かけたことはある。その時もお互いに「推しの本は何か」「流行っている本の感想」など終始、本の話しかしなかった。いまさら悔やんでも遅い。
本を贈ろうかとも思ったが、すでに持っている本と被る可能性もある。それに、形に残るものだと迷惑かもしれない。悶々としていたが、母に相談すればいいことに気がついた。
母に相談すると「チョコレートが嫌いな人もいる。無難で無理なく作れるクッキーならどうか」というアドバイスだった。「もちろん、フォローするわよ」とつけ加えて。
いよいよバレンタイン前日、吉田はドキドキしていた。うまく作れるだろうか、まずかったらどうしようと。作る段階でこれだけドキドキするのだ。いざ、渡すとなった時はどうなるのだろうか。先が思いやられる。
母と作るのはレモンクッキーと決まっていた。腕に自信があるらしく、「これを作って、お父さんの胃袋をつかんだのよ」という折り紙つきだった。レモン、薄力粉に砂糖などなど。目の前の材料がクッキーという愛情の証になるかと思うと、不思議な気分もする。
「まずはレモンを輪切りにするのよ。力みすぎると上手く切れないから肩の力を抜いて。ほら、深呼吸、深呼吸」
母に言われるがままにリラックスする。これで大丈夫だろう。
包丁でレモンを切ろうとした時だった。事件が起きたのは。レモンを切った瞬間、勢いよく汁が飛び出し目に入った。思わず「きゃっ」と悲鳴をあげる。目に入った汁を拭おうとすればするほど、涙が出る。「あなたも一緒ね」と母が呟いた。「こういう時はね、おとなしく待つの。涙が止まるまで」
バレンタイン当日。吉田はクッキーを渡すのは学校帰りと決めていた。二人きりの方がいいと考えた。帰りの時間が近づくにつれて、緊張感が高まる。
キーンコーンカーンコーン。チャイムが授業の終わりを告げる。ここからが勝負だ。
「ねぇ、小田切くん。今日も一緒に帰ろうよ」
「えっと……。うん。いいよ」
小田切くんの返事はどこか上の空だ。もしかして、何か用事があるのだろうか。
帰り道、吉田は沈黙していた。小田切くんが本の話をしてくるが、「うん」「へぇ」としか返事を出来ない。お菓子をいつ渡すか、タイミングを見計らっていたからだ。
「ねえ、吉田さん。もしかして、僕のこと嫌いになっちゃった?」
小田切くんの顔を見ると、眼鏡の奥の瞳が潤んで見える。
「ち、違うの。そんなことないよ。その……これ、どうぞ!」
吉田は勢いに任せてお菓子を渡す。
「これって、もしかして……」
「そう。バレンタインのプレゼント。おいしいか分からないけれど」
「ありがとう! 嬉しいな。その、今日はバレンタインでしょ? 吉田さんがくれるか、ドキドキしていたんだ」
それが理由か。もらう側も心の準備が必要なのか。
「家に帰ったら食べるね! 吉田さんを想いながら」
小田切くんのセリフに吉田は自分の顔が赤くなるのを感じ取った。
後日、小田切くんから絶賛された。これで一安心。吉田はすでに「ホワイトデーは何をもらえるかな」と考えていた。気が早すぎるかもしれないが。
三月六日。ついに卒業式となった。高校入試を経て、小田切くんとは違う高校に行くことが決まっていた。こればかりはどうしようもない。お互いに卒業アルバムにサインをした。他人に見られると恥ずかしいので内容は「お互いに高校でもがんばろうね」に留めた。
「そうだ。これ、あげるよ」
小田切くんから唐突に一冊の本を渡される。梶井基次郎の『
「バレンタインにレモンクッキーをあげたから『檸檬』なの?」
「うん、それもあるよ。でも、そのチョイスには他にも理由があるんだ。それと、その本、賞味期限付きだから」
「賞味期限? 本に?」
変な話だ。『檸檬』だからだろうか。
「そう。賞味期限は三月十四日」小田切くんの顔は真剣だった。
「三月十四日ってホワイトデーだけど、これはバレンタインのお返し?」
「そうなるね。まあ、吉田さんなら大丈夫。賞味期限に間に合うと思うから」
家に帰って『檸檬』を開いてみると、一通の便箋が挟まっていた。「吉田さんへ」と書いてある。定規でも使ったのか、きれいに真横に書かれている。吉田は「自分ならそこまでしないかな」と思った。
便箋の封を開くと、レモンの匂いがふわっとかおる。手紙にレモンの香水でもつけたのだろうか。小田切くんにそんなイメージはなかったから、意外だった。手紙の中身は自作と思われる川柳が横書きされていた。
「あたためておいしくクッキーいただいて」
「いぶすのもありらしいよ最近は」
「てをにぎり伝わってくる温もりが」
吉田は首をひねった。これは川柳というより、感想文という表現のほうが正しいかもしれない。それに、いつものキレがない。最後の川柳には「手を握る」と書かれているが、小田切くんとは手を繋いだことはない。手を握る。その行為を想像しただけで頬がリンゴのように真っ赤に染まるのを感じた。時間を空けて冷静さを取り戻すと、手紙のおかしさに気がついた。二句目と三句目の間には空行がある。封筒には定規を使うほど几帳面だから、より一層不思議だった。
しばらく川柳を眺めていると共通点を見つけた。「温める」「燻す」「温もり」、どれも熱さや温かさを表す言葉だ。でも、それ以外にはピンとこない。
そういえば、『檸檬』を選んだのには理由があると言っていた。レモンといえば「爽やかさ」「酸っぱい」「黄色」「果物」を連想する。
つなげると「レモンを温める」のような文章になる。
その時、吉田は一つの可能性にたどり着いた。引き出しからお香を焚くためのライターを取り出す。手紙が燃えないように、そっと火に近づける。すると、文字が浮かび上がる。やはり、炙り出しだったのか。川柳と合わせると、次のようになる。
「あたためておいしくクッキーいただいて」
「いぶすのもありらしいよ最近は」
「し」
「てをにぎり伝わってくる温もりが」
「る」
縦に読むと「愛してる」となる。少し回りくどいけれど、ストレートに書くのは恥ずかしかったのかもしれない。それか、吉田のように縦読みを使いたかったのか。理由は分からない。でも、いつの間にか吉田の頬には涙だが流れていた。
そして呟く。「私もだよ」と。
異性の心はミステリー 雨宮 徹 @AmemiyaTooru1993
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