第39話 消えない傷


 病院の匂いがした。


 瞼を開けたときには、なんで自分が病院にいるのか、思い当たっていた。

 ――だったら、八重石は。


「うおっ」


 八重石は。


「や、八重石は、どうなってる⁈」


 すぐ近くに座っていた千崎は、何度か目をパチパチさせてから、視線を手元に落として、


「まだ、目ぇ覚ましてない」


 ……まだ、目ぇ覚ましてない。

 てことは、


「生きては、いるんだな?」

「おう。それは、もう大丈夫。意識も、近いうちには戻るはずだって」


 寝起きで頭が回ってないのか、なかなか千崎の言っている意味が理解できなかった。

 それを、何回か頭の中で繰り返して、勘違いしてないかを、何度か、確かめてから、


「はぁぁ………………」


 思いっきり、もう一度ベッドに倒れ込む。

 気付いたら出ていた溜め息は、たぶん俺がしてきた中で一番長くて、一番なさけなかったと思う。


 ……けど、ちゃんと守り切れた。

 いや、俺だけじゃ守り切れなかっただろうが。八重石が信じてくれて、千崎と金剛が来てくれたから、奇跡的になんとかなっただけだった。


「千崎、あのとき、来てくれて助かった。マジありがとう」

「……そりゃ、どーも。でも、やっぱりアタシだけじゃどうにもなんなかった。それに」

「――あ」


 千崎の視線の方に顔を上げると、病室の入り口にモトナリがいた。目が合ったモトナリはしばらく突っ立っていたけど、急に手で目元を隠して、「よ、かったぁ」と声を震わせながら言った。「大げさな」と反射的に言いそうになって、別にそうでもないかと思った。


「……それに、アタシが助けに行ったのは、そこの寺林の指示だ」

「ぇ、えっ?」

「変な雲見つけて、そっから幸の術だって気付いたのは寺林だった。あと、先生呼んできたのも、寺林だったし。……だから、アタシだけじゃなくて」


 ああ、だから千崎、さっきからなんか不機嫌そうだったの……や、それでいつも通りか。


「モトナリ、ありがとう」

「で、でも俺、結局自分じゃ、何にもできなくて」

「なんもしてなくねぇの。お前が判断してなかったら、千崎も金剛もあのとき来てなかったんだろ? マジで間一髪って感じだったから、お前も、八重石の命の恩人だって」


 実際、千崎も金剛も、来るのがあと一秒遅かったら色々事態は変わっていた。あの男の態度的に俺と千崎は殺されてなかっただろうけど。


「ほら。アタシの言ったとおりだろ」

「……ぅ、うん。でも、ぅ、ぐっ……!」


 そこでモトナリが泣き出した理由は、なんとなくわかるようで、わからないような気もした。

 自分だって誰かを助けられた。それが嬉しいだけでは、ないような気がする。


「ぅぐ、ちょ、ちょっとトイレ!」

「またかよ」


 入ってきたところのくせに、モトナリは勢いよく飛び出して行ってしまった。

 これは泣き顔を女子に見られたくないってだけだと思う。

 結果、余計にダサいことになってるとは思うけど、


「……別に、誰も笑わねーっての」


 その女子は、それをいつもの不機嫌そうな、だけど楽しそうな顔で見送っていた。

 ……やっぱりコイツなんだかんだダメンズ好きなんじゃないのか。

 と、思ったとき、そういえばあのときコイツら二人きりにしたんだったと思い出して、


「そういや千崎、あんときモトナリに告んなかったの?」


 ふらっと振り返った千崎が、何を聞かれてるのかを理解した瞬間に動かなくなる。指先も、瞼も、黒目さえも。

 ……コイツって、目が細いから厳つく見えるけど、こうやって見開いてたらただの美人だよなー。


「てめぇ、なんで知ってんだ」


 おっと。これはもしかして?

 ……だったら面白くなってくるけど、たぶんこれは違うわ。

 そもそもなんで俺が千崎の気持ち知ってんだって話か。つーかその真顔とガチトーンやめてくれ心臓に悪い。前言撤回やっぱすげぇ恐いんだけどこの人。なんだあの目、本当にカタギでいいんだよな?


「ごめん。なんか、態度的に、そうなのかなぁと思いまして」


 さらに三秒睨まれる。どうしよう一回土下座しとこうかと思ったところで、千崎は静かに「マジか……」と頭を抱えだした。


「あ、やでも、別にクラスで噂とかはなかったからな? そう、モトナリも、全く気付いてないし」


 フォローしたのに、ギッと今から殴りかかるみたいな目で睨まれる。でもお前にはバレてんじゃんってか。


「……言ってねぇよな?」

「お、おう。言ってない」


 と、またしばらく睨まれてるけど。

 てことはやっぱ、告ってはないってことか。


「……でも、ちょっと手助けしてやろうかとは、思ってた。だってアイツ、お前に嫌われてるって勘違いしてたし、千崎の気持ちに気付いたら、絶対」

「なんでだ。アタシのに気付いてんなら、アイツのにも気付いてるはずだろ」


 ふっと、頭が一瞬動かなくなって。

 ……すぐに、今千崎はとんでもないことを言ったんだとわかってしまった。


 じゃあ、なんだコイツは。

 自分の好きな奴が、自分じゃない奴のことを好きなのに気付いていて、まだ好きでいてんのか。

 ――だからか。

 だからコイツは、あんだけのタイミングがあっても、あんだけいつも目で追ってたくせに、自分の気持ちを無視……違う、抑えてたってことなのか。


「モトナリみたいな奴が、千崎みたいな美人に好かれてるってこと自体、奇跡みたいなもんなんだから」

「それで、アイツの気持ちが変わるって、思ってんのか?」

「……。いや、すぐには、変わらないかも、だけど」

「幸がダメだったとき用に、キープされてりゃいいってか? バカにすんな!」


 そういえば、俺は千崎が本当に怒ったところを見たことがなかった。

 いつもイライラしてるみたいに話したり、危ないことを言い出したりはしてたけど、こんなふうに、声を大きくして、震わせて、感情がコントロールできないみたいな怒りをみたのは、あの男に殴りかかったときが初めてで、今が二回目だった。


「アタシは、真っ直ぐなアイツが好きなんだ。アタシがそれを、揺らしたくない。邪魔、したくない。それに」


 立ち上がった高いところから、千崎は赤い顔で、真っ直ぐに鋭く俺を見て、


「アタシは、幸に負けたくない。アタシがアイツを、振り向かせてやる」


 コイツもまた、なんの躊躇もなくそんなことを言い切ると、そのままどこかへ出て行ってしまった。


 ……急に静かになった病室で、俺はしばらく一人で考えてみた。

 怒らせてしまったのは、たぶんモトナリをすぐ心変わりする奴として扱ったことと、モトナリが八重石を落とせない前提で話していたこと、あとは、俺が大した理由もなくちょっかい出そうとしてる……ように見えたってところか。


 つっても、実際のところはその通りだったのかもしれない。

 俺なりに、モトナリと千崎でくっついたほうが両方幸せなんじゃないかと、考えてはいた。千崎が何を考えてるのかも知らずに、モトナリが本当にどんな奴なのかも知らずに。そういえば俺は、千崎がなんであんなにモトナリを好きなのかも知らなかった。


 考えないで、理解しようとしないで、勝手に動かそうとしていた。

 そりゃ、怒って当然だった。

 ていうか、薄々気付きかけていたんだけど。

 

 ……俺って実は、結構バカなんじゃないのか。


 自分の頭が良いと思ってたわけじゃない。成績は真ん中とトップの間くらいだったし、話しててコイツ俺より上だなと思うことはそれなりにあった。


 けど、俺もそこそこやれるほうだと、心の底では思ってたんだ。


 クラスではだいたい真ん中にいた。コミュ力は高い方だと自覚していた。中学でも高校でも、モテてないわけじゃなかった。身長だって平均より高いし、自分の顔も嫌いじゃない。勉強も集中さえすればできないわけじゃなかった。

 自然と人助けができる自分が、それなりに自慢だった。

 実際、俺は向こうでは、普通にやれる奴だった。


 ――でも俺は、それしか考えてこなかった。

 普通にやれる奴。高い方。真ん中とトップの間。ちょっと自慢。

 そういう位置をキープすることしか考えてこなかった。

 だからこっちに来て、色んなことを本気で考えないといけなくなったとき、俺は上手く動けなくなったんだ。

 もっと遠くのことばっか考えて、そこにたどり着くのに必死になってる奴らに囲まれて、届かないって思ったんだ。


 ――届かないって諦めるのが当たり前じゃないなんて、きっとこんな事態にならなければ、俺は一生知らなかった。


「あ、あれ、冬空君、千崎さんは?」


 がらがらとドアの開く音がして、モトナリが現れる。もう泣いてはなかったけど、目元はうっすら赤くなっていた。


「なんか出てった」

「で、出てったって、なんか、失礼なこと言ったの?」

「俺が悪いの前提かよ」

「あっ、や、そういうわけじゃ……」

「まあ、その通りなんだけど。ちょっと余計なこと言ったっていうか……そういやアイツ、なんでここにいたんだろ」

「それは、俺がトイレ行ってる間、代わりに見ててくれたんだよ」


 なるほど。て言われても、じゃあ今度はなんでお前が俺を見てなきゃいけないんだって話だけど。


「目覚めたとき、混乱するかもしれないから、知ってる人ができるだけ近くにいた方がいいんだって。千崎さんは、本当は八重石さん見てるはずだったんだけど、今は、ご両親が来てるらしくて」


 そこまで言われれば、あとはなんとなく流れが読めた。時間ができた千崎は、俺の見舞いに来たとか言いながら、モトナリに会いにきた。そしたらモトナリがトイレに行くことになって、その変なタイミングに俺は起きてしまったわけだ。


「俺が起きるまで、千崎となんか喋ってたのか?」

「え、いや、そんなには。八重石さんは今日も起きそうにないとか、八重石さんのお母さんが厳格そうで苦手だとか、それくらい。あとは……」

「あとは?」

「ん、その、八重石さん待ってる間暇だって話になって、俺は本読んでるって言ったら、じゃあ今度貸してくれって話になった」


 ほう。

 なんだよ。伝えるつもりないとか言いながら、アプローチはしてるんじゃねぇか。

 ……ていうか、あれ。ちょっと待て。モトナリのこの反応。

 なんかむずがゆそうな、恥ずかしそうな、微妙に不安そうな、はっきり言って鬱陶しい態度。

 もしかしてコイツ、気付いて――


「こ、これって、オタクに優しいギャル、実在したってこと、かな……?」


 やっぱりモトナリだった。

 そりゃそうだよな。自分に自信ない奴は、そういう反応になるよな。


「オタクにってか、アイツ普通に優しいんだろ。あとアイツってギャルか?」

「くっ、そうか」


 ……それか、そもそもコイツには八重石以外見えてないって話なのか。

 だったら、すごく残酷だとは思うけど、まあそこまでピュアな奴でもないとは思う。だってオタクだし。

 まあ何にしても、とりあえず千崎に嫌われてるって誤解は解けてたみたいで良かった。


「てか、なんの話してんだよ」

「なんの話って、言い出したのは……って、そうだ! 目ぇ覚ましたんだった! ナースコールっ!」


 と、急に慌て出したモトナリは枕元にあったボタンを押してから、今の自分の状況――別世界に来てしまったことと、それを隠さないといけないこと、あと『空森』のプロフィールなんかを覚えているかどうか聞いてきた。

 そのあと、駆けつけてきた看護師には自分『空森』のことがわかるかどうかを色々聞かれて、一時間後に医師との面談があると言われた。


 その面談までの間に、俺はモトナリから色々とあの後のことを聞いた。

 犯人は結局捕まえることは出来ず、未だ逃走中。素性はわからないが、最近日本で目撃されている犯罪集団との関連があるとされていて、襲撃目的も状況から八重石の殺害だと断定されているということ。その辺りの取り調べも、医師との面談の後にあるはずだということ。


 八重石は出血が酷かったが、輸血で持ち直したとのこと。

 しかし凍傷、利力の欠乏も酷く、修復に時間がかかった結果、背中に大きな傷痕が残ってしまったということ。

 今は利力の回復を待っている状態で、予定では三日後に目を覚ますはずだということ。

 俺の左腕の傷も深く、利力は八重石ほどではないが欠乏していたため、八重石同様にしばらく眠ったままだった。

 今日は九月最終日で、退院は三日後になるはずだと。そして、


「……どう? 違和感、ない?」


 腕は完全に元通り。あんな戦いなんかなかったみたいに、いつも通りの俺の腕。だけど左手には、あのナイフが貫通した傷がしっかり残っていた。

 見た目だけ痛そうな、指を動かすのには何の支障もない白い傷痕。

 でもそんなことは、どうでも良かった。


 俺のなんかどうでも良い。問題は八重石の方だ。

 ……最初に聞いたとき自覚した以上に、俺はショックを受けていた。

 女の体に傷が残った、というよりは、八重石の体に傷を残してしまったことが、俺にとっては凄まじいショックだった。

 その日のうちは一人になると、俺は自分がどうしてこんなにショックを受けてるのか、考えることになった。

 一日考えて、なんとなく答えは出たんだ。


 たぶん半分は、とんでもなく綺麗なものを傷付けてしまったときと同じもので。

 そしてもう半分は、俺が本当に八重石を守れたのかが、わからないことだった。


 一生消えない傷を、俺が付けたわけじゃない。八重石の命は助かって、それは俺の活躍もあってのことだと、理解はできてる。

 ……けど、俺がもっと早く動き出せていたら。

 八重石はこんなことには、ならなかったんじゃないのか。


 そんなことをぐるぐる悩み出したその翌日に、八重石は予定より一日早く目を覚ました。


 その日のうちは親やら医者やら警察やらに囲まれていて、病室に近付くこともできなかった。

 けど次の日、俺が退院する日の朝に、八重石が俺とモトナリを呼んでいるという伝言を看護師からもらった。

 退院の準備を済ませて、自分の病室を出たその足で、俺達は八重石の病室に向かった。

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