第34話 八重石さんからのお誘い
「空森さん、帰る前に二十分ほど、お時間を頂いてもよろしいですか?」
八重石が何でもないことみたいにそう言ったのは、最後の一番大きな花火が消えてしまって、すぐのことだった。
何を言われたのか、俺にはなかなか分からなかった。
最初は普通にまだ行きたい場所があるのかと思ったけど、だったら何で俺だけに言うんだってなって、「少し、来て頂きたい場所があるのですが」と付け加えられて、これはもしかしてヤバいことになってるんじゃないのかと気付き出した。
つい、モトナリの方を見てしまった。
モトナリは目が合うと、一瞬固まってから笑って、「もう十八時半前だから、急いだ方がいいよ」と言った。
思わずそれでいいのかと言いそうになったけど、言おうとは思えなかった。
結局俺は荷物とモトナリと千崎を残して、八重石についていくことにした。
「ありがとうございます。では、十八時五十分までには戻ってきますので、荷物をよろしくお願いいたします」
頭を下げてから歩き出した八重石を、モトナリと千崎は小さく手を振って見送った。
千崎にとっては好都合な状況のはずなのに、なんでか表情は微妙に苦しそうだった。モトナリは、最後に見たときも笑っていた。
八重石は祭りが開かれてる道から一本逸れて、細い路地に入った。
そのままどんどん歩いて、住宅街の道に出て、また家と家の隙間に入る。
「どこまでついてけばいいの?」
「神社です。もう五分ほど歩いた先にあります」
その神社まで行ったら、何があるのか。……さすがにそれをここで聞くのは、空気読めなすぎか。
「言伝を頂いたんです。私の父が、私と空森さんに会いたいということでしたので」
とか思ってたのに。
……って、え。八重石の、お父さん? 俺今から、八重石のお父さんに会うの?
「な、なんで?」
「……。どうして父が空森さんと会いたいのかという話でしたら、おそらく私と交流を持っていることが、教員の方から伝わったのだと思います。同様に以前、千崎さんにも会って頂きました」
ここまで聞いたら、さすがにもう八重石が俺に告るとかそういうアレじゃないってのはわかっていた。けど今度は、本当にこれがその千崎のときと同じなのかって話だ。
……つまり八重石はそうじゃなくても、お父さんが勘違いをしてるんじゃないのか。
え、八重石の父親って、たしか防備隊のめちゃめちゃ偉い人、だったよな? え、俺、なんかボコられるとかそういうのじゃない、よな?
「え、てか、なんでこんなところに……あ、基地にいたのか。としても、なんで普通に基地じゃなくて、その神社?」
「……。私は、かつてこの近くに住んでいました。その頃に時々、訪れていたんです。神社の裏から見える海辺が綺麗で、一度だけ、父と並んで海を眺めたことがありました」
気のせいかと思ってたけど、八重石の歩くペースはだんだん上がってるみたいだった。反対に神社の話をする声は、普段よりもゆっくりで、確かめながらみたいな雰囲気があった。
……ただ人がいない場所に呼び出してボコりたいんだとしたら、その神社は八重石にとって、少し意味がありすぎる気がした。
住宅街の裏に出て、田んぼと畑の間を少し歩くと、目的地らしい鳥居と階段と木の塊が見えてきた。神社は小さな山の上に建っているようで、場所によって段の大きさが色々ある階段をずっと登っていかなければいけなかった。
さっき八重石がもう五分と言ったうちの三分くらいをかけて、階段を登り切る。すると想像していたよりずっと広い境内があって、建物はその隅の方に二つ建っているだけだった。
参拝するためのお堂と、もう一つ。他にも手を洗うための場所だとか、おみくじを結ぶための場所だとかはあったけど、他は本当に砂利が敷いてあるだけの場所だった。
なんでこんなに広いんだろうと同時に、八重石の父親はどこにいるんだろうと思っていた。
月が出てきていたから、暗くて見えないってことはない。だったらあとはどこかに隠れてるか、まだ来てないかって話になると思うんだけど。
「本堂の裏、でしょうか」
と、八重石は正面のお堂の方に歩き出した。
俺はそれについて行きながら、遅れて来てたりしてと後ろの階段の方を振り返った。
黒いものが横を通り過ぎて、ブツ、という音が聞こえた。
それが人だったのではないかと思いながら振り返ると、フードをかぶった黒い人が、八重石の背中に寄りかかるみたいにしていた。
……誰だコイツ。なんで、こんな真っ黒な服を。
考え始めたと同時に、黒い奴は横に跳んだ。八重石が回し蹴りをしていた。
そのまま二人は、しばらく動かなかった。
何が起きたかわからない俺は、ずっと動けなかった。だって本当にわからなかったんだ。
先に動いたのは、八重石だった。
どっと膝から崩れ落ちて、八重石は地べたに倒れた。
――白いブラウスの背中から黒い何かが突き出していて、その周りでは、赤黒い染みがどんどん広がっていた。
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