第38話 振り絞って


 ……八重石はこの三分で、雪雲を作っていた。

 真夏だったはずなのに、気付くと口から白い息が出ていて、八重石は落ちてくる雪の粒に囲まれていた。


「え。あ、ああぁ……!」


 悲鳴が聞こえて振り返ると、花巻の右腕は巨大な氷の塊に包まれていた。雪の粒は花巻に当たると、どんどんと膨れ上がって氷の塊に変わった。

 すぐに花巻は手足を氷漬けにされて、動けなくなった。

 俺に当たった雪の粒は普通に肌の上で溶けていったけど、左腕に落ちたものだけは、そこで薄くて柔らかい氷の膜になった。冷たさはなくて、痛さが治ることもなかったけど、左腕からぽたぽた流れ落ちていた血は気付くと止まっていた。


 三分守り切った価値はあったなと思いながら、俺も地べたに座り込む。

 敵に当たると、それだけで動けなくなる。味方に当たると、止血になる。


 ……どんだけぶっ壊れの最強技なんだよ。

 やっぱり八重石は、完全に別格だった。今回は不意打ちがあったけど、たしかに正面からやってコイツに勝てるわけがなかった。

 だんだん白くなっていく辺りを見ていると、「利術って、すげぇなぁ」と自然に口から出てしまった。


 ――けど。

 この最強の術も、俺が出した剣と同じで全部八重石が作ったから、雪は八重石の思い通りに動いている、ということなのか。……この、雪の全部が。


「……あ。や、八重石っ!」


 気付いたときには、もう八重石は後ろで仰向けに倒れていた。

 いつの間にか剣も消えていたから、動かない手と足をなんとか使って、雪で何度も滑りながら、八重石の顔が見えるところまで近付く。


「空森、さん、傷の、具合は……?」


 目が合って、最初にそれだった。一度、腹の底から息を吐いてしまう。

 それから、


「おかげさまで、大丈夫。てか、俺よりお前だ。すぐ、病院連れてくから」


 ――そして笑いながら、その前に死ぬなよというつもりだった。


 さっきまで開いていた目が、少し逸らした間に閉じていた。「おい」と言っても開かない。強烈な寒気を感じて、俺は慌てて八重石の手首を掴み、何かで見た真似をする。

 指先に、ゆっくりとした振動が伝わってくる。口元に耳を近付けてみると、小さな息の音が聞こえた。


 最悪なことにはまだなってない。

 けど、すぐそこまで来ている。

 全身の力を振り絞って、立ち上がる。大丈夫、大丈夫と、それ以外考えないようにしながら、少し前に八重石から教わった方法で、八重石を抱え上げ――


「――あららぁハナちゃん、ヘタこいちゃったねぇ」


 知らない男の声。

 振り返ると、氷漬けになった花巻のすぐそばに、背の高い男が立っていた。

 花巻と同じ黒い格好で、顔はバンダナみたいなもので下半分が隠れていたけど、目元と額にはうっすらと皺があるのが見えた。目が合うと、ソイツは皺を濃くしてニッコリ笑った。


 ……結局、別の最悪なことになった。

 向こうの増援。八重石は気を失っていて、雪も、もう止んでいて、俺も、


「くっ、そ……!」


 振り絞ってみると、なんとか剣は出せた。形は同じでも、子供のおもちゃみたいな小さくて頼りない剣。

 でも俺は、戦わないといけない。

 正面からいって勝てる気は全くしないから、何かを考えないといけない。……油断させる。諦めたふりか、命乞いか、仲間になるふりかでもして――


「おうおうやる気だねぇ。でも、安心しなお兄ちゃん。俺は命令無視して独断行動したそこのハナちゃん、回収しにきただけだから」


 ちょうどそんなことを考えていたところだったから、信じられるわけはなかった。

 けど、男は花巻の手足を覆っている氷に何度か容赦のない踵落としをして、割れないとわかると氷ごと花巻を肩に担ぎ上げた。


「おっも。あークソ、これ飛べるかな」

「お、にい、ちゃん……」


 そのまま男は、どんどん歩いていく。花巻は利力の使いすぎか、氷に体温を取られているのか、意識はぎりぎり切れていないような状態だった。

 本当に、このまま帰ってくれるのかもしれない。

 気は抜かない。けど、それを現実的に考え始めたとき、さっき男が言っていた言葉と、今の花巻の状態に、とてつもなく嫌な予感を感じてしまって。


「ま、待て!」


 離れていっていた男の背中がピタッと止まる。花巻が顔を上げるのと同時に、男も顔だけで振り向く。


「お、お前、達は、花巻を、どうするつもりだ……!」


 なんで敵の心配をしてるんだとか、余計な刺激を与えるべきじゃないだろうだとかも、思わないわけじゃなかった。

 けどこのときの俺は、たぶん、そっち側に振り切れてたんだ。


「乱暴する、って言ったら?」


 突然足元がふらついて、なんとか踏ん張る。こんな状態で何ができるのかは、俺にもわからないけど。


「ここでお前を、止める」

「ふは! 欲張りだねぇお兄ちゃん。さすがは、ハナちゃんがこんだけ惚れ込んでるだけはある。……でも、言ってるだけじゃあなんも変わんないんだぜ、お兄ちゃん?」


 手の中の剣を短剣のくらいの大きさに縮めて、思い切り男めがけて投げ飛ばす。

 男はそれを花巻の氷で受け止めようとした。が、「曲がれ」と叫びながら、剣が花巻をかわして男の頭に刺さるところを想像すると、その通りに動いてくれた。

 ……ただ、頭に刺さることはなく、そのすぐ近くで男の指に挟まれていた。


「すごいなこれ、まだ動いてんのか」


 俺はその短剣が男の頭に届くのを想像し続けながら、もう一本――俺の頭に刺されたみたいな激痛が走ったけど、無理矢理、右手に短剣を作り出す。


「へっ。やる気は十分、と。……安心しな。別に乱暴はしねぇよ。まぁ違反行為があったから、お咎めなしってことはないだろうけどな」


 嘘を言ってるにしては、つまらなそうな言い方だった。花巻も暴れたりはしないで、ずっと俺を見ているだけだった。


 ――その瞬間、ほんの少しの隙間ができて、まばたきがとても長くなってしまった。

 力が抜けて、崩れ落ちそうになったところを、なんとか地べたに手をついてこらえる。


「まあ、そうなるわな」


 耳鳴りがすごかった。ここからさらに少しでも気を抜けば、目が回って一瞬で意識が飛ぶのがわかった。


「さてと。ところでお兄ちゃん、さっきはああ言ったけどよ、俺って実はこの子、ハナちゃんのこと、結構気に入ってんのね。こんなに一途な子、今どきそうそういないと思うんだ」


 遠くで、そんな声が聞こえる。そこまで遠くなかったはずなのに、声は音も意味も、少しずつ離れていっているような感じがした。


「だからさ、ちょっと応援してやりたいなと、老婆心ながら思っちまうわけよ。ジジイだけどね」


 男の笑った声が、頭の中で大きく響いた。


「てことで、その八重石の子、やっぱ一応殺しとくよ」


 けど、その言葉の意味だけは、強烈に体が理解した。

 もう一度立ち上がって、剣を構える。

 痛いのと、消えそうなのと、守らないといけないことしか、考えられなくなっていた。


「恨むんなら、俺を恨みな。お前のお姫様殺したのも、お前の妹ちゃん連れ去ったのも俺だ。……リベンジ、待ってるぜ」


 花巻を抱えたまま、男はぴんと立てた指を二本、俺達の方に向ける。

 指先が光っている。何かが飛んでくる。それをどうにかしないと、八重石は絶対に殺される。

 何が、どうやって、どんな速度でくるのか。それはこの剣か、俺の体で防げるものなのか。

 何もわからないまま、光は突然強くなって――


「――どぉ、らあぁぁぁ‼︎」


 全部をかき消す光――炎が、俺と男の間を遮った。


 ……そうなる理由がわからなかった。いくらなんでも都合良すぎだと思った。

 けど、吠えるみたいな声と炎が出た方に目を向けると、千崎がいた。


 俺の妄想じゃなかった。たしかにそこにいる千崎は、俺と八重石の状況を見るなり目を見開くと、直後に両手の炎を巨大な塊に変えて、男に飛びかかった。


「おいおい三人目かいお兄ちゃん。この色男め」

「ぶっ飛ばすっ!」


 凄まじい速度と範囲の連撃を、男は花巻を抱えたままひょいひょいと跳んでかわす。千崎の拳も、炎も、男には掠りもしない。

 あの男は、千崎でもここまで届かないものなのか。


「ぅ? ぐっ⁉︎」


 が、その瞬間、千崎の拳は男の腹の中心を捉えた。後ろに飛んだ男は地面を滑ってから、片膝を地べたに付けていた。

 俺には突然、千崎の片方の炎が消えたように見えた。でも今見てみると、違った。青くなっていたんだ。左の明るいオレンジ色と違って、右の炎はほとんど光を出さない青色だった。


「はっやいなぁ畜生。全く、これだから若いヤツは。すーぐ成長しやがる」


 その千崎の成長に、男はなぜか嬉しそうに笑っていた。


「けど若いぶん――」


 今度は男の姿が消える。

 ……それは見えなくなったわけではなく、ただまばたきする間に、遠くから千崎の背後まで移動していた。


「甘々だねぇ」

「ちざ――」


 男の手刀は、千崎が振り返るよりも明らかに速かった。


「っ、と」

「ぅ……え」


 それでも、千崎が今も驚いた顔をしながら立っていられるのは、


「――うちの生徒に、何をしている」


 また同じように突然現れた金剛が、男の手刀を掴んでいたからだった。

 一瞬の膠着があって、金剛は男の胴体に強烈な蹴りを入れた。「ぐっ」と低い悲鳴を上げながら、男はどこからか取り出した短剣で、金剛の首を切りつける。

 パキンと音を立てて、金剛の肌に負けた短剣が折れる。

 金剛は怯むこともなく、男の顔面に拳を叩き込む。それで男が吹っ飛べないのは、まだ金剛が男の手を掴んだままだからで。


「む……!」


 しかし男の手に、またあの光が灯る。

 金剛は男の手を離し、代わりに正面から蹴りを喰らわせる。今度こそ、男は十メートル近くぶっ飛び、金剛は男から俺達を庇うような位置に立つ。

 遠くで、あの光が大きくなる。金剛が体を低く構える。

 大きくなった光は、そのまま――突然消える。


 光だけじゃない。男もいない。


「じゃあなぁーお兄ちゃんー!」


 男は、神社の鳥居の上にいた。俺達に背中を向けていて、今まさに逃げていくところだった。

 ――最後、花巻と目が合った気がした。


「お前も助ける」と叫んだつもりが、声は出なかった。


 気付くと男も花巻もいなくなっていて、途端に辺りからは音がなくなった。

 金剛はすぐに手首に着けた何かに向けて、何かを喋り始めた。

 千崎は固まっていたけど、突然思い出したみたいにこっちへ振り返った。


 ……そうだ、八重石は。

 と、振り返ろうとしたら、視界が傾いた。

 全身に衝撃と、肩に鈍い痛み。

 倒れたんだとわかったのは、千崎が俺を仰向けにしたからだった。


 千崎は必死な顔で何かを叫んでるけど、耳鳴りにしか聞こえない。でも俺に治術を使おうとしてるのはわかったから、先に八重石をと言った。

 今度こそ声は出てたみたいで、千崎は八重石の方を見た。

 そこできぃんと耳鳴りが強くなった。


 もう、目を開けていられなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る